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ときめきマリン
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『ときめきマリン』は、1987年5月2日[1]から1991年9月29日[3]にかけてテレビ東京で放送された観光案内番組。1991年10月6日[4]から1994年3月27日[2]にかけて続編である『ときめきマリンII』が放送された[5]。テレ東系では日本船舶振興会(現日本財団)、並びにその関連の団体であるB&G財団が協賛していた。テレ東での放送終了後も、放送番組センターの配給により少なくとも2003年頃まで地方独立局で放送された。
番組の構成は、若い女性がレポーター(VHS, LDではモデルと表記[6])となって世界各地のダイビングスポットを紹介するというものが多い。番組のキモとしてレポーター自身が海に潜って水中の光景や生物をレポートする。現地では陸上の観光地も紹介する。回によっては各種アクティビティ(主としてウォータースポーツ)を紹介することもある。番組を再編集したVHS・LD(1991年に発売された10巻)は、毎日新聞に「美しい映像」「さわやかなサウンドが涼しい気分にさせてくれる」と報じられた[7]。
以下、特に断りなく『ときめきマリン』を「I」、『ときめきマリンII』を「II」と表記することがある。
企画・制作を担当したベルグコーポレーションはこの作品で水中映像制作会社としての地位を確立した(同社公式サイトによる)[5]。撮影協力はクルーズ・コミュニケーションズ[8]。
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関係者のその後
出演者
- 西井里佳 - レポーター[9]
- 大西浩美 - 「I」「II」レポーター。『ときめきマリン』と並行して『日立 世界・ふしぎ発見!』のミステリーハンターも務める[10][11]。2024年現在女優として活動[12]。娘の
上野鈴華 は、女優である[13]。 - 蓮舫 - レポーター[14]。1992年頃から報道・情報番組に主軸を移し、2004年から政治家。
- 友田由里子 - レポーター。2006年9月25日、セストセンソ株式会社設立。2024年現在同代表取締役[15]。ちなみに『ずっとあなたが好きだった』(1992年7月3日 - 9月25日)冒頭のタイトルバックで潜水を披露していた。
- 深野晴美 - 「I」レポーター(1987年[16])。確認可能な活動は1990年頃まで。1994年、結婚。1999年に写真集が出ているが復帰であると断言できない。
- 湯川愛子 - レポーター。
- 松永琴 - 「II」レポーター。『週刊現代』の報道によると当時25歳、161センチ、82-58-84[17]
- 西澤史子 - レポーター。2013年1月17日より株式会社ループ代表取締役社長。主著『成功をつかむ3%の男がやっていること』『話す力をお金に変える習慣』[18]
- 金沢寿一 - 「II」ナレーター。2003年、ナレーター事務所「ビートワン」設立[19]
スタッフ
- 西山卓樹 - 「II」水中カメラマン。ウコンハネガイの発光に遭遇[20]
- 高橋誠二 - 「I」技術。2024年現在有限会社メディコムタカハシ代表取締役[21]
- 小林正治 - 「I」ディレクター。2019年頃株式会社スタッフQ代表取締役社長[22]
- 須原直人 - ディレクター。2024年現在フリーのディレクター集団「DNA」メンバー[23]
- 長南武 - 「II」ディレクター[24]。1992年の「競艇選手・海野ゆかり」の回を担当。スポーツを中心としたドキュメンタリー映像番組の取材・演出を手掛ける。2024年現在早稲田大学非常勤講師・早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員[25]
- 山口真名 - プロデューサー(テレビ東京)
- 三上徹 - 「II」放送作家。2024年現在株式会社オフィス・トゥー・ワン所属[26]
- 山崎純 - 放送作家。
その他
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その他
1994年1月3日放送分の「II」を監修した奥谷喬司(当時東京水産大学教授)は、期せずしてウコンハネガイの発光を目撃してしまい驚いた。それに関する論文を『貝類学雑誌』に残した[28]
映像ソフト
要約
視点
TOKIMEKIマリン
発売元はポリドール[5]
ベストダイビング ときめきマリン
マリンパラダイス
発売元は日本コロムビア
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放送時間
いずれもテレビ東京の時間帯とする(出典:[31])。
放送局
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脚注
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