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チュ・クオック・グー

ベトナム語のラテン文字 ウィキペディアから

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チュ・クォック・グーベトナム語Chữ Quốc Ngữ / 𡨸國語?)は、ラテン文字を使用してベトナム語を表記する方法。アクセント符号を併用することにより、ベトナム語の6声調を表記し分ける。

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上段がチュ・クオック・グー(𡨸國語)による表記で、下段はチュノム(下線部)と漢字による表記である。「私はベトナム語を話します」という意味。

「クォック・グー」とは「国語」のベトナム語読みであり、「チュ」は「文字)」のことなので、全体として「国語字」を意味する。

概要

1651年カトリック教会のフランス人宣教師、アレクサンドル・ドゥ・ロードが作成した『ベトナム語-ラテン語-ポルトガル語辞典』において、ベトナム語をラテン・アルファベットで表記したものを起源とする。ベトナムフランス植民地化後、公文書などで使用されるようになったことから普及し、1945年のベトナム独立時に、漢字チュノム(喃字)に代わり、ベトナム語を表記する文字としてデ・ファクトに採択され現在に至る。

現代ベトナムでの書記法では、手書きの場合は筆記体が主流である。チュ・クォック・グーを使った書道も見られる。

アルファベット・声調記号

要約
視点

通常使用される文字

使用しているアルファベットは、基本字26字から F, J, W, Z を除いた22字にダイアクリティカルマーク付きの7字を加えた次の29字である[1]。F, J, W, Z は外来語、借用語、造語でしか用いない。なお、下線をつけた母音字、子音字のみ音節末に立つことができる。

文字名と読み方はフランス語アルファベットの影響を強く受けており、以下の通りとなっている。

さらに見る 名前の読み, 大文字 ...

2字が組み合わさる子音

子音は特定の2字(ngh のみ3字)の組み合わせで別の音を表すものがある(二重音字三重音字)。下線をつけた子音字のみ音節末に立つことができる。

さらに見る 綴り, IPA表記 ...

通常は使用されない文字

F, J, W, Zの4字は過去には通常でも使用されていたが、現在は外来語、借用語、造語でしか使用されない。

さらに見る 名前の読み, 大文字 ...

声調記号

以下の6種類(うち1種類は記号なし)の声調記号を母音字(主母音、または、介母音)の上部(6.thanh nặng タィンナン (重調) のみは下部)に付記する(例:Ẫ, ở, ý, ặ)[4]

音節末子音「p, t, c/k, ch」は、「3.thanh sắc(鋭調)」と「6.thanh nặng(重調)」の2つの声調しか取らない。日本語表記にはよく促音「ッ」が用いられる。

音節末子音「m, n, ng, nh」においても、平仄bằng (平)の場合は、日本語表記にはよく長音記号「ー」が用いられ、trắc (仄)の場合は長音記号は不要。

さらに見る 番号, 声調名 ...

ここで示した声調値は五度式であり、5が最も高く、1が最も低いことを表す。


声調記号は単独で記載されることは無く、常に母音字に組み合わせて下表のように表記される。母音字はダイアクリティカルマーク付きのものを含めて12字存在するため、母音字と声調記号の組み合わせは72パターンとなる。ラテン文字表記の言語としては珍しく1文字に複数のダイアクリティカルマークを付した表記が多用されることが特徴的である。

さらに見る 番号, 声調名 ...


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分かち書き

分かち書きは、西欧言語で一般的な単位ではなく音節ごとに行う。固有名詞で複数音節の場合は、全音節の頭を大文字にする(例:○ Hồ Chí Minh, ✕ Hồ chí minh

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歴史

要約
視点
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アレクサンドル・ドゥ・ロードが作成した、ベトナム語のローマ字表記の辞書。チュ・クオック・グーの原型となった。
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1938年に北圻で発行された行政文書。左にはチュ・クオック・グーと漢喃文が併記され、右にはフランス語の訳と印章がある。
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チュ・クオック・グーで綴られた縦書き対聯Nhân Dân mãi mãi nhớ ơn người:人民は永遠に人(ホー・チ・ミンを指す)の恩を覚える/Tổ quốc đời đời ghi công bác:祖国は永久におじさん(ホー・チ・ミンを指す)に属する

ベトナムでは、公式な書き言葉として、20世紀に至るまで漢文が用いられてきた。また、漢字語彙以外のベトナム固有の語を表記するための文字であるチュノム13世紀に発明されて以降徐々に発展し、知識人の間などで使用されてきたが、漢字をより複雑にしたものであり習得が難しく統一した規範も整備されなかった。18世紀西山朝などの一時期を除き、公文書では採用されなかった。

1651年に、フランス人宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが、現在のチュ・クォック・グーの原型となるベトナム語のローマ字表記を発明したが、主にヨーロッパ宣教師のベトナム語習得用、カトリック教会内での布教用に使用されるのが主であり、一般のベトナム人に普及することはなかった。

こうした状況に変化を生じさせたのが、19世紀後半以降のフランスによるベトナム阮朝の植民地化である。まず、初めにチュ・クオック・グーの普及が始まったのは南圻(ナムキ:ベトナム南部)からである。1862年サイゴン条約によりフランスは柴棍(サイゴン:現在のホーチミン市)など南圻一帯を領有することとなったが、領有と同時に当該地域でのフランス語の公用語化、補助言語としてのチュ・クオック・グーによるベトナム語のローマ字表記化が図られた。1867年にはサイゴンにて、ベトナム初のチュ・クォック・グー紙である『嘉定報 (Gia Định báo)』が刊行されている。1887年清仏戦争に勝利したフランスは仏領インドシナを成立させ、阮朝の帝都・順化(現在のフエ)が所在する安南(中圻:チュンキ)、古都・河内(ハノイ)が所在する東京(トンキン、または北圻:バッキ)を含めたベトナム全域を植民地化、保護国化した。当該地域でもフランス当局は、フランス語とチュ・クォック・グー教育の推進を図ったが、チュ・クォック・グー教育はあくまでも補助的なものであり、最終的なフランス語の公用語化を円滑に進めるため、ベトナム語のローマ字化を図ったに過ぎなかった。ベトナムの伝統・文化を軽視するフランスの教育政策には反発が強く、漢文の素養を重んずる伝統的な知識人に受け入れられるところではなく、またローマ字表記のチュ・クオック・グーは蛮夷の文字であるとの認識は一般大衆の間でも根強かったことから、20世紀初めの段階では国民文字としてベトナム人の間で認識されるまでには至らなかった。

1906年に、フランス当局はベトナム人植民地エリートの養成を目的として、フランス語、チュ・クオック・グー教育を柱とした「仏越学校」を設立した。しかしチュ・クオック・グーは初等教育の3年間のみ教授され、漢文は中等教育での選択科目にとどめられるなど、フランス語を中心とした教育体制であることに変化はなかった。科挙においても、漢文に加えて、チュ・クオック・グー、フランス語の課目が必修となった。

この時期、支配を受けるベトナム人知識人の間からもチュ・クオック・グーを蛮夷の文字として排斥するのではなく、むしろ受容することにより、ベトナム語の話し言葉と書き言葉を一致させて民族としてのアイデンティティーを獲得しようとする動きも出てきた。1905年にはハノイで初めての漢文、チュ・クオック・グー併記の新聞『大越新報 (Đại Việt tân báo)』が創刊された。さらに1907年には、ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)らと共に当時のベトナム独立運動の中心にいたファン・チュー・チン潘周楨)により、ハノイに「東京義塾 (Đông Kinh Nghĩa Thục)」が創立され、同校では、漢文に加え、チュ・クオック・グー、フランス語が教授された。

フランス当局の後ろ盾により、総督府寄りの姿勢ではあったものの、チュ・クオック・グーを使用した文芸誌として、1913年にグエン・ヴァン・ヴィン(阮文永)主筆の『インドシナ雑誌(東洋雑誌/Đông Dương tạp chí)』、1917年にファム・クィン(范瓊)主筆の『南風雑誌 (Nam Phong tạp chí)』が創刊された。南風雑誌は、漢文とチュ・クオック・グーが併用されており、時期を経るごとにチュ・クオック・グーの使用比率が高まっていったことから、当時のベトナムの文字環境の推移に関する重要な研究材料となっている。

このように、チュ・クオック・グーが浸透した都市部では、新興のエリート層を中心にチュ・クオック・グーの識字率が高まり、伝統的な漢文・チュノム識字層を少しずつ圧倒していく形になった一方、地方では依然として漢学教育が権威をもっており、科挙の元受験生の私塾などに子を通わせる家庭も多かった。この時期には、識字率は低かったものの、チュ・クオック・グーと漢文・チュノムの両方(およびフランス語)を使いこなせるトップエリート層、漢文・チュノムしか読み書きできない伝統的な知識人層や、チュ・クオック・グーしか使いこなせない新興の知識人層が併存し、雑誌、書籍なども複数の文字により刊行されていた。

このような状況に終止符を打ったのが、1945年ベトナム民主共和国の独立であり、政府は、識字率の向上を意図して、チュ・クオック・グーをベトナム語の公式な表記文字とすることを定めた。現在のベトナムでは漢字、漢文の使用は廃され、ベトナム語はもっぱらチュ・クオック・グーのみにより表記されている。

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問題点

チュ・クオック・グーは、起源からしてフランスの植民地権力に近い側の知識人に由来するため、その綴りにはフランス語中心的な視点にたち、必ずしもベトナム語に適していないものもある。ベトナム語で同じ音素であっても、フランス語で書き分けるものやフランス人が聞いて違う音と判断したものは書き分ける。例として音素 k は、フランス語の規範にのっとり c、k、qu を使い分ける[要検証]。また、音素 g、ng も場合によって g、gh や ng、ngh と書き分けられる。

またチュ・クオック・グーは中国の拼音注音字母と違い、正式な文字として採用されたため、それまで多くの著作を著すのに使用されてきたチュノム表記ベトナム語や漢文を破滅に追いやったという側面もある。これも、チュ・クオック・グーは植民地権力がベトナムの儒教や仏教、そしてベトナムの文明を、フランス文明、キリスト教、西ヨーロッパ文明へと置き換えるための道具として利用した[要出典]ことに起因する。

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参考文献

  • 村田雄二郎、C・ラマール編『漢字圏の近代 ことばと国家』東京大学出版会, 2005年

脚注

関連項目

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