トップQs
タイムライン
チャット
視点
さっぽろ丸
日本の船舶 ウィキペディアから
Remove ads
Remove ads
概要
林兼造船下関工場で建造され、東京 - 苫小牧航路に1974年8月2日に就航した。本船の就航により、しれとこ丸、えりも丸と合わせて同航路は毎日運航となり、フジフェリーから用船されていたいせ丸は返却、しま丸は8月中に限って臨時便として運航された後、返却された[4]。竣工前の1973年には川崎近海汽船の貨物フェリー4隻を用いた東京-苫小牧航路進出計画に対抗する形で1976年までの竣工予定で旅客定員を400名に縮小した本船の準同型船3隻の建造計画を含む増便案が検討されたものの[5]、1974年6月に旅客フェリーの増便計画を取り下げ1975年に共有船1隻を含む貨物フェリー3隻を用いて川崎近海汽船と共同事業を行う形に変更された[6]。
1985年には負荷を軽減する過給器の換装やイベントホール利用に対応した客室改造を行った上で3月16日に大洗 - 苫小牧航路の第一船として転配されたが[7]、1987年6月のおおあらい丸の就航により再び東京 - 苫小牧航路に転配された[8]。1990年、ブルーハイウェイラインへの社名変更に伴う「さんふらわあ」へのブランド統一で、1991年にさんふらわあ さっぽろに船名を変更した。
1997年、大阪 - 志布志航路に転配されたが、1998年、さんふらわあ つくばの就航によりさんふらわあ おおあらいが大阪 - 志布志航路に転配され、本船は引退した。
その後、ギリシャのStrintzis Lineに売却され、Ionian Victoryとなり、就航した。 2000年にブルースターフェリーに売却され、Blue Skyとなった。 2004年にAgoudimos Linesに売却され、Ionian Skyとなった。 2013年にネル・ラインズに売却されたが、9月に機関故障により係船された。
Remove ads
設計
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
船体は上部からA - Fデッキとなっており、Eデッキが上甲板で、A - Cデッキが旅客区画、D - Fデッキが車両搭載区画となっていた。車両搭載区画は、D・Eデッキが大型車、Fデッキが乗用車区画で、ランプウェイは船首(バウバイザー付)、船尾両舷に装備されていた[2]。
船内
- プロムナードデッキ
- 特等客室[3](洋室12室・和室2室)
- Aデッキ
- Bデッキ
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads