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アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ
ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
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アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ(Augusto Pedro de Sousa, 1968年11月5日 - )は、ブラジル・ブラジリア連邦直轄区ブラジリア出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
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来歴
11人兄弟の家に生まれ、 17歳でSEガマに入団した[1]。ブラジルでは計7チームを渡り歩いた。5年間在籍したゴイアスECでは、これまでのプレーしてきた中盤からサイドの選手へとコンバートされた[1]。また、日本でもプレーしたバウタザールともプレーし、後の日本移籍へと繋がった[1]。コリンチャンス時代にはブラジル全国選手権、FIFAクラブ世界選手権の優勝を経験した[1]。
そして2001年にはジーコから直接勧誘され、負傷欠場した相馬直樹らの穴を埋める形でセカンドステージより鹿島アントラーズに加入した[1]。デビュー戦となったコンサドーレ札幌戦でいきなり得点を挙げるなど[2]、豊富な運動量を武器とした攻め上がり、フリーキックやヘディングなど超攻撃的な左サイドバックとして活躍、この年のセカンドステージでは、13試合5得点の活躍でステージ優勝に貢献[1]、この年アントラーズを2001年Jリーグ年間王者に導いた。
2003年からは川崎フロンターレに移籍し、3シーズンプレーした。2003年は41試合で17得点を決めた。翌2004年はJ2優勝、J1昇格に大きく貢献した。また試合においての戦う姿勢など、中村憲剛にも大きな影響を与えたという[3]。
2005年、家族たっての希望により川崎フロンターレを退団してブラジルに帰国することとなった[4]。2006年は故郷のクラブ、ブラジリエンセFCでプレー。
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所属クラブ
- 1989年 - 1990年
SEガマ
- 1991年
ピレス
- 1992年 - 1996年
ゴイアスEC
- 1997年 - 1999年
アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス
- 1999年
SCコリンチャンス・パウリスタ
- 2000年
ボタフォゴFR
- 2000年
アメリカFC (ミナスジェライス州)
- 2001年 - 同年7月
ボタフォゴFR
- 2001年7月 - 2002年
鹿島アントラーズ
- 2003年 - 2005年
川崎フロンターレ
- 2006年
ブラジリエンセFC
- 2007年
SEガマ
- 2008年
パラノアEC
- 2009年
ブラジリアFC
個人成績
- その他の公式戦
- 2001年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2002年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 国際大会
- アジアクラブ選手権 6試合1得点
タイトル
選手時代
クラブ
- 鹿島アントラーズ
- 川崎フロンターレ
指導歴
- 2010年
ブラジリアFC
- 2010年
アソシアソン・ボタフォゴFC
- 2012年
SEガマ
- 2015年
ゴイアスEC(暫定)
- 2017年
ソブラジーニョEC
- 2017年
ゴイアスEC U-20
- 2018年
ゴイアスEC(暫定)
- 2020-21年
ゴイアスEC
- 2022年
ナショナル・アトレチコ
- 2022年
ウリアス
- 2023年
モリニョス
脚注
関連項目
外部リンク
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