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鎌倉時代後期から南北朝時代の皇族。内親王、准三宮 ウィキペディアから
久子内親王(きゅうしないしんのう/ひさこないしんのう、文永9年(1272年) - 貞和2年4月25日(1346年5月16日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族。後深草天皇の第四皇女。母は玄輝門院(洞院愔子)。伏見天皇・性仁法親王の同母妹[1]。女院とされ永陽門院と号する。
正応4年4月6日(1291年5月5日)、20歳の時に内親王宣下を受けて同日に准三宮となる。永仁2年2月7日(1294年3月5日)に院号宣下を受ける。嘉元2年9月10日(1304年10月9日)に出家して真如智と名乗るが、後鳥羽天皇の生母・七条院の法号と被ってしまったために後に真性智と改めた[2][1]。花園天皇の皇女である徽安門院を猶子に迎えてその遺領を譲った[3]。
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