「ちひろの生まれた家」記念館
福井県越前市の施設 ウィキペディアから
「ちひろの生まれた家」記念館(ちひろのうまれたいえきねんかん)は、1918年(大正7年)12月15日に絵本画家のいわさきちひろが生まれた町家を改修し、一般公開している福井県越前市の施設である。
「ちひろの生まれた家」記念館 | |
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![]() 開館当初(2005年2月) | |
施設情報 | |
専門分野 | いわさきちひろ |
管理運営 | 一般社団法人 越前市観光協会 |
開館 | 2004年10月16日 |
所在地 |
〒915-0068 福井県越前市天王町4-14 |
位置 | 北緯35度53分59.5秒 東経136度10分0.9秒 |
外部リンク | http://chihironoie.jp/ |
プロジェクト:GLAM |
概要
いわさきちひろの母の岩崎文江は、奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)を1913年(大正2年)に卒業し、福井県南条郡武生町(現・越前市)の武生町立武生実科高等女学校(現・福井県立武生高等学校)に赴任した[1][2]。
1918年(大正7年)3月に陸軍の建築技師の倉科正勝と結婚後、単身赴任で武生にて勤務を続けていたが、5月に懐妊が判明、10月に出産準備として、学校近くの商家(質・古着商)の離れを借り[2]、雪の降る12月15日朝[3]にちひろを出産した[1]。なお、正勝は11月から翌年の2月まで、軍属としてシベリアに出征しており、ちひろ誕生時には不在であった[1]。
1919年(大正8年)3月、文江は武生の女学校を退職、4月に東京へ転居し、親子3人で暮らし始めた[1]。このように、ちひろは誕生地に100日余しか滞在しておらず、長い間、その場所が不明であったが、地元高校教諭の調査により、先の商家であることが判明した[4]。
この建物を市民有志の「いわさきちひろ生誕の地顕彰会」が購入し、2004年(平成16年)10月に記念館として開館したが、資金面から運営が難しくなり、2013年(平成25年)には一旦休館となった。その後、越前市観光協会が管理を引き受け、2014年(平成26年)4月から運営を再開した[5]。
展示
- 大正時代の町家をイメージした復元。
- ちひろの東京の自宅アトリエの再現。
- 絵本ライブラリー(ちひろの絵本、関連書籍)
- ギャラリー(ちひろ美術館と連携した企画展など)
- ミニシアター
利用情報
- 開館時間:10時 - 16時
- 休館日:毎週火曜(祝日の場合は翌日)、年末年始休館
交通アクセス
周辺
脚注
関連項目
外部リンク
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