報時球 (ほうじきゅう)またはタイムボール (英語 : time ball )とは、時刻を知らせる装置。これは、主に洋上の航海士 が緯度 を調べるのに使うマリンクロノメーター (英語版 ) の設定を確認するために、塗装された木製または金属製の大きなボールを所定の時刻に落下させるものである。海上で経度の測定を行うためには、正確なグリニッジ標準時 を示すクロノメーター と星の位置から現在地を知る天測 を用いる必要があったためである。
ロンドンのグリニッジ天文台 。 1833年に設置された報時球は、オクタゴンルームの上にある
報時球の本来の役割は水晶式電子時計や電波時計 に取って代わられたが[1] 、歴史的な観光資源 として現役で稼働しているものもある。
ボストンの報時球(1881)
古来より、小さなボールを落とすことで、人々に時刻を示すことが行われていた。プロコピオス の『建築史』でも記されている通り、アレクサンダー後の時代のガザ の街のように、街の主要な広場にはこの仕組みを用いた古代ギリシャの時計が設置されていた。時球儀は、太陽と星の位置の通過観測に従って時刻を設定する。元来、それらは天文台に設置するか、天文台の時間と厳密に合わせられた非常に正確な時計を手動で維持する必要があった。1850年頃に電信が導入された後、報時球は地方平均時 の発信源から離れた場所に配置され、遠隔操作されるようになった。
ニュージーランドのリトルトン 港の報時球は、1876年から、グリニッジ標準時 を港に停泊する船に知らせていた。リトルトン報時球局は、2010年から2011年にかけて地震で破壊されたが、2018年に再建され、運用を再開した[2] [3] 。
1829年、イギリス海軍 の艦長で発明家でもあるロバート・ウォーコップによって、報時球が初めてイギリスのポーツマス に初めて設置された[4] 。その後、リバプール など英国の主要な港をはじめ、世界の海運界で報時球は活躍した[4] 。うち1つは、1833年にロンドンのグリニッジ天文台 に王室天文官 ジョン・ポンド によって設置さた。元々はテムズ川のトールシップ がマリンクロノメーターを設定できるようにすることを目的にしたものであり[6] 、それ以来、報時球は毎日午後1時に落下していた[7] 。ウォーコップは、アメリカとフランスの大使がイギリスを訪れたときに、自らの計画を提出した[4] 。1845年、ワシントンDCにアメリカ海軍天文台 が設立され、アメリカ初の報時球が運用を開始した[4] 。
日本 においても、1903年に横浜 と神戸 [注釈 1] で報時球が運用を開始し、1908年に門司 、1923年に長崎 、1924年に大阪 にそれぞれ設置された。
報時球は通常、午後1時に落とされた(一方、米国では正午に落とされた)。約5分前に船の注意をひくために途中まで引き上げられ、その後2〜3分で完全に引き上げられた。報時は、球が底に達したときではなく、球が下降し始めたときをもってなされる[7] 。
しかし、1895年にグリエルモ・マルコーニ が無線通信 を実用化させると報時球は徐々に時代遅れになり[注釈 2] 廃止されていったが、第二次世界大戦 前後までは現役のシステムであったと考えられる[8] 。
コンセプトの現代版として、1907年12月31日以来、大晦日の お祝いの一環としてニューヨーク市 のタイムズスクエア で使用されている。午後11時59分から点灯したタイムズスクエア・ボール がワン・タイムズスクエア タワーの上のポールに60秒間下ろされ、年越し の瞬間に底に着くというものである。なお、1987年の大晦日では、閏秒 を考慮して、落下時間が61秒に延長された(実際には、うるう秒は5時間前のUTC 午前0時に世界中で適用されている)。このスペクタクルは、ウエスタンユニオンビルで稼働する報時球を見た主催者がインスパイアされて行われたものである[9] [10] 。
今日、60を超える報時球が残っているが、これらの多くはすでに機能していない。現存する報時球には次のものがある:
ニュージーランド
1864年3月、ニュージーランドで初めての報時球がウェリントンに設立された。その後、1867年6月にポート・チャーマーズ、1874年10月にワンガヌイ 、1876年12月にリトルトン 、1888年にティマルー がこれに続いた。 1864年以降、オークランド の一部の人々が報時球を設置しようとしたが、1901年8月にフェリービルディングに常設の報時球が取り付けられるまで、当局は承認しなかった。
1900年頃、第二の場所での報時球の様子(J Shed, Wellington Woolstore,)。
1913年頃のウェリントンのドミニオン観測所の時間信号
ウェリントンの報時球の運用は1864年3月に開始された[11] 。ドミニオン観測所から時刻情報を受け取り、それはリトルトンの報時球にも伝達された[12] 。ダニーデン は地元の観測所施設を利用した[11] 。
ウェリントンでは報時球が設置された場所が2箇所ある。最初に報時球はウェリントンのウォーターフロントにある税関の建物の上に1864年1月中旬に建立されたが[13] 、その後1888年にアキュムレータ 塔に移設された[11] 。この建物と報時球は1909年3月9日に全焼した[14] 。
焼失後、ウェリントンの報時球を交換する代わりに、ドミニオン天文台に光学式の時間信号が導入された。この最初の記録は、1912年2月22日である[15] 。この方式は、1937年に新しい計時方法として無線信号が採用されるまで続けられた[12] 。
1867年6月にポート・チャーマーズの観測点の上にオタゴ州議会によって設置された報時球は、当初日曜日以外の曜日の午後1時に稼働した。1877年10月に廃止されたものの、11人の船長からの懸念の声を受けて、1882年4月に週1回の運用が再開した。1910年に時報は廃止されたが、球は1931年まで警告装置として使用され続けた。1970年に撤去されたが、2020年に復元・再開された[11] 。
1876年12月に設立されたニュージーランドのリトルトンにあるリトルトン報時球局は、2010年のカンタベリー地震 で被害を受けるまで稼働していた。2011年2月のカンタベリー地震 でさらに深刻な被害を受け[16] 、危険であることから2011年3月に建物を解体することが決定された[17] 。しかし、その後2011年6月13日リトルトン地域を襲った地震 により塔が崩壊した[18] 。2012年11月、地域が検討したプロジェクトである塔の再建に貢献するため、多額の寄付金が寄せられた[19] 。2013年5月25日、塔と球が復元され、局の残りの部分を再建するために地域に対しさらなる寄付金が求められる旨が発表された。局は2018年11月2日に正式に再開された[20] [21] 。
スペイン
カディスのサン・フェルナンド にあるスペイン海軍王立研究所・天文台 (スペイン語版 ) では、毎日午後1時に報時球が稼働する。海上での計時技術の向上により、報時球は一度廃止されたが、20世紀後半に再び稼働している[23] 。
マドリッドのプエルタ・デル・ソル にあるレアル・カサ・デ・コレオス (スペイン語版 ) では、報時球を運営していた。今日では、新年を告げる鐘の音が間もなく始まることを示すためにのみ使用されている。スペインの主要なテレビネットワークがイベントを放送し、観客は伝統的な「12粒のブドウ (スペイン語版 ) 」を食べる。
イギリス
イングランド
ディール報時球
マーゲート・クロック・タワー
グリニッジ天文台
リーズ報時球
キングストン・アポン・ハル - 市庁舎に設けられた唯一の海上時計。歴史は1918年にまでさかのぼり、英国で最も高い[24] 。
イースト・サセックス
ブライトン時計塔 - 当初は1時間ごとに運用されていたが、騒音が大きかったため、後に停止された[25] 。
スコットランド
The Nelson Monument ,
Edinburgh , UK
Deal Timeball , Deal , UK
Gothenburg , Sweden
Guildhall , Kingston upon Hull , UK
Royal House of the Post Office , Madrid, Spain
Clock tower, Margate, Kent, UK
Clock tower , Brighton , UK
Time Ball,
Cape Town ,
South Africa
Time Ball,
Williamstown Lighthouse ,
Victoria ,
Australia
注釈
現在の花隈公園 に置かれ、落球と同時に午砲 を鳴らしていた時期があったことから、「ドン山」などと呼ばれて親しまれた。 報時球は1876年に設置され、1894年にダンツィグ(現在のグダニスク)灯台に移され、1929年に撤去された。 2008年に当初の設計図から復元された[22] 。
出典
“Time ball ”. Greenwich2000 . Greenwich Mean Time (2019年). 12 December 2019 閲覧。 “The HE TIME BALL ON GDAŃSK NOWY PORT LIGHTHOUSE ”. The Lighthouse Gdańsk Nowy Port. 2022年3月26日 閲覧。 “From 1901, when Guglielmo Marconi sent the first radio signal across the Atlantic from the Poldhu Lighthouse in Cornwall to the Signal Hill Lighthouse in Newfoundland, great changes took place in navigation. Time signals began to reach ships on all the oceans of the world by means of radio. By the early twentieth century the time ball had become an anachronism. In Gdańsk a radio station started in 1921 and one of its basic functions was to transmit an accurate time signal each noon. It was probably because of this that after the gale which wrecked it in 1929 there was no need to repair the Gdańsk time ball.” Kinns, Roger (2017). “The Principal Time Balls of New Zealand”. Journal of Astronomical History and Heritage 20 (1): 69–94. Bibcode : 2017JAHH...20...69K . Kinns, Roger (2017). “The Time Light Signals of New Zealand: Yet Another Way of Communicating Time in the Pre-Wireless Area”. Journal of Astronomical History and Heritage 20 (2): 211–222.