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相馬直樹
日本のサッカー選手、監督 ウィキペディアから
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相馬 直樹(そうま なおき、1971年7月19日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック、センターバック)、ミッドフィールダー(ボランチ)。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了。
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経歴
要約
視点
清水東高校から早稲田大学を経て、1994年、鹿島アントラーズに入団。不動の左サイドバックとしてチームの黄金時代に貢献。1994年6月15日のジュビロ磐田戦ではジーコの現役ラストゴールをアシストした[1]。1995年4月15日のガンバ大阪戦でJリーグ初ゴールを決めた[2]。
1997年には1998 FIFAワールドカップ・アジア予選で日本のワールドカップ初出場に貢献、1998 FIFAワールドカップでも全3試合に出場、トルシエ監督就任後も代表に招集され、1999年のコパ・アメリカにも出場、日本代表として58試合に出場した。第80回天皇杯全日本サッカー選手権大会(2000年)で左膝外側半月板損傷の重傷を負い、1年近くをリハビリに費やした。
2002年、東京ヴェルディ1969に期限付き移籍、2003年に鹿島に復帰後、2004年に川崎フロンターレに完全移籍して川崎のJ1昇格に貢献し、2005年シーズン終了をもって引退。引退試合は2005年12月24日の天皇杯、対浦和レッズ戦。
引退後はサッカー解説者として主にTBS系列やスカパー!の中継番組に出演。また2006年からはJFAアンバサダーや川崎フロンターレクラブアシストパートナーとしても活動、新聞、雑誌等にも多数寄稿していた。
2009年8月にU-20日本代表のナショナルトレセンコーチを務めた他、同年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得した。
2010年、JFLに所属するFC町田ゼルビアの監督に就任。ワールドカップを経験した日本人選手の中では初の監督就任となった。クラブからの慰留を辞退し[3]、同年限りで監督を退任。
2011年、川崎フロンターレの監督に就任。一時は残留争いに巻き込まれるなど11位に低迷。2012年も開幕2連勝のあと公式戦5戦勝ちなしと低迷を抜け出せず、2012年4月11日に監督契約を解除された[4]。スポーツナビのコラムでは、消極的な采配で選手の信頼を失ったと解説されている[5]。
2013年、モンテディオ山形のヘッドコーチに就任[6]。同年シーズン限りで退任した[7]。
2014年、4年ぶりに町田の監督に就任[8]。
2014年11月27日、2015年シーズンも引き続きFC町田ゼルビアの指揮を執ることが発表された[9]。
2019年11月27日、町田の監督を退任すると発表された[10]。
2020年1月、鹿島のトップチームのコーチに就任した[11]。
2021年4月、ザーゴ監督の解任を受け鹿島アントラーズの監督に就任した[12]。しかし同年限りで退任することを12月5日に発表[13]。
2022年5月26日、霜田正浩監督の解任を受け、大宮アルディージャの監督に就任した[14]。
2023年5月19日、チームがJ2最下位となったことにより解任された[15]。
2024年11月14日、鹿児島ユナイテッドFCのGM兼監督に就任を発表[16]。
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所属クラブ
- 高部小スポーツ少年団
- 清水市立第六中学校
- 1987年 - 1989年 静岡県立清水東高等学校
- 1990年 - 1993年 早稲田大学ア式蹴球部
- 1994年 - 2003年
鹿島アントラーズ
- 2002年
東京ヴェルディ1969 (期限付き移籍)
- 2002年
- 2004年 - 2005年
川崎フロンターレ
個人成績
- その他の公式戦
- 1996年
- サントリーカップ 2試合0得点
- 1997年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1998年
- スーパーカップ 1試合1得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1999年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2000年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- その他の国際公式戦
- アジアクラブ選手権 10試合0得点
- アジアカップウィナーズ選手権 5試合0得点
- A3チャンピオンズカップ 3試合0得点
- 出場歴
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 58試合 4得点 (1995-1999)
出場
得点
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指導歴
監督成績
- 2012年、2023年は解任時点の成績。
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タイトル
選手時代
クラブ
- 鹿島アントラーズ
- J1リーグ : 4回 (1996年、1998年、2000年、2001年)
- J1リーグ 1stステージ : 1回 (1997年)
- J1リーグ 2ndステージ : 3回 (1998年、2000年、2001年)
- Jリーグカップ : 2回 (1997年、2000年)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会 : 2回 (1997年、2000年)
- スーパーカップ : 3回 (1997年、1998年、1999年)
- 川崎フロンターレ
個人
- Jリーグベストイレブン:4回 (1995年、1996年、1997年、1998年)
- AFC All Star Team (1997年)
- フェアプレー個人賞 (1998年)
- Jリーグ功労選手賞 (2006年)
- 鹿島アントラーズ功労賞 (2009年)
監督時代
個人
- J1リーグ月間優秀監督賞:2回 (2021年5月、12月)
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出演
脚注
関連項目
外部リンク
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