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中村憲剛

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

中村憲剛
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中村 憲剛(なかむら けんご[2]1980年10月31日 - )は、東京都小平市生まれ、小金井市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションミッドフィールダー(主にトップ下ボランチ)。元日本代表

概要 中村 憲剛, 名前 ...

プロデビューから引退まで川崎フロンターレ一筋でプレーしたバンディエラ。引退後はクラブのリレーションズ オーガナイザー(FRO)を務める[3]

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経歴

要約
視点

プロ入り前

小学1年生でサッカーを始め、府中市府ロクサッカー少年団に所属。少年団の先輩に澤穂希、後輩に保坂一成がいる。5年生時に全日本少年サッカー大会でベスト16。6年生時に8回東京都少年選抜サッカー大会では開会式で選手宣誓を務め、飯尾和也高橋泰星大輔らと共に大会優秀選手10名に選ばれた。

小金井市立第二中学校、東京都立久留米高等学校を卒業後、中央大学文学部文学科英米文学専攻に進学[4]。2年時にレギュラーを掴む。3年時は[5]関東大学リーグ1部で最下位に終わり2部降格。4年時は主将として2部優勝を果たし1部復帰。後に結婚する夫人は、苦楽を共にしたサッカー部マネージャーであった。

川崎フロンターレ

2003年、テスト生として参加していた川崎フロンターレに正式入団。開幕戦となるサンフレッチェ広島戦で初出場、4月9日モンテディオ山形戦ではプロ入り後初得点を挙げた[6]

入団当初はいわゆるトップ下と呼ばれる攻撃的ミッドフィールダーだったが、2004年関塚隆監督の提案でボランチコンバートした[7]2004年のJリーグ ディビジョン2で優勝し、J1に昇格した。

2005年8月24日、20節の横浜F・マリノス戦で[8] J1初得点。

2006年イビチャ・オシムが就任後、A代表に初選出。10月4日ガーナ戦で初出場、10月11日インド戦で代表初得点[1]。日本代表メンバーに定着。クラブ史上初のJリーグベストイレブン谷口博之と共に選出され、以降4年連続でベストイレブンを受賞している。

2010年2月23日、AFCチャンピオンズリーグ2010城南一和戦で下顎骨骨折するも、南アフリカワールドカップ最終メンバーに選出。決勝トーナメント第一戦のパラグアイ戦に出場した[1]

同年オランダPSVからオファーを受けたが、「練習参加から拾ってもらった身。何も残さないままいなくなれない」[9]、とチームに残留した。

2011年10月11日の2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選タジキスタン戦では約1年ぶりに先発出場すると、1得点3アシスト[10][11]

2012年、キャプテンとして全34試合に出場し5得点、リーグ最多の13アシスト。

2013年、加入した大久保嘉人レナトと共に川崎の攻撃の中心となった。リーグ戦で29試合7得点を記録。アジアチャンピオンズリーグへの出場権獲得した。

2014年、5月12日の2014 FIFAワールドカップ日本代表予備登録メンバーに選出された。

2016年、7月9日の名古屋グランパス戦においてイ・スンヒからタックルを受け負傷退場。中村は右足関節捻挫、長母趾伸筋挫傷、長趾伸筋挫傷の怪我を負うも[12] 最終的には9ゴール11アシスト。歴代最年長の36歳でJリーグ年間最優秀選手賞を獲得した。

2017年から、3年間務めてきた川崎の主将を小林悠に譲った。10月14日、第29節のベガルタ仙台戦でJ1リーグ通算400試合の出場を達成。第34節の大宮アルディージャ戦では3得点の起点となり[13]、チームの勝利に貢献。クラブ初のJ1優勝に貢献した[14] 同年史上最年長となる36歳50日でのJリーグ年間最優秀選手賞受賞がギネス世界記録に認定された[15]

2018年シーズン、5月20日、清水エスパルス戦で2得点を挙げて勝利に貢献した。また、この日で通算419試合出場し、大卒では藤田俊哉に並ぶ出場記録となった[16]

2019年シーズン、クラブ初のルヴァンカップ優勝。11月2日に行われた広島戦で左膝前十字靭帯損傷の重傷を負った[17]

2020年シーズン、第13節の清水エスパルス戦で、約10ヶ月振りに公式戦への出場を果たし、シーズン初得点を決めた[18]。10月31日、40歳の誕生日にホームでの多摩川クラシコにて自身初となるバースデーゴールを決め勝利[19]。J1での40代選手のゴールは史上6人目で、バースデーゴールとしては最年長記録であった[20]。翌日の11月1日、同シーズン限りで現役を引退することを表明した[21]。12月16日のホーム最終節浦和レッズ戦に出場し小林のゴールをアシストした[22]。翌年1月1日に行われた天皇杯決勝・G大阪戦では出場出番は無かったもののチームは勝利し、同大会クラブ初優勝を果たした[23]。J1リーグでの通算471試合出場は歴代13位(2022年時点)。

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現役引退後

2021年1月、川崎フロンターレのFrontale Relations Organizer(フロンターレ リレーションズ オーガナイザー、FRO)に就任した[24]。同年4月8日には日本サッカー協会のロールモデルコーチに就任し、U-17日本代表のコーチを担当した[25]。並行してDAZNNHK BS(2023年11月まではNHK BS1Jリーグ中継解説者や、NHK総合サンデースポーツ」サッカーコメンテーター(2022年4月から)を担当している。

エピソード

  • かつての憧れはラモス瑠偉、また好きなサッカー選手はジョゼップ・グアルディオラ[26]
  • 背番号の14番を好む理由について、「14っていう数字の並びがいいんだよね。1と4のバランスとか、カクカクしたとがった感じとか、すごくかっこいいと思う」と語る[27]
  • 好きなアーティストはスキマスイッチMr.Children。スキマスイッチの常田真太郎とは友人(ウイニングイレブン仲間[28])。
  • 都立久留米高等学校のサッカー部の古い先輩に、志村けんがいる[29]
  • 2008年9月25日に長男が誕生した[30]。直後の柏レイソル戦でゴールを決め「ゆりかごダンス」を披露した。中村自身のFKからのゴールを含め3回(試合は5-2で勝利)にも及んだことでチームメートの鄭大世に「一体、何人生まれたんだ?」と突っ込まれた。
  • 2010年4月8日に長女が誕生した[30]。子煩悩であり、2010年8月には月刊誌『すてきな奥さん』(主婦と生活社)の取材を受けた[31]。2016年3月29日に次女が誕生した[30]
  • 2011年、年末の「やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜」で年間最優秀FK賞を受賞した。(同年5月28日J1第13節ガンバ大阪戦で決めたFKによるもの)
  • 2019年限りで引退したフェルナンド・トーレスがJリーグで最も印象に残っている選手として中村憲剛を挙げた。またFWの後ろで冷静にプレーし、試合を落ちつかせる能力があり、常にFWを見てプレーしていることから一緒にプレーしてみたかったと語っている[32]
  • 2020年にはヴィッセル神戸でプレーしていたアンドレス・イニエスタが選ぶ『Jリーグの神選手』にただ一人挙げられ、中村も「自分の信じてきた道のりが肯定された瞬間でした」と自身のブログで反応している[33]
  • 2014年からシーズン前に放送される「やべっちFC」内の企画「デジっちが行く!」で、そのシーズンのゴールパフォーマンスを決める事がお決まりになっている。パフォーマンスは中村が考えるのでは無く、シーズン前の合宿で主に登里享平森谷賢太郎(2019年に磐田へ移籍)ら後輩が考えて中村に提案する形である[34]。2016年からは、お笑い芸人のギャグをゴールパフォーマンスにしているが、ウーイェイよしたか[35]サンシャイン池崎[36] はツイッターで反応し、2018年のバイク川崎バイクは実際にスタジアムに来場し、コラボが実現している。また、バイク川崎バイクが来場した8月25日の仙台戦で得点を挙げて、本家の前でBKBを披露した[37]
年度
パフォーマンス
元ネタ
2014 SKP14(すきっ歯14) SKE48がモチーフ。「14」は背番号。
2015 両手で四角くフレームを作るポーズ 雑誌『サッカーマガジンZONE』で掲載されていたポーズ
2016 ウーイェイ![35] お笑いコンビスマイルのウーイェイよしたかのギャグ。理由は顔が似ているから。
2017 ジャスティス![36] 芸人サンシャイン池崎のギャグ
2018 BKB(僕、川崎のバンディエラ) ヒィーーーアッ[37] 芸人バイク川崎バイクのギャグ
2019 イヤァオ WWE所属のプロレスラー中邑真輔の入場パフォーマンス。理由は「なかむら」繋がり。
2020 ゲッツ 芸人ダンディ坂野のギャグ。パフォーマンスに使うのは両手のみなので、負傷した前十字靭帯にも影響がないというのが理由である。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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指導歴

  • 2021年4月 - 日本サッカー協会
    • 2021年4月 - 2022年 U-17日本代表 ロールモデルコーチ
    • 2021年8月 - 2022年 U-17日本代表 ロールモデルコーチ/テクニックコーチ
    • 2023年 - U-17日本代表 アシスタントコーチ/ロールモデルコーチ

タイトル

クラブ

川崎フロンターレ

個人

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 68試合 6得点(2006年 - 2013年)[1]
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...

出場

さらに見る No., 開催日 ...

ゴール

さらに見る #, 開催年月日 ...
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出演

テレビドラマ

テレビアニメ

CM

映画

PV

出版

執筆書籍

関連書籍

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脚注

関連項目

外部リンク

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