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札幌温泉電気軌道(さっぽろおんせんでんききどう)とは、1929年(昭和4年)から1933年(昭和8年)まで軌道(路面電車)事業を行なっていた日本の企業である。北海道札幌市の大通西23丁目から、中央区界川495(旭山記念公園駐車場に向かう南9条通(旭山公園通)沿い。界川1丁目、現:児童養護施設「南藻園」付近)にあった札幌温泉への輸送を行うために敷設した路線を運営した。
所有する車両は2両、総延長は2 km足らずのミニ鉄道で、さらには変電所が漏電火災で焼失したことから、1930年(昭和5年)頃にはガソリンカーに切り替えて社名も札幌郊外電気軌道としたが、利用が伸び悩んで1933年(昭和8年)には休線となり、復活することはなかった。
札幌温泉は、定山渓温泉から30 km余りの距離を配管で湯を運び浴場に注ぐという大掛かりな人工温泉浴場であったが、電車の消滅や配管システムのトラブルなどで数年間で営業を終えた。建物は廃墟となって、戦後の1953年(昭和28年)に跡地が鉄道弘済会に売却されるまで残っていた。また札幌温泉のあった付近は後年まで「温泉山」と呼ばれていた。
札幌温泉は、温泉を中心とした娯楽施設と宅地分譲を目的に設立された札幌温泉土地株式会社[1]により開発され、1926年(大正15年)5月9日に営業を開始した。泉源は定山渓温泉であり、導管により引湯していた。温泉の開発に並行して、輸送機関である札幌温泉電気軌道が設立され、札幌市電電停に隣接した南一條と温泉下とを結ぶ電気軌道の敷設特許を得て、1929年(昭和4年)6月末に営業を開始した。
初年度こそ約6万7千人の運輸実績をあげたが、開業から14か月余りで漏電による火災で変電所を焼失、札幌市電の架線より給電を受けて営業を続けたものの、札幌市への電力料金支払いが続かず給電を止められる事態となった。このため、変電所復旧までの期限付でガソリン動車の使用認可を得て運行を再開したものの、昭和恐慌と株価大暴落のあおりを受けて温泉の利用者数は激減、輸送量は大幅に低下した。1933年度(昭和8年度)を最後に監督局への報告も停止し、開業からわずか4年で事実上会社は実体を喪失した。
札幌温泉電気軌道(のち、札幌郊外電気軌道)は総延長2 kmに満たないミニ鉄道であったが、国鉄の琴似駅や桑園駅、あるいは山鼻方面への延長計画を打ち上げて増資を図り、系列の札幌鋼索鉄道(発起人総代奥村競)による円山 (札幌市)登山を目的とした鋼索鉄道敷設免許を申請(天然記念物円山原始林保存上支障アルノミナラズ収支償ハザルヲ以ッテ1935年却下[2])するなど、投機的要素の大きい会社であった。一方で、開拓促進を目的としないことから北海道拓殖鉄道補助に関する法律の対象とならず、経営は不安定であった。最終的には、許可を得ずに運輸営業を休止したことによって特許を取り消されるという、不名誉な最期を迎えることになった。
南一條 - 南三條 - 南六條 - 南七條 - 南八條 - 南九條 - 温泉下
年度 | 乗客(人) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
---|---|---|---|---|---|---|
1929 | 67,923 | 3,512 | 9,665 | ▲ 6,153 | 雑損328 | 1,479 |
1930 | 66,277 | 3,453 | 6,120 | ▲ 2,667 | 2,758 | |
1931 | 22,688 | 1,218 | 3,525 | ▲ 2,307 | 6,319 | |
1932 | 19,838 | 874 | 2,278 | ▲ 1,404 | 5,202 | |
1933 | 8,914 | 517 | 1,326 | ▲ 809 | 2,122 | |
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