京橋 (東京都中央区)
東京都中央区の町名 ウィキペディアから
東京都中央区の町名 ウィキペディアから
京橋(きょうばし)は、東京都中央区の町名。隣接する千代田区丸の内・大手町・有楽町、中央区八重洲・日本橋とともに、日本最大のビジネス街を構成している。
旧京橋区に当たる京橋地域内である。「京橋」の地名の由来は、かつて存在した京橋川に架けられていた中央通り(東海道)の橋である。かつては運河が生活に重要な役割を果たしていたため、橋は地域の象徴的な場所だった。東京15区時代に区名となり、今日でも地名として使用されている。現在、橋は存在しない。かつての橋としての京橋は、日本橋と並ぶ名橋であった。東海道にて日本橋を出発して京都方向に向かう場合、最初に渡る橋であったため重要な意味合いをもっていた。街としての京橋は橋の北側に位置する。東京メトロ銀座線の京橋駅を中心とした地域である。
北側で日本橋、西側で八重洲、南側で銀座と隣接する。清水建設、明治ホールディングス、ミツウロコグループホールディングス、ブリヂストン、パイロットコーポレーションなどの大企業の本社が所在しており、当地は八重洲や日本橋とともに東京駅界隈のオフィス街となっている。
江戸時代の京橋は、木造で、公儀橋であり、欄干の柱頭部に擬宝珠という飾りがついていた(他に擬宝珠があった橋は、日本橋と新橋のみ)[4]。京橋川の南側には竹を扱う職人が多く住み「竹河岸」が形成されていた。
1874年(明治7年)、金杉橋(現港区)との間にガス灯が設置された[5]。後に、このことを記念したガス灯が南詰に復元されている。
1875年(明治8年)石造りのアーチ橋に架け替えられた。肥後の石工である橋本勘五郎が施工。翌年には、京橋から新橋にかけて銀座レンガ街が完成し、京橋はモダンな銀座の北の入り口という位置づけになった。
1878年(明治11年)東京府京橋区が設置された。京橋が地名として認識され始めた。
1901年(明治34年)馬車鉄道の軌道が複線で併設された大型の橋であったが、交通量の増加が著しいため解体され、幅員18mの鉄橋に架け替えられた。
1921年(大正10年)京橋交差点に第一相互館が完成。京橋地区のランドマークとなる。
1923年(大正12年)関東大震災で銀座レンガ街は壊滅的な被害を受ける。
1947年(昭和22年)京橋区は日本橋区と合併し中央区になる。
1959年(昭和34年)京橋川が埋め立てられ、それに伴い京橋も撤去された。埋め立て箇所に東京高速道路が敷設された。京橋の欄干の親柱のみ記念碑として残されている。その一つは日比谷公園内にある。
1978年(昭和53年)の住居表示実施の際に東に隣接する宝町の町域が加わり、今日の京橋の町域となった。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
行政としては、中央区本庁の管轄に当たり、京橋地域とは、旧京橋区のうち月島エリアを除いた地域全体を指す(京橋区全域を指す場合もある)。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.