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日本の編集者、プロデューサー ウィキペディアから
高須 基仁(たかす もとじ、1947年(昭和22年)12月9日 - 2019年(令和元年)9月17日)は、日本の出版プロデューサーで、モッツ出版株式会社の代表取締役。息子は編集者・格闘技ライターの高須基一朗。姪はフリーアナウンサーの高須沙知子。
静岡県掛川市出身[1]。静岡県立掛川西高等学校[2]、中央大学法学部卒業[3]。中央大学在学中は銀座松屋のおもちゃ売場でアルバイトをしながら[2]、全学連活動家として学生運動に従事[4]。1968年(昭和43年)の10・21国際反戦デーで、丸太を片手に防衛庁(現・防衛省)への侵入を図り、凶器準備集合罪と公務執行妨害の嫌疑で逮捕される[4]。
大学を卒業後、玩具メーカーのトミーに入社[5]。トミカ、プラレール、UNOなどの商品に携わる。1983年(昭和58年)にはUNOをヒットさせた功績で、サラリーマンながら玩具専門誌「トイジャーナル」の表紙を飾った[6]。しかし、任天堂が発売したゲーム&ウオッチに衝撃を受け36歳でトミーを退社。最後の肩書はマーケティング本部長だった。その後、芸能事務所、制作プロダクションの経営を経て、1992年(平成4年)にモッツ出版を設立。
島田陽子、天地真理などのヘアヌード写真集をプロデュースし、「ヘアヌード仕掛け人」「脱がせ屋」「毛の商人」とも呼ばれた。熟女にこだわる理由について、「女性の人生はカラダに出る。妊娠線、帝王切開線は女の勲章。垂れ乳、下がり尻、三段腹は三種の神器だ。女体からにじみ出る人生こそが究極の“美”だ」と語っていた[7]。
激高しやすい性格で、ロフトプラスワンなどのトークイベントで暴れる姿がよく見られた。特に田代まさしの出所会見イベントに乱入した様子はインターネット上のニュースサイト、動画サイトなどで取り上げられるなど拡がりを見せた。
人生の節目を拓郎とともに過ごしてきたと話す吉田拓郎の大ファンだった[8]。
2019年(令和元年)9月17日、肺がんのため東京都内の病院にて死去[9]。71歳没。
2019年(令和元年)10月30日、佐藤昇主催の高須基仁を偲ぶ会が行われた[10]。
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