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イヴィツァ・ヴァスティッチ

オーストリアのサッカー選手 ウィキペディアから

イヴィツァ・ヴァスティッチ
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イヴィツァ・ヴァスティッチIvica Vastić1969年9月29日 - )は、クロアチアスプリト出身のオーストリア代表の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。愛称はイヴォ(Ivo)[1]

概要 イヴィツァ・ヴァスティッチ, 名前 ...
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経歴

クロアチアで生まれ育つが、1991年から始まった内戦の混乱によりクロアチアを離れてオーストリアに帰化し[1]代表に選出され活躍を見せた。オーストリア・ブンデスリーガSKシュトゥルム・グラーツに在籍時はイビチャ・オシムが指揮を執るチームの下で活躍。ほぼ同時期に同じクラブに所属していたマリオ・ハース(後にジェフユナイテッド市原・千葉でプレー)と共にプレー、チームのエースストライカーとして8年間君臨しゴールを量産[1]、クラブの黄金時代を築いた。

2002年からは名古屋グランパスエイトに在籍、ウェズレイとツートップを組み活躍した。7月21日のガンバ大阪戦でJリーグ初ゴール[2]。2003年、最後のホームゲーム(この試合で警告を受け、次節出場停止だったためこのゲームが実質上ラストゲームとなった)となった5月18日のベガルタ仙台戦では、終了間際のFKの場面でウェズレイが短く出したパスを受けて逆転ゴールを決め、勝利に貢献[3](このゴールは、Jリーグの8500ゴール目の記念ゴールであった[4])。この試合の後には、ヒーローインタビューを兼ねての即席でセレモニーも行い、最後に選手たちの胴上げで有終の美を飾った。

2008年6月12日、EURO2008ポーランド戦でゴールを決め[1]、それまでの記録を4歳上まわる最年長記録ゴールを記録し[5]、このゴールでオーストリアの同大会における史上初の勝ち点をもたらした。

母国への帰還後も活躍を続けていたが[1]、2009年5月18日、2008-09シーズンをもって現役引退することが発表された。

引退後はアマチュアレベルのチームを指導した後、オーストリア3部に属するFKアウストリア・ウィーンのセカンドチーム監督に就任。2011年12月にはトップチームの監督に就任したものの、シーズン後に契約は延長されず、同クラブを退団した。オーストリア4部のクラブの監督を務めた後、オーストリア2部に降格したSVマッテルスブルクの監督に就任。2年目にリーグ優勝を決め、オーストリア・ブンデスリーガへの再昇格を、翌年にはリーグ残留を果たした。

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個人成績

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代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 50試合 14得点(1996年-2008年)[6]
さらに見る オーストリア代表, 国際Aマッチ ...

タイトル

クラブ

SKシュトゥルム・グラーツ
FKアウストリア・ウィーン
LASKリンツ

個人

脚注

関連項目

外部リンク

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