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ちょうちょう (唱歌)

日本の唱歌 ウィキペディアから

ちょうちょう (唱歌)
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ちょうちょう』は、欧米各国に伝わる童謡日本で独自の歌詞を付けた唱歌

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「ちょうちょう」の原曲とされる「Hänschen klein」の楽譜(Picking Haenschen klein einfach.mid メロディ[ヘルプ/ファイル]

原曲

要約
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かつてはスペイン民謡が原曲と言われていたが、現在ではドイツの古い童謡「Hänschen klein」(訳:「幼いハンス」)という曲が原曲とされている[1]

これはドイツ東部・ドレスデンの教師だったフランツ・ヴィーデマン(Franz Wiedemann, 1821年 - 1882年)が作詞したものである。この歌詞には、子供たちに別離・出発・悲しみからの回復を経験させるという教育上の目的があった。1番で幼い「ハンスちゃん」(Hänschen)が旅に出て母親が見送り、2番で7年の放浪と遍歴の末に「ハンスちゃん」は日焼けした大人の「ハンス」(Hans)へと変わり、3番ですっかり大きくなったハンスが故郷に戻り、あまりの変わり様にだれにもハンスだと分かってもらえないが、再会した母親はすぐにハンスだと分かってくれた、という内容であった。そのモチーフは、ヨハン・ネポムク・フォーゲル(Johann Nepomuk Vogl, 1802年 - 1866年)の書いた、旅する男がついに母親のもとへと帰ってくるという詩『Das Erkennen』と共通するところがある[2]

ヴィーデマンはこの詩を、狩りの歌として知られていた『Fahret hin fahret hin』のメロディーにあてはめた[3]。この曲は、ヨハン・グスターフ・ゴットリープ・ビューシンク (de) とフリードリヒ・ハインリヒ・フォン=デア=ハーゲン (de) により1807年に出版されているが、その起源はより古く、成立は18世紀初頭よりも前と考えられている[4]

さらに見る ドイツ語, 日本語(訳) ...

Hänschen klein」は、米国では「Lightly Row」という表題でドイツの歌詞とは無関係にボートを漕ぐ様子を歌った曲になり、19世紀前半には広く知られる童謡となっていた[1]1875年(明治8年)から1878年(明治11年)まで米国へ留学した教育学者伊沢修二1851年 - 1917年)がブリッジウォーター師範学校英語版ルーサー・メーソン1818年 - 1896年)よりこの曲を教わり、日本へ紹介したのではないかと推測されている[5]

「Lightly Row」に対しては、小林愛雄1881年 - 1945年)が「軽く漕げ」の表題で英語の歌詞を日本語訳した詞が存在する[6]

さらに見る 英語, 日本語(訳詞:小林愛雄) ...
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唱歌「蝶々」

伊沢が紹介した曲には野村秋足1819年 - 1902年)が独自に歌詞を付け、1881年文部省が発行した『小学唱歌集』初編に「第十七 蝶々」の表題で掲載された[7]。ただし、この歌詞と似た詞の童謡[8]清元[9]は江戸時代から全国各地で知られており、野村も現在の愛知県岡崎市一帯で歌われていた童歌の詞を改作して「Lightly Row」の曲に当てたとされている[10]磯田光一は『鹿鳴館の系譜』にて香川景樹の旧派和歌からの影響を指摘している。また、東京師範学校東京教育大学筑波大学の前身)の音楽教師で「蛍の光」(原曲はスコットランド民謡)などで知られる稲垣千頴が2番を作詞しており、1896年(明治29年)に発行された『新編 教育唱歌集』では3・4番も追加されているが3番以降については作詞者不明となっている。

なお、曲については伊沢が「原曲はスペイン民謡」として紹介したことから長らく伊沢の紹介に疑義が挟まれることは無く、近年まで多くの文献に「作曲:スペイン民謡」と掲載されていた[1][10]

一、(野村秋足作詞)
蝶々 蝶々 菜の葉に止れ
菜の葉に飽たら 桜に遊べ
桜の花の 栄ゆる御代に
止れや遊べ 遊べや止れ
二、(稲垣千穎作詞)
おきよ おきよ ねぐらの雀
朝日の光の さきこぬさきに
ねぐらをいでて 梢にとまり
あそべよ雀 うたへよ雀
三、(1896年追加・作詞者不明)
蜻蛉(とんぼ) 蜻蛉 こちきて止まれ
垣根の秋草 いまこそ盛り
さかりの萩に 羽うち休め
止まれや止まれ 休めや休め
四、(三番に同じ)
燕(つばめ) 燕 飛びこよ燕
古巣を忘れず 今年もここに
かへりし心 なつかし嬉し
とびこよ燕 かへれや燕

1947年の改作

現在、広く知られているバージョンは太平洋戦争終結後の1947年(昭和22年)に文部省が発行した『一ねんせいのおんがく』において野村が作詞した原曲を改作すると共に2番以下を廃止したものである。この改作に関しては「栄ゆる御代に」はGHQが教育現場からの排除を主張していた皇室賛美と取られるフレーズであること、2番以下の廃止は表題の「ちょうちょう」と無関係な鳥や昆虫に関する描写を排除して曲の主題を明確にしたものと解されている。

(1947年改作版)
ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ
菜の葉にあいたら 桜にとまれ
桜の花の 花から花へ
とまれよ遊べ 遊べよとまれ

2010年保育士試験課題曲に取り上げられた[11]

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編曲

各国語版

この原曲は様々な国や地域の言葉に比較的自由に翻訳されていて、フランス南アフリカイスラエルなどでは原曲のある「幼いハンス」であるが、英語圏ではマザー・グースにある「ゆっくり漕いで」(Lightly Row)、インドネシアスンダ語)では「私の人形」、日本朝鮮台湾では「ちょうちょう」などとして歌われている[12]

脚注

関連項目

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