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日本の指揮者 ウィキペディアから
丸谷 明夫(まるたに あきお、1945年9月5日 - 2021年12月7日)は、日本の吹奏楽指揮者[1]。大阪府立淀川工科高等学校教諭・吹奏楽部顧問[2]、大阪音楽大学客員教授[2]、一般社団法人全日本吹奏楽連盟理事長[3]を務めた。愛称は丸ちゃん[4]。日本の吹奏楽界で知名度の高い指揮・指導者であった[5]。
1945年(昭和20年)9月5日に滋賀県に生まれる[1]。中学生の時に吹奏楽を始める[6]。工業高等学校を卒業後、1964年(昭和39年)に実習助手として大阪府立淀川工業高等学校(現在の大阪府立淀川工科高等学校)に赴任し、同校吹奏楽部を指導しながら大阪工業大学に通う[6][2]。教員免許を取得後、電気科の授業を担当[6]。
1974年(昭和49年)に全日本吹奏楽コンクール全国大会に関西代表として初出場[6]。翌1975年(昭和50年)の全国大会で金賞を初受賞[7]。1988年(昭和63年)の全国大会では、指揮者として全国大会に通算15回出場した功績により「長年出場指揮者表彰」を受ける。1989年(平成元年)の全国大会で5年連続の金賞受賞を達成、その功績により翌1990年(平成2年)、全国大会に招待され「特別演奏」と銘打ったエキシビション演奏を披露した。2021年(令和三年)12月現在、全日本吹奏楽コンクール高校の部に通算41回出場、そのうち32回金賞を獲得しており、いずれも全国最多を記録している[8]。その活躍により、2014年(平成26年)に大阪文化賞を受賞した[2]。
2011年(平成23年)1月1日に大阪府立淀川工科高等学校より「名誉教諭」の称号を与えられる[6][9]。2013年5月24日に一般社団法人全日本吹奏楽連盟副理事長から理事長となる[10][11]。2014年4月に大阪音楽大学特任教授から客員教授となる[12][13]。2021年5月の定時総会をもって4期8年務めた理事長を退任した。
2021年(令和3年)12月7日、膵頭部がんのため、死去[14]。76歳没。
2022年(令和4年)11月20日、「丸谷明夫先生ありがとう」と題した偲ぶ会が大阪城ホールで開催され、淀工吹奏楽部や卒業生、府内の吹奏部選抜に市立尼崎高校など、およそ300名による合同演奏で追悼された[15]。
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