トップQs
タイムライン
チャット
視点
アヌーク・エーメ
フランスの女優 (1932-2024) ウィキペディアから
Remove ads
アヌーク・エーメ (アヌーク・エメ、アヌーク・エメー:Anouk Aimée 発音例, 本名: Françoise Sorya Dreyfus, 1932年4月27日 - 2024年6月18日) は、フランス出身の女優。
70年以上のキャリアを誇る、欧州を代表する女優の一人。欧米各国で各賞を獲得するなど国際的にも高く支持され、「映画史上最もセクシーな女優の一人」とも評された[1]。晩年期まで各地で名誉賞を受賞した。
Remove ads
来歴
1932年4月27日、パリで生まれた。両親はともにユダヤ系の舞台俳優(コメディ俳優)[2]。パリ9区のミルトン通り小学校に通っていたが、ユダヤ人迫害が激しくなってきたので、両親により送られたアキテーヌ地方のコニャック近郊バルブジュー=サン=ティレールで育った。ナチス・ドイツによるフランス占領期には、黄色の星を胸に身に付けるのを避ける為、母親の姓"デュラン"を名乗った。モルジヌの寄宿学校 (パンショナ, Pensionnat[3]) に入り、この頃ロジェ・ヴァディムとも知り合った[4]。
1947年、14歳の時にパリでその美貌からスカウトされ、アンリ・カレフ監督の『密会 (La Maison sous la mer) 』(1947年) に出演し、女優としてデビューした。その際、この作品の役名"アヌーク"を彼女が芸名に用いた。続いて、お蔵入りし未発表作品となったデビュー2作目 『La Fleur de l'âge 』(1947年) において、1作目から脚本で関わっていた詩人ジャック・プレヴェールが、芸名に"エーメ"を付け加えることを提案した。高校課程にあたるリセ課程はイギリスで学び、さらに演劇学校に通った[5]。
1958年の『モンパルナスの灯』ではアメデオ・モディリアーニの妻ジャンヌ・エビュテルヌを演じ、その美貌で世界的な人気を博した。その後、フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』(1960年)や『8 1/2』(1963年)やジャック・ドゥミ監督の『ローラ』(1961年)などに出演した。
1966年、クロード・ルルーシュ監督の『男と女』でヒロインを演じ[6]、ゴールデングローブ賞「主演女優賞」と英国アカデミー賞「外国女優賞」を受賞し、「アカデミー主演女優賞」にもノミネートされた[7]。
1980年には『Salto nel vuoto』でカンヌ国際映画祭「女優賞」を受賞した。
晩年期に入ると、2002年 セザール賞「名誉賞」、2003年 ベルリン国際映画祭「金熊名誉賞」などの各名誉賞を受賞している。
2024年6月18日朝、パリの自宅で死去[8][9]。92歳没。
私生活
1949年にエドゥアール・ツィンマーマン(Edouard Zimmermann)と結婚したが、翌1950年に離婚。1951年にギリシャの映画監督ニコ・パパタキスと結婚して一子を授かったが、1955年に離婚。
その後、『男と女』で共演したフランスの音楽家・俳優のピエール・バルーと1966年に結婚したが、3年後の1969年に離婚。翌1970年にイギリスの俳優アルバート・フィニー(1974年の映画『オリエント急行殺人事件』の主役エルキュール・ポワロ役)と結婚したが、1978年に離婚した。
Remove ads
ギャラリー
- 『甘い生活』(1960年)
- 『男と女』(1966年)
- 『アレキサンドリア物語』(1969年)
主な出演作品
要約
視点
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads