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鎌倉時代に存在したとされる宮家 ウィキペディアから
六条宮(ろくじょうのみや)は日本の皇室における御称号または宮号の一つ。宮家の初例とする説もあるが、現在の学界では否定する意見の方が強い。
後鳥羽天皇皇子の雅成親王は正治2年(1200年)の誕生直後、宣陽門院覲子内親王の養子となり、5歳の時に親王宣下を受けた。この時、雅成親王は宣陽門院の御所である「六条殿」で成長していたため「六条宮」と呼称されていた。その後、雅成親王は承久の乱により兄・順徳天皇に連座して但馬国に流され、「但馬宮」と称するが、一説では後に帰京し、再び六条殿に住まいしていた(異説あり)。
雅成親王の子息である権僧正源空(法然とは別人)、澄覚法親王は「六条宮」を名乗っていない。すなわち、「六条宮」はあくまで、雅成親王個人の御称号にすぎず、鎌倉時代後期になって成立した、天皇から分与された所領とともに子孫に相続される、宮号ではないとする学説が多かった。
ところが、近年になって「六条宮」の称号は雅成親王だけではなく、順徳天皇第五皇子の忠成王(雅成親王には甥にあたる)も称していたとする史料(高野山文書『宝簡集』二十「金銅三鈷相伝事書案」)の存在が指摘されている[1]。これは、六条宮が世襲される、後の宮号の最古の例であった可能性を示すものといえる。
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