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アスマラ
エリトリアの首都 ウィキペディアから
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アスマラ(ティグリニャ語: ኣስመራ Asmera、英語: Asmara)は、エリトリアの首都である。標高約2,300メートルの高地に位置する。主な生産品は織物、衣類、ビール、靴である。アスマラにはアスマラ国際空港があり、また、エリトリア第2の都市マッサワとエリトリア鉄道で結ばれている。モダニズム建築のならぶ街並みが、2017年に世界遺産リストに登録された[1]。
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歴史
アスマラは、1870年代まで小さな村であった。1880年代にエチオピアに併合されてからは、重要都市となり行政機関が置かれた。1900年にイタリア領エリトリアの首都となり、イタリア首相であったベニート・ムッソリーニが第2のローマ(ピッコラ・ローマ)を目指し、1920年から1930年代にかけて、イタリアの新進気鋭の建築家達により奇抜なアール・デコ建築や未来派建築が多く建設された。1935年に第二次エチオピア戦争が始まると、イタリアによって軍備が強化されたが、第二次世界大戦開戦後の1941年に連合軍がエリトリアに侵攻・占領し、1952年までイギリスの軍政下に置かれることとなった。現在もイタリア時代に作られたヨーロッパ風の美しい街並みや、イタリア語の店名などが多く残っている。
1952年から1962年までエチオピアと連邦制を布いたエリトリア国の首都であったが、1962年にエリトリア議会をエチオピア帝国の軍隊が取り囲み、エリトリアはエチオピアの一州であるエリトリア州となった。その後、アスマラはエリトリア州の州都となった。
エチオピアからの独立戦争の際、アスマラ空港は重要拠点となり武器や物資がここから流入した。その後エリトリア人民解放戦線(現在の民主正義人民戦線)によりアスマラは解放され、国民投票により、1993年にアスマラは正式にエリトリアの首都となった。
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気候
要約
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ギャラリー
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世界遺産
イタリア進出以降に発達したモダニズム建築群が評価され、2017年の第41回世界遺産委員会で登録が認められた。エリトリアでは初の世界遺産である。
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
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脚注
関連項目
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