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清末期から中華民国初期の皇族、内閣総理大臣 ウィキペディアから
愛新覚羅 奕劻(あいしんかくら えききょう、アイシンギョロ・イクワン、満州語:ᠠᡳᠰᡳᠨ ᡤᡳᠣᡵᠣ
ᡳ ᡴᡠᠸᠠᠩ、転写:aisin-gioro i-kuwang、道光18年2月29日(1838年11月16日)[1] - 1917年(民国6年)1月28日)は、清末期から中華民国初期の皇族。乾隆帝の曾孫で咸豊帝は又従兄に当たる。
輔国公綿性(慶僖親王永璘の六男)の長男として誕生、伯父の鎮国公綿悌の養子に入る。
清の皇族は5人まで妻を持つことができたが、奕劻には6人の妻があった。このことからも彼が親王の中でも特別な地位にいたことが分かる。
6人の男子がいたが、三男・四男・六男は夭逝した。
この他に12人の女子がいたが、その中で三女・四女は常々西太后に付き従って遊んだり写真に写ったりしている。娘の1人は西太后の弟である承恩公桂祥(グイシャン)の息子に嫁いでいる。
過去の評価は「愚昧な汚職官吏」というものであった。しかし奕劻は清末の新政においてどちらかと言えば積極的な推進派であり、例えば沈家本の法制度構築を支持したりしている[3]。
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