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日本の政治家 (1985-) ウィキペディアから
斎藤 アレックス(さいとう あれっくす、1985年(昭和60年)6月30日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、教育無償化を実現する会政務調査会長。戸籍名は、斎藤 勇士 アレックス(さいとう ゆうし あれっくす)[1]。
1985年6月30日、スペイン・マドリードにスペイン人の父と、日本人の母の間に生まれる。5歳の時に日本に移り、大阪府の大阪市や守口市で育つ[3]。
バブル崩壊による景気の低迷もあり、1999年に父親が営んでいたスペイン料理店が閉店すると、父はスペインに帰ってしまい、母子家庭となる。母が朝から晩までパートを掛け持ちして育ててくれた姿を見て、「どうしたら経済が良くなるのか」という問題意識の芽生えから、政治家を志す[4][5]。
同志社大学経済学部卒業後、証券会社勤務を経て、2013年に松下政経塾に入塾。アメリカ合衆国のチャック・フライシュマン下院議員(共和党)のインターンなどを経験し、2017年卒塾[6]。同年4月より前原誠司衆議院議員の秘書を務める。
2018年10月、旧国民民主党が第25回参議院議員通常選挙京都府選挙区に斎藤を擁立すると発表したが、その後旧立憲民主党が同選挙区に候補者の擁立を決めたため、共倒れを回避するためとして、2019年4月に立候補を断念した[7]。同年、大津市に移住し、次期衆院選滋賀1区に立候補すると表明[8]。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙では、国民民主党公認で立候補し、小選挙区で自由民主党の大岡敏孝に敗れるも、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、初当選した[9][10][11]。
2022年2月20日、新型コロナウイルス陽性が判明。21日、衆議院は斎藤が感染したと発表した[12]。
2023年11月30日、国民民主党に離党届を提出し、前原誠司らとともに教育無償化を実現する会を結成した[13]。斎藤は政務調査会長に就任する[14]。その後、同年12月13日の国民民主党両院議員総会で、提出されていた離党届が受理されず、斎藤は「党の結束を乱した」ことにより除籍処分となった。なお、斎藤は比例選出議員のため、党から衆議院議員の辞職勧告も併せて受けている[15][16]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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比当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 滋賀県第1区 | 国民民主党 | 8万4106票 | 45.05% | 1 | 2/3 | 1/1 |
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