トップQs
タイムライン
チャット
視点

イルファン・バフディム

インドネシアのサッカー選手 ウィキペディアから

Remove ads

イルファン・ハリース・バフディムIrfan Haarys Bachdim1988年8月11日 - )は、オランダ出身の元サッカー選手。元サッカーインドネシア代表。現役時代のポジションはフォワードミッドフィールダー

概要 イルファン, 名前 ...
Remove ads

来歴

アラブ系インドネシア人の父とオランダ人の母を持つ[1]オランダアムステルダムで生まれ、アヤックスFCユトレヒトなどのユースチームに在籍した。2007年にユトレヒトのトップチームへ昇格。2008年2月17日のVVVフェンロー戦で初出場し、90分間プレーした(この時対戦相手のVVVフェンローには本田圭佑が在籍し、試合に出場している[2])。2009年に移籍したHFCハールレムでプロ初ゴールを決めるが、チームは財政破綻により2010年に消滅。その後はユース時代も在籍したSVアルゴンen)へ移籍するも、出場機会に恵まれなかった。

2010年8月、父の母国であるインドネシアへ渡り、インドネシア・プレミアリーグプルセマ・マランに入団。ここで2シーズン51試合に出場し28得点と大活躍する。同時期インドネシア代表にも選出され、2010 AFFスズキカップでは2得点を挙げている。2012年途中にアレマ・インドネシアFCへ期限付き移籍をするも、その年限りで退団。2013年はタイ・プレミアリーグチョンブリーFCで、シーズン途中からはタイ・ディヴィジョン1リーグシーラーチャーFCでプレーした。

2014年にJリーグヴァンフォーレ甲府へ移籍。インドネシア国籍の選手としては初のJリーガーとなった[3]。2014年5月21日、ナビスコ杯徳島ヴォルティス戦でデビューした[4] が、リーグ戦での出場はなかった。

2015年にコンサドーレ札幌へ移籍[5]。同年5月3日に行われたジュビロ磐田戦でインドネシア人初のJリーグデビューを果たした[6]。2016年シーズン終了後に契約満了により退団[7]

2017年1月、インドネシアのバリ・ユナイテッドFCと契約[8]

2020年2月12日、PSSスレマンに移籍[9]

Remove ads

エピソード

甲府加入まで日本における知名度は皆無であったが、母国インドネシアでは絶大な人気を誇っている。甲府加入時点でのTwitterのフォロワー数は約427万人で、これは日本人最多である有吉弘行の約292万を大きく上回っている[10]。また、甲府加入後もフォロワー数は増加し続け、2018年1月時点では501万人まで増加している。

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 42試合 13得点(2010年-2019年)[11]
さらに見る インドネシア代表, 国際Aマッチ ...

ゴール

さらに見る #, 開催年月日 ...
Remove ads

タイトル

コンサドーレ札幌
バリ・ユナイテッドFC
ペルシス・ソロ
個人
  • リーガ1ベストイレブン:1回(2017)

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads