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イギリス理想主義

政治および哲学における思想 ウィキペディアから

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イギリス理想主義(British idealism)は、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて隆盛を誇った、政治思想哲学派閥とその考え。イギリス観念論とも言う。

概説

十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、イマヌエル・カント復興運動が起こり、ドイツにおいては新カント学派が形成され、イギリスにおいてもイギリス理想主義学派ができた。イギリスでの中心人物はトーマス・ヒル・グリーンであった。彼等はイギリス伝統の経験論功利主義に反対し、認識論では観念論価値論では人格主義教養主義を唱える。政治思想的には自由主義またはニューリベラリズム[1]多元的国家論などを主張した。

その歴史と思想

先駆者の思想

イギリス伝統の経験論功利主義に反対する思想としては、十九世紀初頭、イギリスでロマン主義として起こった。この期のサミュエル・コールリッジトーマス・カーライルはイギリス理想主義の先駆者である。ただ、この活動は伝記や評論といったものが主で、哲学理論としてではなかった。

最盛期の哲学

功利主義において、ジョン・スチュアート・ミル理想主義を採り入れて質的に変化した後、その影響下、トーマス・ヒル・グリーンドイツ観念論にも学んで、経験論功利主義唯物論に対抗するものとして、本格的に理想主義哲学を打ち立てた。その他のメンバーとしては、エドワード・ケヤード、フランシス・ブラッドリーバーナード・ボザンケなどがある。メンバーによってイマヌエル・カントに重きを置くか、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルに重きを置くかの違いはある[2]ものの、物質に対する精神の重要性を説くのは同じである。

政治思想

このような理想主義哲学理論に影響されて、この派の政治理論家は独自の政治理論を構築した。トーマス・ヒル・グリーン自身がその人格主義から自由主義を主張したし、その理論はイギリス自由党の理論的主柱となった。その影響を受けて、レオナルド・ホブハウスは新しいニューリベラリズムを提唱した[3]し、そこから多元的国家論も出てくることになった[4]。この二人の影響のもと、シドニー・ウェッブフェビアン主義の理論を形成し、イギリス労働党の理論的一角となった[5]。この派に属してもっぱら政治理論を展開した者には、エルネスト・バーカーアレキサンダー・リンゼーなどがいる。

対抗思想の出現と衰退

オックスフォードを中心としたイギリス理想主義への対抗思想としては、二十世紀初頭からケンブリッジを中心としたイギリス実在論が興った。ジョージ・エドワード・ムーアバートランド・ラッセルなどがその中心である。この二人の実在論や論理実証主義の隆盛によって、二十世紀初頭以降イギリス理想主義は衰退したが、二十世紀後半になって、イギリスにおいても、日本においても、イギリス理想主義の研究は復活しつつある。

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主な論者と著作

哲学

  • トーマス・ヒル・グリーン『倫理学序説』(Prolegomena to Ethics, 1883)
  • フランシス・ブラッドリ『倫理学研究』(Ethical Studies, 1876)、『現象と真実在』(Appearance and Reality, 1893)
  • バーナード・ボザンケ『論理学――知識の形態学』(Logic, or the Morphology of Knowledge, 1888)

政治思想

日本での研究

明治時代においては、多くの哲学研究者がトーマス・ヒル・グリーンから人格主義の考え方を学ぼうとしていた。それらの者には、中島力造大西祝高山樗牛綱島梁川桑木厳翼西田幾多郎などがいた。昭和戦前においては、河合栄治郎は同じくグリーンから、人格主義にプラスするに、教養主義自由主義を研究し、自己の思想として開花させた。戦後においては、哲学的には行安茂がグリーンの研究を行い、政治思想的には北岡勲が全般の政治思想を、萬田悦生がグリーンを、芝田秀幹バーナード・ボザンケをそれぞれ研究している。

なお、初期のトーマス・カーライルに影響を受けそれを研究する者としては新渡戸稲造がいる[6]。イギリス理想主義を研究する団体としては、日本イギリス理想主義学会がある[7]

脚注

参考文献

関連項目

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