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おわりの美学
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『おわりの美学』(おわりのびがく)は、三島由紀夫の評論・随筆。初稿の旧仮名遣いでは『をはりの美学』となる。
『不道徳教育講座』と同系列に属する随筆で、若い女性向けに様々な日常の「おわり」の考察を、機知、逆説、笑いにあふれた趣で綴りながら、鋭い社会評や人生観、終末観を展開している[1]。青年時代から生涯かけての作家人生において「おわり」を書きつづけた三島が、自身の心境を随所に覗かせているエッセイである[2]。
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発表経過
1966年(昭和41年)、週刊誌『女性自身』2月14日号から8月1日号まで「{をはりの美学}講座」として連載された(7月18日号は休載し、「ビートルズ見物記」を掲載)[3]。単行本は、1970年(昭和45年)10月15日に文藝春秋より刊行の『行動学入門』に収録された[4][5]。
内容
「結婚のをはり」、「電話のをはり」、「流行のをはり」、「童貞のをはり」、「OLのをはり」、「尊敬のをはり」、「学校のをはり」、「美貌のをはり」、「手紙のをはり」、「芝居のをはり」、「旅行のをはり」、「喧嘩のをはり」、「個性のをはり」、「正気のをはり」、「礼儀のをはり」、「見合ひのをはり」、「宝石のをはり」、「仕事のをはり」、「梅雨のをはり」、「英雄のをはり」、「嫉妬のをはり」、「動物のをはり」、「世界のをはり」の23項目に分かれ、様々な物事のおわりを考察しつつ、三島の人生観や美意識が述べられている。
執筆意図
三島は『をはりの美学』について、若い女性読者を対象に読みやすさ、わかりやすさを主眼にして書き、「半分ふざけている」ために、「ふざけたことがきらひな人を怒らせるかもしれない」としながら、以下のように語っている[6]。
まじめで良心的なのも思想だが、不まじめで良心的といふ思想もあれば、又、一番たちのわるいのに、まじめで非良心的といふ思想もある。私はこの第三の思想にだけは陥りたくないと、日頃自戒してゐる者である。この本は、私の著書の中でも、軽く書かれたものに属する。いはゆる重評論ではない。しかしかういふ軽い形で自分の考へを語つて、人は案外本音に達してゐることが多いものだ。注意深い読者は、これらの中に、(私の小説よりもより直接に)、私自身の体験や吐息や胸中の悶々の情や告白や予言をきいてくれるであらう。いつか又時を経て、「あいつはあんな形で、かういふことを言ひたかつたんだな」といふ、暗喩をさとつてくれるかもしれない。 — 三島由紀夫「あとがき」[6]
作品評価・研究
『をはりの美学』は、日常的に女性が関心のある話題を題材にして、その〈をはり〉をユーモラスに軽い文体で綴ったもので、若い女性向けの人生や恋愛の手引書的な趣のあるエッセイであるが、その中には三島の本音が垣間見られ、随所に死に方についても語られており、「男の美学」も盛り込まれている人生論となっている[7]。
荻久保泰幸は、「三島一流の皮肉・警句を適当に糖衣に包んだ行間に、現代社会への怒りが噴出している」のが、〈満天下の青年男女よ、一日も早く動物を卒業して、日本文化の本質にかへりたまへ〉と三島が言うところに見られるとし[8]、さらに、「笑いやくすぐりをふりまきながらいかに生きるべきかを語っているようにみえて、実はいかに死ぬべきかを語っている」と解説している[8]。
中野裕子は、三島が〈芝居のをはり〉の中で、〈人生のをはりと芝居のをはり〉を比較しながら、芝居の成功の後の幕が下りた舞台に立つ劇作家としての自身の感慨を〈何か人生の大きなガランとした虚無とつながつてゐる〉と語るくだりは、三島が創造した芸術作品と、実生活の虚無との関係が暗示されているとし[7]、〈童貞のをはり〉の中で、性交の後に雌に食い殺されるカマキリの〈雄の宿命〉や、特攻隊が死の前夜に女を知る例えから〈男にとつては生へぶつかつてゆくのは、死へぶつかつてゆくのと同じことだ〉と語る論理は、三島が影響を受けた「バタイユ的エロティシズムの形」(生と性と死を結ぶもの)であると解説している[7]。
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おもな収録刊行本
単行本
全集
- 『三島由紀夫全集32巻(評論VIII)』(新潮社、1975年12月25日)
- 『決定版 三島由紀夫全集33巻・評論8』(新潮社、2003年8月10日)
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脚注
参考文献
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