期間 | 旗 | 縦横比 | 政府 | 備考 |
1747-1823 |
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2:3 |
ドゥッラーニー朝 |
ドゥッラーニー朝の旗は、緑・白・緑の三色旗である。ドゥッラーニー朝の王が退位した後、ヘラートで1842年まで掲げられていた。 |
1880-1901 |
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2:3 |
アフガニスタン首長国 (バーラクザイ朝) |
アブドゥッラフマーン・ハーン治世下での旗。 |
1901-1919 |
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3:5 |
アフガニスタン首長国 |
ハビーブッラー・ハーン治世下での旗。ハビーブッラーは父王の旗に近代的な国章を加えた。 |
1919-1921 |
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2:3 |
アフガニスタン首長国 |
アマーヌッラー・ハーン治世でつくられた最初の旗。父王の旗の国章のデザインを変えたもの。この国章のデザイン(オクトグラム)は、オスマン帝国で一般的な様式である。 |
1921-1928 |
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2:3 |
アフガニスタン首長国→アフガニスタン王国 |
アマーヌッラー・ハーン治世でつくられた第二の旗。国章を囲む円を卵型にした。アフガニスタンは1926年に王国になった。 |
1928 |
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2:3 |
アフガニスタン王国 |
アマーヌッラー・ハーン治世でつくられた第三の旗。国章を囲むオクトグラムを花輪に置き換え、国章を微修正した。 |
1928-1929 |
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2:3 |
アフガニスタン王国 |
アマーヌッラー・ハーン治世でつくられた第四の旗。黒・赤・緑の三色旗を採用した。黒は過去(前の旗)、赤は第三次アフガン戦争(1919年)で独立のために流された血、緑は未来への希望をあらわす。1927年におこなわれた王のヨーロッパ訪問がおそらく影響している。新しい国章は二つの山から太陽が昇るもので、王国の新しい始まりを意味する。 |
1929 |
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2:3 |
アフガニスタン王国 |
イギリスに支援されてアマーヌッラー・ハーンを逐った叛乱指導者ハビーブッラー・カラカーニー(Habibullah Ghazi)が掲げた旗。赤・黒・白の三色旗は、13世紀にモンゴルに支配された時期に用いられた旗と同様である。 |
1929-1930 |
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2:3 |
アフガニスタン王国 |
ムハンマド・ナーディル・シャー治世の最初の旗。黒・赤・緑の三色旗が復活した。アマーヌッラー・ハーンの二番目の旗の国章が用いられている。 |
1930-1973 |
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2:3 |
アフガニスタン王国 |
ムハンマド・ナーディル・シャー治世で定められた第二の旗で、その子ザーヒル・シャーも用いた。オクトグラムが取り除かれ、国章が大きくなった。紋章に描かれた年号 ١٣٤٨ (イスラム暦1348年、グレゴリオ暦の1929年)は、ムハンマド・ナーディル・シャーの王朝が開かれた年を示す。 |
1973-1974 |
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2:3 |
アフガニスタン共和国 |
アフガニスタン共和国(ムハンマド・ダーウード政権)が定めた最初の旗。先の旗の紋章にあった ١٣٤٨ が取り除かれた。 |
1974-1978 |
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2:3 |
アフガニスタン共和国 |
アフガニスタン共和国の第二の旗。同じ色が用いられているが、意味は置き換えられている。黒は暗い過去を、赤は独立のために流された血を、緑は豊かな農業を示す。カントンには、翼を広げた鷲とモスクの説教壇・太陽を描いた新しい紋章が置かれた。 |
1978 |
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2:3 |
アフガニスタン民主共和国 |
クーデターによりムハンマド・ダーウードが殺害され、共産主義者(アフガニスタン人民民主党)の政権が誕生した。旗は同じデザインだが、国章は取り除かれた。 |
1978-1979 |
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1:2 |
アフガニスタン民主共和国 |
共産主義政権によって用いられた、赤地に黄色の紋章を配した旗。紋章は、小麦の輪、星(5つの民族集団を象徴する)、アラビア文字のハルク 'Khalq' (人民を意味する)から構成されている。この旗はアフガニスタン人民民主党の党旗でもあり、1979年にヌール・ムハンマド・タラキーが党内抗争で失脚・病死する(暗殺とも)まで用いられた。 |
1979 |
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1:2 |
アフガニスタン民主共和国 |
この旗は1979年の9月から12月まで、ハフィーズッラー・アミーン(アフガニスタン人民民主党ハルク派)の短い政権の下で用いられた。 紋章は農業を示す小麦と工業を示す歯車からなっていた。もともと人民民主党の旗として定められたものであったが、国旗にもなった。12月にソ連軍がアフガニスタンに侵攻してアミーン政権は崩壊、旗は短命に終わった。 |
1979-1987 |
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1:2 |
アフガニスタン民主共和国 |
アミーンのハルク派政権が打倒され、パルチャム派のバブラク・カールマルが政権の座に就くと、旗はふたたび変更された。黒・赤・緑の三色旗が復活し、三色はそれぞれ過去・血・イスラムの信仰に結び付けられた。新しい国章は、昇る太陽、説教壇とクルアーン(イスラムの信仰)、ナショナルカラーのリボン、歯車(工業)、星(共産主義)から構成された。 |
1987-1992 |
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1:2 |
アフガニスタン共和国 |
前の旗と同様であるが、国章にデザインの変更が加えられた。歯車は上部から下部へ移動され、赤い星と本が除去された。緑の野は地平線のように弧を描くようになった。 |
1992 |
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1:2 |
アフガニスタン共和国 |
ソ連崩壊後の暫定的な旗として定められた。このため、左に示したもののほかに多くのバリエーションを持つ。上段にはアラビア文字で「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」と記されており、中段にはシャハーダが記されている。 |
1992-1996 |
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1:2 |
アフガニスタン・イスラム国 |
前の旗からは黒と緑の位置が入れ替わっている。シャハーダは国章に置き換えられた。 |
1996-1997 |
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2:3 |
アフガニスタン・イスラム首長国 (ターリバーン政権) |
ターリバーンは模様のない白い旗を掲げた。 |
1997-2001 |
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1:2 |
アフガニスタン・イスラム首長国 |
1997年、ターリバーンはシャハーダを書き加えた。 |
2001-2002 |
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1:2 |
アフガニスタン・イスラム国 |
ターリバーン政権が崩壊すると、1992年の旗が再び使用されたが、シャハーダが書き加えられている。 |
2002-2004 |
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1:2 |
アフガニスタン・イスラム国→アフガニスタン・イスラム移行国(英語版) |
黒・赤・緑の縦三色旗。基本デザインはこの20年間の多くの旗と共通する。中央の紋章はモスクとミフラーブからなる紋章である。この旗は、王政時代の1930年から73年にかけて使われた旗とよく似ている。違いはシャハーダが加えられたこと、アフガニスタンの独立年である ١۲۹٨ (イスラム暦1298年。グレゴリオ暦1919年)の年紀が加えられたことである。 |
2004-2013 |
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2:3 |
アフガニスタン・イスラム移行国→アフガニスタン・イスラム共和国 |
前の旗と似ているが、縦横比が変更された。 |
2013-2021 |
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2:3 |
アフガニスタン・イスラム共和国 |
国章の中で"دا افغانستان اسلامی دولت" (アフガニスタン・イスラム国)と記されていたものが単に "افغانستان" (アフガニスタン)と変更された。 アフガニスタン・イスラム共和国の崩壊後もスポーツ大会のアフガニスタン代表の旗として使用されている。 |
2021-以降 |

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1:2 |
アフガニスタン・イスラム首長国 |
ターリバーン政権が制定した旗。白地に黒いシャハーダ。その下に、国名「アフガニスタン・イスラム首長国」が記されている。 |