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おきざりにした悲しみは

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おきざりにした悲しみは」(おきざりにしたかなしみは)は、よしだたくろう(現・吉田拓郎)の6枚目のシングル1972年12月21日発売。発売元はOdyssey/CBS Sony

概要 「おきざりにした悲しみは」, よしだたくろう の シングル ...

オリジナルアルバム未収録であり、1975年に発売された『よしだたくろう 1971〜1975』をはじめ、『よしだたくろう ベスト・セレクション』や『吉田拓郎 THE BEST PENNY LANE』、『From T』などのベストアルバムに収録されている。

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背景

拓郎は広島から上京して間もない頃、ラジオ関東の『スペース・カプセル』で森山良子と会い[2]、馬が合ったことから1973年1月7日に渋谷公会堂でジョイント・コンサートを行った[2]。『週刊明星』はこの組み合わせを「73年フォーク界の男女両横綱であることは間違いなし」と評した[2]。お客はほとんど拓郎目当ての女の子で埋められた[2]。それぞれの持ち歌を歌った他、「この広い野原いっぱい」と「旅の宿」をデュエットした[2]。拓郎は前年1972年に大ブレイクを果たした実績から「これまでのフォークは仲間うちだけではしゃいで満足していた。それも音楽的にあまり高くない水準でな。そんなんじゃもう通用しない、73年はフォークも一時のブームに頼ることを許されず、純粋に音楽性をどう追求するかが問われる。これからはフォークも確固たる自分のメロディ、詩を持たなければならない」などと爆弾発言した[2]

制作

前作「旅の宿」に引き続き、作詞を岡本おさみが担当したシングルである。

レコーディングは、柳田ヒロチト河内高中正義、拓郎の4人のみで行われた[3]

拓郎はこの年夏のシングル旅の宿」、アルバム元気です。』のメガヒットで年収が1億円を超え[4]、1ステージのギャラは70万円に跳ね上がったと言われた[4]。2箇所住んだ高円寺マンションは、どちらも酒と賭けごと目当ての来客が多く[4]、手狭になったため、またフォークシンガーとして初めて商業的な成功を収めたこともあって[4]、マスメディアからあることないこと色々書かれたこともあり[5]、8月いっぱいで高円寺を引き払い中目黒に引っ越した[4]。フォークが音楽誌だけでなく、一般の週刊誌にも取り上げられるようになったのは、吉田拓郎の成功があった以降の話で[5]、これほどの成功を収めてもまだ「吉田拓郎はダメになった」と叩く者がいた[5]。心機一転での新作シングルとなる[4]

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影響

原田宗典の2024年の著書『おきざりにした悲しみは』(岩波書店)は、本曲から着想を得たという[6]

収録曲

Side:A

  1. おきざりにした悲しみは(3分59秒)
    作詞:岡本おさみ

Side:B

  1. 花酔曲(4分7秒)
    作詞:吉田拓郎

脚註

関連項目

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