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ベガルタ仙台

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ベガルタ仙台
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ベガルタ仙台(ベガルタせんだい、: Vegalta Sendai)は、日本仙台市を中心とする宮城県全県をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要 ベガルタ仙台, 原語表記 ...
概要 全ての座標を示した地図 - OSM ...
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概要

1988年創部の東北電力サッカー部が前身であり、1999年にJリーグへ加盟した[1]ホームタウン仙台市[1] を中心とする宮城県全県。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台[1]キューアンドエースタジアムみやぎ(詳細は#ホームスタジアムを参照)、練習場は東北学院総合運動場 ベガルタ仙台フィールドおよびアイリストレーニングフィールドである[2]

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名称の由来となった仙台七夕まつりで飾られているベガルタ仙台応援七夕飾り(2009年8月6日)

チーム名の「ベガルタ」は全国的にも有名な仙台七夕を由来とし、七夕の「織姫」と「彦星」とされるの名前、「ベガ (Vega)」と「アルタイル (Altair)」を合わせた造語マスコットをモチーフとした兄「ベガッ太」と妹「ルターナ[1]

歴史

要約
視点

Jリーグ加盟以前

1988年創部の東北電力サッカー部が前身。1994年に東北社会人サッカーリーグ及び全国地域サッカーリーグ決勝大会で優勝。1995年よりジャパンフットボールリーグ(JFL)へ昇格[1]。また、1994年10月に運営法人として「株式会社東北ハンドレッド」(現在の「株式会社ベガルタ仙台」)を設立し、クラブ名を「ブランメル仙台」(後述)に改称した[1]

1995年にJリーグ準会員となりJリーグ昇格を目指すようになる。1996年以降大型補強するも、昇格出来ずに終わっていた。1999年からのJリーグの2部制開始とともにJ2に参加した。なお、商標権の関係から、翌1999年1月よりクラブ名称を「ブランメル仙台」から「ベガルタ仙台」に改称した[1]。また、チームカラーもゴールド(「ベガルタゴールド」)へ変更した。メインとなる色は、鮮やかなベガルタ・ゴールド。これは流星の色であると共に、宮城県が日本最初の黄金の産地である事から[3]。次にベガルタ・ブルーは銀河の色を表し、伝統と品位を象徴。最後にベガルタ・レッドは情熱と勝利への意欲を表している。

1999年 - 2001年(J2)

1999年

J2リーグ戦は、前期(第2クール)終了時点で最下位となり、前期終了を以って壱岐洋治が総監督を、鈴木武一が監督を共に辞任。後任として清水秀彦が監督に就任。なお、最終順位は9位。ナビスコ杯は、1回戦で広島に敗退。

一校目となるジュニアサッカースクール「泉校」開校。

2000年

チームスローガン:あなたとJ1

1チーム増の11チームで争われたリーグ戦は、開幕から5連敗を喫したがその後巻き返し、最終順位は5位。ナビスコ杯は1回戦でC大阪に敗退。

2001年

チームスローガン:あなたとJ1

FWマルコス、元日本代表MF岩本輝雄等が新加入。J2開始3年目は1チーム増の12チームで争われ、第1クールを8勝1分2敗で終えると、以降の3クールで6勝ずつ勝利を挙げ、勝点80の3位で最終節(第44節)を迎える。

最終節(11月18日)で、京都を破り、前節まで2位の山形川崎にVゴール負けしたため、リーグ2位が決まり、東北地方のクラブとして初のJ1昇格が決定した[4]

この試合は鼻骨骨折で4試合欠場していた村田はフェイスガードを付け、怪我で離脱して4試合離脱していた岩本等が戻って満身創痍で臨んだ一戦であった。

ナビスコ杯は1回戦で福岡に敗退。

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2002年基本フォーメーション

2002年 - 2003年(J1)

2002年

この年のチームスローガンはなし。FW山下芳輝、MFシルビーニョ、MF森保一、DF小村徳男らが加入。

第1ステージは2年連続J1年間王者の鹿島にアウェイで勝利するなど、昇格チーム初となる開幕から5連勝。特に、山下は7試合で5得点を挙げ、J1得点ランキング2位タイの活躍で日本代表候補に選出された。しかし、2002 FIFAワールドカップによるリーグ戦中断明けの第1ステージ残り8試合を1勝7敗となったが序盤の貯金でこのステージは9位で終わると、続く第2ステージではわずか4勝(1分10敗)ながら、15位で終え、年間総合順位は全16チーム中13位となりJ1残留を決めた。

ナビスコ杯は、グループリーグ3位で敗退。

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森保一日本代表監督 (仙台でも主将を歴任)

2003年

チームスローガン:もっと、高く・強く

GK高桑大二朗、FW佐藤寿人、DF根本裕一らが新加入。練習場を「泉サッカー場」に移転。

この年も春先は好調で、開幕から4戦無敗(3勝1分)のロケットスタートを切ったが、その後は負けが込んで、第1ステージは3勝3分9敗の15位。第2ステージは大きく低迷し、9月16日に清水監督からスロベニア出身のズデンコ・ベルデニック監督にスイッチしたが、9月27日(第2ステージ・第8節)の浦和戦(宮城)で19試合連続未勝利を喫した(当時のJリーグ記録)。最終決戦(11月29日)の大分戦に引分け、年間総合15位(全16チーム中)となり、J2降格が決定した。

サンパウロ(ブラジル)と友好関係を締結。

ナビスコ杯はグループリーグ3位で敗退。

シーズン終了をもってジャパンヘルスサミットがスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。

2004年 - 2009年(J2)

2004年

チームスローガン:Be Creative & Run 考えよ、疾走せよ

ベルデニック体制2年目。阪南大から梁勇基が加入し1年でのJ1復帰を目標に掲げたが、開幕から3連敗。4戦目でようやく初勝利を挙げ、その後はチームを修正しつつ、若手選手の台頭で盛り返し、J1昇格争いに絡んだ。しかし、第4クールで再び失速し、早い段階で昇格争いから脱落。結局、全12チーム中6位に終わった。シーズン終了後、ベルデニックが監督を解任、FW佐藤寿人広島へ移籍した。

オフィシャルショップ「オーレ·ベガルタ」が開店[5]

アイリスオーヤマ」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結(2000年に背中部分のスポンサーとして契約し、前年まで背番号上部にロゴを入れていたが、「ジャパンヘルスサミット」のスポンサー撤退に伴い、胸部分のスポンサーに"昇格"する形となった)。現在に至るまで胸スポンサーとして活動している。また、「アイリスオーヤマ」に替わる背中部分の新スポンサーとして大手出版社「廣済堂」と契約(同社で発行する求人情報誌「Workin」のロゴが入った)。

2005年

チームスローガン:熱く 楽しく そしてひとつに

2月にクラブ10周年記念イベント開催。8月に公式オンラインショップ(グッズショップ)開設。

元日本代表の都並敏史が監督に就任。一時は全12チーム中11位にまで後退したが、第2クール以降は持ち直し、第4クールでは8戦負けなし(6勝2分)と調子を上げ、一時は入れ替え戦出場となる3位にまで浮上したが、最終節(12月3日)で福岡に引き分けたことで、甲府に勝ち点で追い抜かれ、4位。入れ替え戦出場を逃した。

シーズン終了後、GMの田中孝司、監督の都並がそれぞれ退任。また、財前宣之ら7選手が退団した(ゲームメーカーのシルビーニョ新潟へ移籍した)。

2006年

チームスローガン:勝利or勝利 〜絆を力に変えて〜

ブラジル人ジョエル・サンタナが監督に就任。この年、仙台スタジアム命名権導入に伴い、「ユアテックスタジアム仙台(略称:ユアスタ)」に改称。

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史上2人目のJ2得点王に輝いたボルジェス

序盤は4バック3ボランチの日本人8人で守って、新加入のブラジル人トリオ(ロペスチアゴ・ネーヴィスボルジェス)の3人でカウンター、という戦術が当たり、第1クール終了時は自動昇格圏の2位、第2クールも入れ替え戦出場圏内となる3位でリーグ戦前半を折り返す。

ところが、DF白井博幸がケガで長期離脱したころからそれまでの戦術が機能しなくなる。リーグ戦後半となる第3クールでは3位との勝ち点差7の4位に後退。続く最終・第4クールでも浮上のきっかけを掴めず、昇格争いから脱落。5位に終わった。ただし、この年のJ2得点王にはボルジェスが選ばれた(しかし、シーズンオフにサンパウロFC期限付き移籍→完全移籍)。

シーズン終了後、サンタナが退任。また、GK高桑、ベテランFW大柴克友など4選手が契約期間満了により退団。また、期限付き移籍でプレーしていたチアゴ・ネーヴィスは移籍期間を延長せず。その一方で、MFロペスは期限付き移籍期間を延長した。

この他、ユニフォーム(背中部分)のスポンサーだった廣済堂が同年シーズン終了を以って撤退。

2007年

チームスローガン:新仙走破 〜そして進化。〜

前年ヘッドコーチを務めた望月達也が監督に昇格。望月はヘッドコーチの傍ら、サテライトチームの監督を務めた。また、サンタナが体調不良で欠場した際、前年10月7日の愛媛FC戦においてトップチームの監督代行を務め、勝利を収めていた。

山形からMF永井篤志鳥栖からGKシュナイダー潤之介等を獲得。第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)、第2クールは3位でリーグ戦前半を折り返す。第3クールに入って正GK・シュナイダーの右手骨折(全治3ヶ月)および失点が増えたことなどから、6月に札幌から林卓人を、7月に元新潟のMFファビーニョを、8月にはからDF岡山一成を、いずれも期限付き移籍で獲得。

第3クール終盤で戦術を若干修正。攻撃の手駒を減らし、SBの攻撃参加を限定的にすることでカウンターへの対処と守備の安定化を図った。これが功を奏し、第3クール終盤以降は失点が減少。第4クール序盤から中盤では昇格を争うライバルチームとの直接対決に勝利したが、第50節の湘南戦と第51節の京都戦に連敗し、入れ替え戦出場を逃した。最終順位は4位。

GK小針清允、DF白井博幸等7選手がシーズン終了をもって退団。また、ブラジル人3選手全員(ジョニウソン、ロペス、ファビーニョ)もチームを退団。さらに、チーム最多得点を挙げたFW萬代宏樹磐田へ完全移籍。望月も監督を退任した(「クラブスタッフ」としてフロント入り)。

新選手寮「ヴィステーラ泉」完成。

なお、廣済堂に代わるユニフォーム(背中部分)の新スポンサーが決まらず、開幕からしばらくの間は“空白”のままであったが、8月に「NECトーキン」とスポンサー契約を締結。9月から同社のロゴが背番号上部に入れられた。

2008年

チームスローガン:感動一体 絆は次なるステージへ

前年、ヘッドコーチを務めた手倉森誠が監督に就任。また、手倉森誠の双子の弟・がヘッドコーチに就任。

明治大学からGK関憲太郎筑波大学からMF三澤純一が新加入。神戸から元日本代表FW平瀬智行からMF佐藤由紀彦鹿島からFW田中康平川崎からMF飛弾暁をそれぞれ完全移籍、東京VからDF一柳夢吾大分から宮沢正史川崎から西山貴永をそれぞれ期限付き移籍で獲得。期限付き移籍していたFW中島裕希とDF岡山一成がいずれも完全移籍に移行。GK林卓人も移籍期間を延長し、チームに留まった。

宮崎県延岡市でのキャンプ中の2月6日に、一柳、金子慎二細川淳矢富田晋伍の4選手が、酒に酔って一般人の車を傷つけるという不祥事を起こした。騒ぎを聞きつけた手倉森監督が駆け付け、その場で示談が成立したため被害届は出されなかったが、4選手には3か月の減俸が課せられた。

第1クール終了時で7勝5分け2敗の3位。第2クール以降は決定力不足が目立つようになり、韓国Kリーグで外国人初の年間MVPを獲得した経験を持つブラジル人FWナジソンを完全移籍で、京都からMF斉藤大介を期限付き移籍で獲得。

第3クールは、9年ぶりとなるみちのくダービーシーズン負け越しや、これまで無敗であった水戸に初黒星するなどするが、その後は第2クールまでいずれも1分1敗と苦しめられた愛媛C大阪に連勝。

11月30日鳥栖に敗れ、自動昇格(=2位以内)が消滅したが、最終節で草津に勝利し、シーズン3位を確保して、入れ替え戦へ出場[6]。入れ替え戦でJ1第16位の磐田と対戦したが、1分1敗に終わり、J1復帰はならなかった。

この試合はサッカーダイジェストの「識者7人の記憶 忘れられない一戦」に清水英斗より選ばれた[7]

手倉森は翌年も引き続き指揮を執ることになった[8]。シーズン終了後、岡山、GKシュナイダーらが退団。ナジソン、宮沢他4人、「クラブスタッフ」としてフロント入りしていた前監督の望月もチームを去った。

運営会社の「株式会社東北ハンドレッド」が6月1日付で「株式会社ベガルタ仙台」へ商号を変更。シーズン終了後、NECトーキンがスポンサーから撤退した。

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2009年基本フォーメーション

2009年

チームスローガン:闘志躍動 思いを胸に…

手倉森体制2年目。スローガンとは別に「完全昇格」を目標に掲げた。MF梁勇基関口訓充、DF菅井直樹が残留。札幌から期限付き移籍中のGK林卓人も移籍期間を再延長して残留。前年まで期限付き移籍であったDF一柳夢吾、MF斉藤大介西山貴永は完全移籍した。また、山形からGK桜井繁横浜FCからDFエリゼウ神戸からMF曽我部慶太韓国水原三星から元同国代表DF朴柱成をそれぞれ完全移籍で、ブラジルのポンチ・プレッタからマルセロ・ソアレスを期限付き移籍で獲得。

リーグ戦は第2クール終了時点で20勝6分8敗(勝ち点66)の2位。最終・第3クールは第39節(9月13日)で福岡に敗れた以外は無敗をキープ。11月8日(第48節)に水戸に勝利してJ1昇格条件の3位以内が確定[注 1]

続く第49節(11月22日)では首位C大阪との直接対決に勝利し、入れ替わりで首位に浮上。第51節12月5日)は愛媛と引き分けたものの、2位のC大阪が鳥栖に敗れたため、J2初優勝を果たした(最終戦績は32勝10分9敗の勝ち点106。2004年川崎が記録した「105」を上回り、J2歴代最多勝ち点を記録[注 2]

守備が非常に安定し、総失点はリーグ最少の39、1試合あたりの平均失点は0.76点。3失点以上を喫した試合は1度もなかった。また前年に引き続きファウルの少なさも目立った。反則ポイントはフェアプレー賞の選考基準51ポイント以下に対して僅か17ポイントで、2位の湘南(86ポイント)を大きく引き離し、2年連続のJ2フェアプレー賞を獲得すると共に、チェアマン特別賞も受賞した。

天皇杯ではチーム初のベスト4へ進出(準決勝でG大阪に敗戦)。

このシーズンはユアスタが芝の全面張替え工事のため6月まで使用できず、その間のホームゲーム(11試合)を宮城スタジアム(それとは別に福島県営あづま陸上競技場で1試合)で開催。春先に宮スタで2敗を喫したものの、その後は安定した戦いを見せ、通算で19勝5分2敗。ホーム23戦無敗というJ2新記録を打ち立てた。同じく記録したホーム12連勝もJ2新記録。天皇杯も含め、ユアスタで無敗のままシーズンを終えた。

背中部分のスポンサーとして地元・仙台に本社を構える酒類量販店「やまや」、パンツ部分のスポンサーとして 阿部蒲鉾店 とそれぞれ契約した。 シーズン終了後、DF木谷公亮、6月に完全移籍で加入したFWサーレス、FWマルセロ・ソアレスらが退団した。

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連続試合出場記録を持つ梁勇基

2010年 - 2021年(J1)

2010年

チームスローガン:闘志躍動 より高みへの挑戦

手倉森体制3年目。札幌から期限付き移籍中だったGK林卓人が完全移籍に移行。からDF鎌田次郎鳥栖からMF高橋義希、前年7月まで磐田に在籍していた太田吉彰大分からフェルナンジーニョがそれぞれ完全移籍、ブラジルクルゼイロからはFWレイナルドが期限付き移籍で新加入した。

リーグ戦は開幕2連勝を皮切りに、第5節ではJ1リーグ3連覇中の鹿島を降すなど好調なスタートを切った。しかし、続く第6節で清水に1-5の大敗を喫すると、第7節ではホーム・ユアスタで神戸に0-1で敗戦(この敗戦でJ2時代から続いていたリーグ戦におけるホーム不敗記録が25でストップ)。その後攻撃陣に怪我人が続出した影響もあり、鹿島戦以降未勝利のまま2010 FIFAワールドカップ開催に伴うリーグ戦中断期間を迎える。

W杯中断期間中、FWレイナルドが退団した一方で、Kリーグ大田シチズンよりFW朴成鎬を期限付き移籍で獲得。また、リーグ戦再開後の8月にFC東京からFW赤嶺真吾を期限付き移籍で獲得。その後、第20節(8月22日・対大宮)でリーグ戦15試合ぶりの勝利を挙げると、第30節までの11試合を7勝1分3敗で乗り切り、最後は最終節でJ1残留を決めた。シーズン通算成績は10勝9分15敗(勝点39)の14位。

ナビスコ杯は、グループリーグA組を3勝3分けの2位で通過。初の決勝トーナメント(準々決勝)進出を果たした。準々決勝では磐田と対戦したが、1分1敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)でソニー仙台FCに敗退。

代表関連では5月10日、MF梁勇基の南アフリカW杯・北朝鮮代表候補へ選出された。しかし、最終登録メンバーには選出されず、仙台所属選手として初のW杯出場は果たせなかった。9月30日にはMF関口訓充日本代表メンバー選出が発表される。仙台所属選手の日本代表入りは2003年の山下芳輝以来3人目であるが、仙台でプロキャリアをスタートさせた生え抜き選手としては初の代表入りとなった。関口は10月8日アルゼンチン戦で代表デビューを果たした。

5月15日の浦和戦後、仙台の外国籍選手(選手名は非公表)が浦和サポーターから人種差別的な発言を浴びせられたとして、Jリーグが調査を開始。差別発言をしたとされる人物は確認できなかったが、仙台に200万円、浦和に500万円の制裁金が課せられた。

シーズン終了後、MF千葉直樹とFW平瀬智行が引退。また、GK萩原達郎、DF一柳夢吾、MF三澤純一永井篤志、FWフェルナンジーニョが契約期間満了、FW朴成鎬は期限付き移籍期間満了、DFエリゼウ徳島へ完全移籍のためそれぞれ退団した。

2011年

チームスローガン:V Shift 杜が変わる、上がる、熱くなる。

手倉森体制4年目。前年引退した平瀬智行がチームの第2代アンバサダーに就任。初代アンバサダーの岩本輝雄は退任。

選手補強は京都から元日本代表FW柳沢敦とDF角田誠鹿島からFWマルキーニョスをそれぞれ完全移籍、FC東京からMF松下年宏、鹿島からGK川俣慎一郎をともに期限付き移籍、新外国人選手として韓国Kリーグ城南一和からDF曺秉局を完全移籍、ブラジル・イパチンガFCからMFマックスを期限付き移籍でそれぞれ獲得。ソニー仙台へ期限付き移籍していたFW大久保剛志が4シーズンぶりにチームへ復帰し、FC東京から期限付き移籍中だったFW赤嶺真吾を完全移籍で獲得。

1月25日から始まった40日間の春季キャンプを終え、そのまま広島入りして開幕戦を戦い帰仙したチームであるが、ホーム開幕を翌日に控えた3月11日、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)および福島第一原子力発電所事故が発生。これによりリーグ戦、ナビスコ杯が中断。チームも活動を停止。外国籍選手が一時帰国したほか、下部組織選手やMF関口訓充などが避難所生活を強いられることとなった。3月28日、選手達はクラブに再集合した後に足早に石巻市へと向かった。「声も出ない程の光景でした(大久保)」津波で甚大な被害を受けた被災地の光景に選手達は言葉を失った。翌日、練習前のミーティングで手倉森監督は「被災地のチームとして、この地の希望の光になろう」と呼びかけた。同日には震災チャリティマッチ「日本代表vs.Jリーグ選抜(TEAM AS ONE)」に関口とMF梁勇基が出場。チームでは、練習時間外に監督・選手・スタッフでボランティア活動を行うなど、被災地のために動いた[9][10]。地元でのトレーニングが難しくなり仙台は再びホームタウンを離れて、千葉県市原市埼玉県さいたま市でキャンプを張り、リーグ再開に備えた。なお、中断期間中の4月9日にマルキーニョスが退団した。

4月23日、中断明けの第7節(2試合目)で川崎Fに逆転勝利を収める。この試合はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれた。続くホーム開幕戦で浦和を1-0で下し、公式戦での浦和戦初勝利を記録。以後、6月26日のアウェイ清水戦に0-1で敗れるまで、開幕から12試合を6勝6分の無敗(1シーズン制となった2005年以降のJ1記録)でキープした[11]

その後、京都からディエゴをレンタル移籍で獲得。また、8月20日に名古屋戦に勝利し、公式戦での名古屋戦初勝利を記録。10月2日のC大阪戦での勝利でリーグ戦6試合を残しJ1残留が確定。最終成績は14勝14分6敗(勝点56)で、順位も過去最高の4位となった。なお、失点数は2位の名古屋を11下回る25失点でリーグトップ、先制した試合では無敗であった。

ナビスコ杯は2回戦で前回大会優勝の磐田に1分1敗で敗退。天皇杯は4回戦でC大阪にPK戦の末敗れた。

シーズン終了後、DF細川淳矢が契約満了、GK川俣慎一郎、MFマックス、FWディエゴがレンタル移籍期間満了につき退団、DF曺秉局が磐田へ、FW大久保剛志がJFLのソニー仙台へ完全移籍、MF高橋義希鳥栖へ、DF島川俊郎東京Vへ、FW中島裕希山形へ期限付き移籍した。また、横浜FCへ期限付き移籍している関憲太郎の移籍期間も延長された。

10月14日、株式会社ベガルタ仙台が、休部していた東京電力女子サッカー部マリーゼの受け皿として、新たにベガルタ仙台レディースを発足させた。仙台Lは翌年からの日本女子サッカーリーグ2部(チャレンジリーグ)への参加が決まった。

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2012年基本フォーメーション

2012年

チームスローガン:V Shift 杜が進む、越える、輝く☆

手倉森体制5年目。甲府から内山俊彦C大阪から上本大海中国スーパーリーグ陝西宝栄からFWウイルソン、ブラジル・パルメイラスからMFサッコーニを獲得。FC東京から期限付き移籍中だったMF松下年宏が完全移籍へ移行した。新人選手では盛岡商業高校からMF藤村慶太仙台大学からMF奥埜博亮が加入。仙台ユースからMF越後雄太が昇格した。開幕直後には前年途中に横浜FMを退団していたGK阿部陽輔が加入した。

開幕から9試合負けなし(7勝2分)で早い段階から首位をキープし、第2節から第17節終了時まで首位をキープした。中盤まではウイルソンの加入で向上した攻撃力と昨年から引き継ぐ堅守のバランスも良く、広島と優勝争いを繰り広げたが、第18節で名古屋に引き分けたことで、同節勝利した広島に首位を明け渡し、後半戦は第20節、第24節各終了時にこそ首位に立ったもののいずれも直後の試合で敗れ再び首位に立った広島を追う展開となる。自慢の堅守が崩壊し、リードを奪いながらも終盤に失点し、勝ちきれない試合も増えるようになった。第29節終了時には、一旦首位の広島に勝ち点で並び得失点差で2位という状況まで追いすがったものの、その後最終5試合で3分2敗と1勝も出来ず優勝争いから脱落、第33節終了時に広島の優勝決定を許す形となった。それでも11月17日の第32節で3位以上が確定し、クラブ史上初のACL出場権を獲得した。最終成績は15勝12分7敗(勝点57)の2位となり、1度も3位以下に落ちることなくシーズンを終えた。総得点は59とリーグ3位であったが、総失点は43と昨年と比較して大幅に悪化した。Jリーグアウォーズでは、優勝の広島と並ぶ8名が優秀選手賞に選ばれ、その中からウイルソンがクラブ初のベストイレブンを獲得した[注 3]

ナビスコ杯はグループリーグA組を4勝2敗の2位で通過したが、準々決勝でFC東京に1分1敗で敗退。天皇杯は3回戦で熊本に延長戦の末敗れた。

シーズン終了後、DF朴柱成、DF内山俊彦、MFサッコーニが契約満了に伴い退団。この他、MF関口訓充浦和、GK阿部陽輔が金沢へ完全移籍。DF原田圭輔栃木SCへ期限付き移籍した。また、山形に期限付き移籍中だったFW中島裕希鳥栖に期限付き移籍中だったMF高橋義希もそれぞれ完全移籍に移行となった。

2013年

チームスローガン: Vision 継がれる力は、新しいステージへ

手倉森体制6年目。草津(途中C大阪にレンタル移籍)からMFヘベルチ東京VからDF和田拓也新潟からDF石川直樹G大阪からMF佐々木勇人を完全移籍で、スポルチ・レシフェからMFジオゴをレンタル移籍で獲得。昨年途中に特別指定選手として登録された仙台大学のDF蜂須賀孝治が加入。また、東京V(のちに秋田)に期限付き移籍していたDF島川俊郎横浜FCに期限付き移籍していたGK関憲太郎がそれぞれ復帰。シーズン開幕後、GK石川慧S仙台、DF島川俊郎が秋田、MF奥埜博亮長崎へそれぞれ期限付き移籍。DF和田拓也が大宮へ完全移籍。広島からDF石川大徳が期限付き移籍で加入した。

リーグ戦は、ACL出場に伴う過密日程や怪我人の続出、得点力不足などもあり2011年・2012年ほどの目覚ましい成績は残せず、J1残留決定後の終盤は1分け4敗(ラスト3戦で、シーズン唯一の連敗となる3連敗)と息切れし、通算成績は11勝12分け11敗の13位に終わった。なおJ1在籍シーズンでは初となるフェアプレー賞を受賞した。

初出場となったACLは1勝3分2敗でグループリーグ敗退。ナビスコ杯はACL出場により予選リーグ免除となり準々決勝からの出場となったが、その準々決勝で川崎に2敗し敗退となった。天皇杯2009年(ベスト4)以来となるベスト8入り(準々決勝でFC東京に延長戦の末、敗戦)。

10月10日、手倉森監督が2014年より2016年 リオデジャネイロ五輪出場を目指すU-21(21歳以下)男子日本代表監督に就任することが決定したため、2013年シーズン終了をもって退任することを発表[12]。シーズン終了後、MFヘベルチが契約満了、MFジオゴがレンタル移籍期間満了に伴いそれぞれ退団。GK林卓人が広島、MF松下年宏横浜FC、MF田村直也東京V、MF越後雄太盛岡へそれぞれ完全移籍。秋田へ期限付き移籍のDF島川俊郎が完全移籍へ移行。DF原田圭輔町田へ、GK石川慧が秋田へ期限付き移籍、長崎へ期限付き移籍したMF奥埜博亮は移籍期間を延長した。

2014年

チームスローガン: Challenge 誇りを胸に、歴史を刻む (アーノルド監督時代)→ ReVital あふれる力を呼び覚ませ (渡邉監督時代)

新監督にオーストラリア出身のグラハム・アーノルドが就任[13]。昨年途中に特別指定選手として登録された阪南大学のDF二見宏志中央大学東北学院中・高卒)からGKシュミット・ダニエル[14]駒澤大学からFW山本大貴が加入。G大阪からMF武井択也大宮からMF鈴木規郎をそれぞれ完全移籍、セントラルコーストからMFマグリンチィ清水からMF八反田康平をそれぞれ期限付き移籍で獲得。広島から期限付き移籍中のDF石川大徳は移籍期間を延長して残留した。

シーズン開幕後、パースからGKヴコヴィッチを期限付き移籍で獲得。しかし、約3ヵ月で契約を解除しパースに復帰。MFマグリンチィもシーズン途中で契約を解除した。また、GKシュミット・ダニエルが4月20日から1ヶ月間、熊本へ育成型期限付き移籍。FW山本大貴も松本へ育成型期限付き移籍した。W杯開催に伴う中断期間中に、ルーツィクからMFハモン・ロペスを完全移籍で獲得。さらに前半戦折り返し後、大宮からDF村上和弘(8年ぶりに仙台に復帰)を期限付き移籍で、鹿島からMF野沢拓也を完全移籍で獲得した。

チームは開幕からナビスコ杯を含めた公式戦8戦未勝利と不振に陥り、4月9日、アーノルド監督が退任[15]。リーグ戦の成績は、0勝2分4敗(勝点2)得失点差-11の17位だった。後任監督にヘッドコーチの渡邉晋が就任[16]。第14節を終えて5勝3分6敗(勝ち点18)得失点差⁻9の暫定11位まで順位を押し上げ、リーグ戦4連勝で(W杯ブラジル大会開催による)リーグ戦中断期間を迎えた。中断明け後の夏場に5連敗を喫するなどの苦戦を強いられるも、辛くもJ1残留圏に踏みとどまり、第33節・徳島戦勝利でJ1残留を決めた。最終成績は9勝11分14敗の勝ち点38で14位。なお、渡邉監督就任後のリーグ戦成績は、9勝9分10敗(勝点36)得失点差-4。

ナビスコ杯は予選リーグ・1勝1分4敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)で関西リーグ所属・奈良クラブ(奈良県代表)に敗れ、敗退した。

シーズン終了後、FW柳沢敦[注 4]町田に期限付き移籍していたDF原田圭輔がそれぞれ引退。DF鈴木規郎が契約満了により、MF八反田康平とDF石川大徳がレンタル移籍期間満了によりそれぞれ退団。FW武藤雄樹浦和、DF角田誠川崎、DF渡辺広大山形、FW赤嶺真吾G大阪、MF太田吉彰磐田、FW中原貴之福岡、GK桜井繁栃木SC、MF佐々木勇人京都へそれぞれ完全移籍。また、佐藤洋平GKコーチがU-15日本代表GKコーチ就任のため退任した。

8月、クラブ創立20周年記念試合「ベガルタ仙台OB×ユベントスOB」を開催[17]

2015年

チームスローガン: 挽回 SENDAI 2015

渡邉体制2年目。昨年途中より特別指定選手として登録されていたユースのMF茂木駿佑が昇格。富山第一高からFW西村拓真、韓国・光云大からMFキム・ミンテがそれぞれ加入。長崎からMF奥埜博亮秋田からGK石川慧松本からFW山本大貴がそれぞれ期限付き移籍から復帰。昨年途中より加入したDF村上和弘が完全移籍へ移行。松本からDF多々良敦斗横浜FMからGK六反勇治磐田からFW金園英学神戸からMF杉浦恭平からDF渡部博文大宮からMF金久保順、ブラジル・カンブリウFCからDFフェリペをそれぞれ完全移籍で獲得。フェリペは獲得と同時に栃木SCへ期限付き移籍となった。

シーズン途中の6月にGKシュミット・ダニエル熊本へ、7月にMF茂木駿佑が金沢へ、それぞれ期限付き移籍。

このシーズンよりJ1リーグ戦は2ステージ制での開催。第1ステージは開幕5試合を2勝3分と好調なスタートを切ったものの、その後5連敗。さらにFWウイルソンらが怪我で離脱する状況にも直面したが、6勝5分6敗(勝点23)・得失点差+7の7位。続く第2ステージは3連敗を3度喫するなど苦戦を強いられ、3勝3分11敗(勝点12)・得失点差-11の16位に終わるも第1ステージの貯金が効く形となり、年間総合14位。J1残留を果たした(第15節のホーム・G大阪戦前[注 5] に確定)。

「J1リーグ 5月度 月間ベストゴール」に梁勇基のゴールが選出された[18]

ナビスコ杯はグループリーグ1勝2分3敗(勝点5)の最下位で敗退。天皇杯は2年ぶりのベスト8進出を果たした(準々決勝で柏にPK戦の末、敗退)。シーズン終了後、村上が現役を引退。上本大海が長崎、山本と武井択也が松本、鎌田次郎が柏、多々良が千葉へそれぞれ完全移籍、熊本へ期限付き移籍していたシュミットは松本へ期限付き移籍した。

2016年

チームスローガン: Build Up 興 興せ思いを。走らせろ己を。繋げ力を。

渡邉体制3年目。ユースから小島雅也佐々木匠が昇格。青森山田高から常田克人市立船橋高から椎橋慧也明治大から差波優人が新加入。他クラブからは千葉から大岩一貴水野晃樹を完全移籍、清水から平岡康裕FC東京から三田啓貴期限付き移籍で獲得。金沢へ期限付き移籍していた茂木駿佑が復帰。

2ndステージ開幕後の7月、DF二見宏志が清水へ完全移籍。また、同月にブラジルアトレチコ・ミネイロから、パブロ・ジオゴを期限付き移籍で獲得した[19]

J1リーグ戦・第1ステージは序盤に4連敗を喫するなど苦戦を強いられ、第10節終了時点で降格圏となる17位にまで沈んだものの、その後は4連勝するなどの巻き返しを見せ、通算7勝2分8敗(勝ち点23)・得失点差-5の10位。第2ステージも第1ステージ同様に調子の波が大きい戦いぶりが続くが、第14節の鳥栖戦に勝利してJ1残留が確定。同ステージは通算6勝2分9敗(勝ち点20)・得失点差-4の12位で、年間成績は13勝4分17敗(勝ち点43)・得失点差-9の12位。

ナビスコ杯[注 6] は最初の4試合を無敗(2勝2分)、首位を走ったものの、残りの2試合を連敗。この連敗が響き、結局、7チーム中5位(勝ち点は3位タイだが、得失点差で2チームを下回った)でグループステージ敗退となった。天皇杯J3盛岡に敗れ、初戦(2回戦)敗退。

なお、2ndステージ第14節・鳥栖戦で、ハモン・ロペスハットトリックを達成、J1のリーグ戦ではクラブ史上初となった[20]

シーズン終了後、水野が鳥栖、ウイルソン甲府渡部博文神戸キム・ミンテ金園英学札幌杉浦恭平が金沢、六反勇治が清水、ハモン・ロペスがへそれぞれ完全移籍した。

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Jリーグベストピッチ賞

2017年

チームスローガン: Be STRONG 興せ、未来を

渡邉体制4年目。法政大から永戸勝也が新加入。FC東京から平山相太が完全移籍[21]から増嶋竜也浦和から石原直樹川崎から中野嘉大SCブラガからクリスランがそれぞれ期限付き移籍加入。松本へ期限付き移籍していたシュミット・ダニエルが復帰。また、前年に期限付き移籍で仙台へ加入した三田啓貴平岡康裕がともに完全移籍に移行。

シーズン開幕直後の3月に中東高校イ・ユノを獲得、リーグ戦中断期間の7月には名古屋から古林将太が期限付き移籍で加入した一方、石川直樹札幌へ完全移籍した。

3シーズンぶりに1ステージ制に戻ったJ1リーグ戦は第3節の神戸戦で、東日本大震災の発生後初めて3月11日に試合が開催された[22]。また、翌週の同月18日に行われた第4節柏戦でJ1通算100勝を達成[23]。シーズン通して好不調の波が大きかったが、最終成績は11勝8分15敗の勝ち点41で12位。

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ルヴァン杯得点王クリスラン(ホーム新潟戦で5月度ベストゴール受賞) 月間ベストゴール - YouTube

ルヴァン杯(旧・ナビスコ杯)は、グループステージ第1節のFC東京戦で0-6の大敗を喫するも、その後4勝1分けと立て直し、A組1位(勝ち点13・得失点差0)でノックアウトステージに進出[注 7][24]。ノックアウトステージ・準々決勝では鹿島と対戦し、1勝1敗も2戦合計スコアで上回り、チーム初のベスト4進出を果たす。準決勝では川崎と対戦。ホームでの第1戦を3-2で勝利するも、続くアウェイでの第2戦を1-3で落とし、2戦合計4-5で敗退。決勝進出はならなかった。なお、西村拓真が同大会のニューヒーロー賞を獲得した。

天皇杯は2回戦で筑波大学に2-3で敗れ、前年に続き初戦敗退となった[25]

シーズン終了後、石川慧栃木、三田が神戸へそれぞれ完全移籍。この他、増嶋とクリスランが期限付き移籍期間満了、ヴィニシウス野沢拓也がともに契約満了となり退団。また、小島雅也町田藤村慶太金沢へそれぞれ期限付き移籍。盛岡へ期限付き移籍していた差波優人富山徳島へ期限付き移籍していた佐々木匠讃岐へそれぞれ期限付き移籍。

博報堂DYメディアパートナーズと10年間にわたるビジネス戦略パートナー契約を締結[26]

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2018年基本フォーメーション

2018年

チームスローガン: Be STRONG 興せ、「シン」の力を

渡邊体制5年目。流通経済大からジャーメイン良が新加入、G大阪から金正也新潟から川浪吾郎岐阜から庄司悦大韓国蔚山現代から阿部拓馬がそれぞれ完全移籍で、川崎から板倉滉が期限付き移籍で加入した[27]。また、前年に期限付き移籍で加入した野津田岳人が移籍期間を延長し、中野嘉大古林将太石原直樹がそれぞれ完全移籍に移行した[28]。一方で、同シーズンの契約更新が発表されていた平山相太[29]、キャンプイン後に現役引退を表明し退団[30][31]ECヴィトーリアからラファエルソンを期限付き移籍で獲得。4月10日には昨季までC大阪に在籍していた関口訓充が6シーズンぶりにチームに復帰[32]。6月25日にはG大阪から矢島慎也、7月9日には神戸からハーフナー・マイクがともに期限付き移籍でそれぞれ加入、9月11日には前々年まで在籍していたハモン・ロペスが完全移籍で復帰。その一方で6月11日には茂木駿佑水戸、7月14日には庄司が京都へそれぞれ期限付き移籍。7月24日には金久保順が京都、9月1日には西村拓真がロシアのPFC CSKAモスクワへそれぞれ完全移籍。西村は24節終了時点で日本人トップの11得点を挙げて仙台の攻撃を牽引し、サッカーダイジェストのブレイクランキングで1位の評価を得た[33]

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初の天皇杯決勝進出

J1リーグは開幕5試合を無敗(3勝2分)と幸先良いスタートを見せる。その後は勝ったり負けたりの繰り返し。終盤になり失速(第27節からの8試合を1勝1分6敗)するが、それでも最終的には13勝6分15敗(勝ち点45)の11位でJ1残留。ルヴァン杯は、グループステージを3勝2分1敗の勝ち点11・得失点差+4で2年連続の1位通過。プレーオフステージ[注 8]湘南と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア3-4で敗退(湘南は同大会で優勝を果たす)。天皇杯はクラブ史上初の決勝へ進出(決勝で浦和に0-1で敗れ、準優勝となった)。

シーズン終了後、16年間チームに在籍し続けた菅井直樹が引退。この他、古林が湘南、中野が札幌へそれぞれ完全移籍。期限付き移籍で加入していたハーフナー、野津田、矢島、板倉、ラファエルソンがそれぞれ期間満了で退団。また仙台から他クラブへ期限付き移籍中の庄司、藤村慶太、茂木が完全移籍に移行し正式に退団。富山へ期限付き移籍していた差波優人も契約満了により退団(移籍先の富山も退団)。イ・ユノ福島へ期限付き移籍した。また、町田へ期限付き移籍していた小島雅也が金沢、讃岐へ期限付き移籍していた佐々木匠山口へそれぞれ育成型期限付き移籍した。板倉は翌年1月、プレミアリーグのマンチェスター・シティに完全移籍[34]

2019年

チームスローガン: ReVolution

渡邉体制6年目。桐生第一高から田中渉成立学園高から照山颯人が新加入。この他、長崎から飯尾竜太朗札幌から兵藤慎剛神戸から松下佳貴松本から石原崇兆甲府から道渕諒平(仙台ユース出身)、G大阪から神戸へ期限付き移籍していた長沢駿、前年までアル・アハリSCでプレーしていたモザンビーク代表シマオ・マテが完全移籍、横浜FMから吉尾海夏が期限付き移籍でそれぞれ加入。シーズン中の6月28日にはディバ・アル・フジャイラからジオゴ・アコスタ、7月2日にはシロンスク・ヴロツワフからヤクブ・スウォビィク、7月25日には札幌から中原彰吾が完全移籍でそれぞれ加入し、7月18日には日本代表としても活躍するようになったシュミット・ダニエルシント=トロイデンVVへ完全移籍。

J1リーグは選手の大幅な入れ替わりもあって第4,5,13節終了時は最下位に沈むが、システムを4バックに、次いで堅守速攻の戦術に変更すると、3バック時に適正ポジションが見つからなかったシマオ・マテがセンターバックに定着し(クラブ7年ぶりの優秀選手賞を受賞)、左サイドバックの永戸勝也がアシストを量産(公式記録とはならないが、リーグ最多の10アシスト)するなどして復調。最終的には12勝5分17敗(勝ち点41)の11位でJ1残留。ルヴァン杯は、グループステージを3勝3分0敗の勝ち点12・得失点差+4で3年連続の1位通過。プレーオフステージで名古屋と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア1-2で敗退。天皇杯はラウンド16(4回戦)で手倉森誠監督率いる長崎に敗れた。

シーズン終了後、渡邉監督が退任[35]。選手では16年間在籍し続けた梁勇基鳥栖、主将の大岩一貴および石原直樹湘南永戸勝也鹿島阿部拓馬琉球金沢へ期限付き移籍していた小島雅也群馬へそれぞれ完全移籍。横浜FMからの期限付き移籍でプレーしていた吉尾は町田へ期限付き移籍。ジオゴ・アコスタハモン・ロペスも契約満了により退団した。

ベガッ太の妹、ルターナが開幕戦より初登場。

2020年

チームスローガン: 熱結 LINK to the FUTURE

前年まで山形を指揮していた木山隆之が新監督に就任[36]。選手ではユースから小畑裕馬が昇格。この他、広島から地元・仙台出身の吉野恭平ボタフォゴSP(ブラジル)からパラ鳥栖からスペイン出身のイサック・クエンカ名古屋から赤﨑秀平水戸から浜崎拓磨がそれぞれ完全移籍、ヴィトーリアSC(ポルトガル)からアレクサンドレ・ゲデスC大阪から山田寛人FC東京から前年、山形でプレーしていた柳貴博がそれぞれ期限付き移籍で新加入。また、山口へ期限付き移籍していた佐々木匠福島へ期限付き移籍していたイ・ユノが復帰。

リーグ戦では17試合連続未勝利を喫する等、シーズンを通して苦戦。終盤にやや巻き返しがあったものの、最終的には6勝10分18敗(勝点28)の17位。本来ならばJ2降格となる順位だったが、新型コロナウイルス感染症流行に伴う特別レギュレーションにより"降格なし"となりJ1残留。6勝は全てアウェイで挙げたもので、ホームでは1勝も挙げる事ができなかった。

9月1日、従来の運営会社である株式会社ベガルタ仙台マイナビとの間で、マイナビベガルタ仙台レディースの経営権譲渡に関する基本合意書を締結したことが明らかにされた。[37] 2020年シーズンは従来の体制のままチームを運営し、シーズン終了後に正式に経営権を譲渡となった。

10月20日、道渕諒平が交際女性とのトラブルにより9月に逮捕されていたと報じられ[38]、事実関係を確認した上で契約を解除した[39]

また、新型コロナウイルスの影響による大幅な減収により、債務超過に陥る見込みとなった。これを受けて緊急募金を実施していたが、道渕の契約解除により募金は中断された[40]

シーズン終了後、木山は監督を退任[41]、強化育成本部長の丹治も退任。選手では10年間在籍した関憲太郎が契約満了により山口へ移籍、椎橋慧也ジャーメイン良横浜FC川浪吾郎広島常田克人浜崎拓磨松本へそれぞれ完全移籍。セレッソ大阪から期限付き移籍でプレーしていた山田寛人は移籍期間が満了。兵藤慎剛飯尾竜太朗金正也アレクサンドレ・ゲデスパライ・ユノも契約満了により退団した。

2021年

チームスローガン: Standin' together☆Revival 立ち上がれ復興へ

2013年まで6年間チームを指揮していた手倉森誠が8シーズンぶりに監督に復帰。

阪南大学から真瀬拓海流通経済大学から加藤千尋アピアタウィア久仙台大学から井岡海都が新加入。この他、長崎から氣田亮真横浜FCから皆川佑介浦和からマルティノス名古屋から秋山陽介岐阜から長倉颯が完全移籍、磐田から上原力也が期限付き移籍でそれぞれ加入。ポルティモネンセからストイシッチFCヴィゼラからオッティサントスFCからカルドーゾアヴァイFCからフォギーニョも加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止のために入国は加入発表より数か月遅くなった。

本年も主力選手に故障が相次ぎ中々ベストメンバーが揃えられなかった。契約更新したクエンカシマオ・マテ、新加入のマルティノスはシーズン途中に双方合意の元で契約解除となった。

7月に田中渉山口への育成型期限付き移籍が決定。8月に富樫敬真福森直也が加入。

前年に降格が行われなかった関係で20チームの参加で行われたJ1リーグ戦は開幕戦こそ引き分けるも、2戦目から6連敗。11戦目でようやく初勝利を挙げた後は一時的に巻き返しを見せるも、東京五輪開催による中断が明けてからはまたしても負けが込むようになり、11月20日に2試合残してのJ2降格が決定。同22日をもって手倉森が監督を退任。翌23日よりヘッドコーチを務めてきた原崎政人が"暫定"監督に就任し、残り2試合の指揮を執った。最終成績は5勝13分20敗(勝ち点28)の19位で、12年間留まり続けたJ1から去る事になった[注 9]

ルヴァン杯はグループステージ2勝4敗(勝ち点6)の3位で敗退。

2年ぶりの出場となった天皇杯では岩手県代表として出場したJ3リーグ所属の岩手と初戦で対戦するも、0-1で敗戦。

シーズン終了後、石野智顕GKコーチが清水へ移籍。選手ではユース出身の佐々木匠愛媛、6年間在籍した西村拓真横浜FM、GKのヤクブ・スウォビィクFC東京アピアタウィア久京都へそれぞれ完全移籍。ベテランの関口訓充(後に南葛SC入団)、長倉颯オッティも契約満了により退団した。

初のユニフォーム胸上部スポンサーとして、株式会社エス・ブイ・シー(SVC) と契約を締結。同社のロゴが鎖骨左部分に掲出。

また、ベガルタチアリーダーズユニフォーム前面スポンサーとしても支援を開始[42]

2022年 - (J2)

2022年

チームスローガン:CRAWL UP 這い上がる

前年11月に暫定監督に就任した原崎政人がそのまま続投し、アシスタントコーチに角田誠、GKコーチに大神友明、フィジカルコーチに松本純一らが入閣。選手では2019年まで16年間在籍していた梁勇基鳥栖からの完全移籍で3シーズンぶりに復帰。その他にも、鹿島から地元・仙台出身の遠藤康水戸から中山仁斗福島から鎌田大夢長崎から期限付き移籍で名倉巧などを新戦力として迎えた。蔚山現代FCから期限付き移籍でキム・テヒョンロサリオ セントラルからデサバトも加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止の為に入国は加入発表より数か月遅くなった。田中山口への期限付き移籍期間の延長が決定。

木下グループとユニフォーム(鎖骨右部分&背中上)スポンサー契約を新たに締結[注 10][43]。また、デジタルマーケティングパートナー、セプテーニ・ホールディングスと、ユニフォームショーツ背面スポンサーとしての契約を新たに締結した[44]

4月6日、6日前に赤﨑秀平が一身上の都合で退団(後に南葛SC入団)しセレッソ大阪より中島元彦育成型期限付き移籍で獲得。4月26日、ホームタウンを「仙台市」から「仙台市を中心とする宮城県全県」に変更することを発表[45]

6月1日、25周年を迎えたユアスタにて天皇杯2回戦ホンダFCに勝利[注 11]

7月7日、ガンバ大阪より佐藤瑶大育成型期限付き移籍で獲得。7月16日、盛岡戦でJ2通算200勝を達成[46]

9月6日、先月の4連敗を受けて原崎監督解任ならびに8月まで磐田の監督を務めていた伊藤彰の新監督就任を発表[47][48]

チームは序盤好調を維持。一時首位に立ち、前半戦終了時点でも首位新潟と勝点差2の2位に立っていたが、後半戦に入ると失速。特に第31節からの12試合で2勝2分8敗と大ブレーキがかかり、優勝並びに自動昇格争いからは遠ざかってしまう。最終節の秋田戦に勝利すればプレーオフ進出の可能性があったもののスコアレスドローに終わり、結局前節まで8位だった山形に逆転され7位で終了した。後半戦で6勝5分10敗、勝点23しか挙げられなかったことが響いた形となった。

シーズン終了後、7年間在籍した平岡康裕が契約満了で愛媛へ、ストイシッチも満了で町田へ、カルドーゾ名倉巧佐藤瑶大は期限付き期間満了、デサバト大神GKコーチも退団となった[注 12]吉野恭平横浜FC富樫敬真鳥栖田中渉山形石原崇兆金沢へ移籍し、18年在籍した富田晋伍は現役引退を表明した。

2023年

チームスローガン:GRAV 協創 [注 13]

前年最終戦の翌日、伊藤彰監督の続投が発表された。コーチの人事にも動きがありヘッドコーチに渋谷洋樹、コーチに堀孝史、GKコーチに工藤輝央らが入閣。選手では中島元彦が期限付き期間を延長し、山田寛人も3季ぶりに復帰、神戸から郷家友太ポルティモネンセからエヴェルトンFC東京から林彰洋浦項からホ・ヨンジュン鳥栖から相良竜之介大分から小出悠太熊本から菅田真啓を新戦力として迎えた。新卒ではオナイウ情滋工藤蒼生梅田陸空菅原龍之助が入団し、大曽根広汰藤枝へ期限付き移籍が決定。例年よりも早いペースで年内に既存選手の契約更新を終わらせた。

2023年1月10日、運営会社が広告主となり泉中央駅に副駅名として「ベガルタ仙台・ユアスタ前」と命名した[49]。1月11日、平成の森 多目的運動場が「ベガルタ仙台平成の森運動場」となった[50]

2月8日、トップチームの練習場である「ベガルタ仙台紫山サッカー場」の呼称が「アイリストレーニングフィールド」となった[51]

5月3日、秋田戦はマイナビ仙台レディース長野戦と史上初のダブルヘッダーで開催。5月15日、J30ベストアウォーズにおいて、ベストマッチを受賞[52]

6月8日、庄子春男がGMに就任[53]

6月13日、Youtuberかっつーが応援アンバサダーに就任。

7月13日、天皇杯敗退後に伊藤彰監督退任ならびに堀孝史コーチの監督就任を発表[54][55]。シーズン途中での監督交代は3年連続となる。

8月3日、名古屋グランパスより長澤和輝を獲得。

10月27日、2023年6月11日に開催された対ジュビロ磐田戦の試合終了後にベガルタ仙台の100人を超えるサポーターが、磐田の選手が行ったゴールパフォーマンスが不満だったため、スタジアムの立入禁止区域に侵入して、磐田の選手らが乗ったバスを取り囲んで、30分以上にわたって罵声を浴びせ威嚇した。これによりクラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分が下された[56]。また、クラブの元社員が2015年12月から2023年6月16日までに、顧客からチケットなどの代金を受領していた現金と顧客に対して販売するためにクラブから交付されたチケットなど、合わせておよそ1100万円分を着服した上で横領したことについても、クラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分を下した[56]

6月11日の磐田戦から2ヶ月勝利なし、昇格組のいわき藤枝に一度も勝てず(2分2敗)、最下位で降格した金沢に唯一シーズンダブル(2敗)を食らうなど、シーズンを通して低空飛行を続けた。またアウェイ山形戦で1-4で大敗し、13年ぶりのダービー敗戦を喫した[57]

最終的に12勝12分18敗の16位となり、1999年のJリーグ参入以来最低順位を記録するという不名誉な結果に終わった。シーズン終了後に18年在籍した梁勇基が引退し、12年間在籍した蜂須賀孝治も契約満了で秋田へ移籍、エヴェルトンとキム・テヒョンとホ・ヨンジュンは期限付き期間満了、堀監督は退任した。

2024年

チームスローガン:PASSION 限界を超えろ

クラブ30周年の節目の年。前所属の川崎を強豪クラブにした立役者の一人である庄子GMは「リフォームしようと思っていたら、建て替えに近い状態だった」とベガルタの抜本的な改革を試案。クラブの短期的な目標は毎年「昇格」を念頭に置きつつも長期的には下部組織をプレミアリーグに昇格させて競争力を上げ、トップチームとの交流を増やす事でチームの核となる選手、世界で活躍する選手を一人でも多く育成して「育成クラブ」として発展しようと決意[58]。クラブは前U-17日本代表監督で育成年代で実績十分な森山佳郎を新監督に招聘し、東北学院大学泉キャンパスに練習場を新設するプロジェクトを立ち上げた[59]。コーチ陣も大幅に変わり、ヘッドコーチに片渕浩一郎、コーチに今野章、フィジカルコーチに村岡誠を招聘し、GKコーチには植田元輝をユースから引き上げた。

選手では中島元彦が期限付き期間を延長し、秋田から髙田椋汰横浜FCからマテウス・モラエス浦和から知念哲矢川崎から名願斗哉ヴィラ・ノヴァFCからエロンを獲得[注 14]。新卒は神村学園高等部から西丸道人仙台大学から石尾陸登びわこ成蹊スポーツ大学から工藤真人中央大学から有田恵人が入団。

キャプテンには遠藤康が就任し、空位となった背番号「10」は鎌田大夢が引き継いだ[注 15]

1月、東北大学大学院経済学研究科バンコクFCと包括連携協定を締結[60][61]

3月12日、川崎より松井蓮之期限付き移籍で獲得。3月21日、「人権擁護功労賞」を受賞[62]

7月10日、Jリーグ気候アクションweb検定で1位を獲得[63]。7月15日、クラブ設立30周年記念ユニフォームを発表[64]

夏の第2登録期間では、横浜FMから實藤友紀山口から梅木翼町田から奥山政幸を獲得し、長澤和輝がニュージーランドのウェリントン・フェニックスFCへ完全移籍。

9月27日、同じ宮城県を拠点とするソニー仙台FCが創設から56年目に解散を発表[65]

本年よりJ1〜J3全チーム参加での開催となったルヴァン杯は1stラウンド1回戦で沼津と対戦するが、2-3で敗退。天皇杯も初戦となった2回戦で徳島に0-1で敗退。

J2リーグ戦では3連敗が1度もなく(2連敗も2度のみ)、シーズンを通して概ね好調を維持。最終的には18勝10分10敗(勝点64)の6位となり、J1昇格プレーオフ出場。アウェイ連戦となった同プレーオフでは準決勝で長崎に4-1で勝利したものの、続く決勝で岡山に0-2で敗戦。4シーズンぶりのJ1復帰はならなかった。

12月14日、梁勇基へのクラブ史上初となる引退試合が行われた[66][67]

シーズン終了後、キャプテンを務めた遠藤が現役引退[68]。この他、中山仁斗内田裕斗が契約満了[69][70]松下佳貴藤枝小出悠太甲府小畑裕馬福岡へそれぞれ完全移籍[71][72][73]C大阪からの期限付き移籍期間を延長していた中島も移籍期間満了(C大阪へ復帰)[74] により退団。また、菅原龍之助栃木SC、工藤真人が高知へそれぞれ期限付き移籍となった[75][76]。8月に大宮へ期限付き移籍した知念も同クラブへの移籍期間満了と同時に水戸へ期限付き移籍[77]

2025年

チームスローガン:PASSION 限界を超えろ

森山体制2年目。監督はじめコーチ陣は前年度と変更なし。一方、選手ではユースから横山颯大がトップチームに昇格。帝京長岡高から安野匠日章学園高から南創太中央大から湯谷杏吏が新加入。岡山から堀田大暉水戸から石井隼太名古屋から井上詩音浦和から武田英寿栃木SCから宮崎鴻SCラインドルフ・アルタッハオーストリア)からグスタボ町田から荒木駿太がそれぞれ完全移籍加入。前年度、期限付き移籍で在籍していた實藤友紀奥山政幸松井蓮之がそれぞれ完全移籍に移行。育成型期限付きで在籍していた名願斗哉は移籍期間を延長し、引き続き仙台に在籍。5年ぶりのJ1復帰を果たすために躍動する。

ホーム・ユアスタは芝張り替え工事で6月中旬まで使用できなかったため、それまでの間のホームゲームはキューアンドエースタジアムみやぎ(Qスタ)で開催され、ユアスタでの初戦は6月22日・第20節の甲府戦となった。

3月9日の練習試合・福島戦を最後に、2003年の運用開始から22年間使用した仙台市泉区野村のクラブハウスでの活動を終了した[78]

3月12日、東北学院大学泉キャンパス内に整備された天然芝グラウンド「東北学院総合運動場 ベガルタ仙台フィールド」および新クラブハウスのオープニングセレモニーを実施し、新練習場での初練習を行った。以降は同グラウンドおよびアイリストレーニングフィールドで練習を実施する[79]

ルヴァン杯は1stラウンド1回戦で栃木SCと対戦。0-0のまま延長戦でも決着がつかず、PK戦にまでもつれ込んだが3-4で敗れ、2年続けての初戦敗退。天皇杯も初戦となった2回戦で富山に0-1で敗れた。

6月2日、高知より小林心を完全移籍で獲得[80]

7月6日、實藤友紀が富山へ完全移籍[81]

7月14日、西丸道人讃岐へ育成型期限付き移籍[82]

7月17日、梅木翼秋田へ期限付き移籍[83]

7月22日、川崎より山内日向汰が期限付き移籍で加入[84]

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成績

タイトル・表彰

国内タイトル

表彰

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クラブ記録

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通算勝利数

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通算得点

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入場者数

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個人記録

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チーム得点王、サポーターが選ぶ年間MVP賞

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所属選手

要約
視点

代表選出選手

トップチーム在籍期間中に各国代表に選出された選手は以下の通りである。

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ダービーマッチ

連携・提携など

サッカークラブ

地方公共団体

  • 2016年4月 - 宮城県の旗 石巻市(復興支援連携に関する協定)
  • 2022年3月 - 宮城県の旗 石巻市(スポーツ交流活動等に関する協定)
  • 2022年6月 - 宮城県の旗 南三陸町SDGs推進及び連携・協力に関する協定)
  • 2022年10月 - 宮城県の旗 名取市(包括連携協定)
  • 2023年2月 - 宮城県の旗 東松島市(GX(Green Transformation)推進及びSDGs達成を目指す包括連携協定)
  • 2023年6月 - 宮城県の旗 富谷市(スポーツ交流活動等に関する協定)
  • 2023年11月 - 宮城県の旗 塩竈市(包括連携協定)
  • 2024年8月 - 宮城県の旗 利府町(包括連携協定)
  • 2024年8月 - 宮城県の旗 大和町(SDGs推進及び連携・協力に関する協定)
  • 2025年4月 - 宮城県の旗 多賀城市(包括連携協定)

教育機関

その他

  • 2022年4月 - 宮城県の旗 大郷町仙台大学附属明成高等学校(SDGsなまちづくりに向けた連携・協力に関する協定)
  • 2022年6月 - 宮城県行政書士会(包括連携協定)
  • 2022年7月 - TBM(連携協力に関する協定)
  • 2023年6月 - 泉青年会議所(SDGs協働推進協定)
  • 2023年11月 - NTTドコモ(「べガルタ仙台」を中心とした地域経済活性化に関する協業契約)
  • 2024年6月 - 全国健康保険協会宮城支部(健康経営の普及を目指した相互連携に関する協定)
  • 2024年8月 - 明治安田生命保険仙台支社(未来世代応援活動協定)
  • 2025年1月 - 宮城県赤十字血液センター(献血活動の普及・広報を推進することを目指したパートナーシップ協定)

ホームスタジアム

要約
視点

ユアテックスタジアム仙台(仙台スタジアム、以下「ユアスタ」)をホームスタジアムとしているが、キューアンドエースタジアムみやぎ(宮城スタジアム、以下「Qスタ」)でも不定期にホームゲームを開催する。

ユアテックスタジアム仙台

ブランメル仙台旧JFL)時代の1997年からホームゲームが開催されているほか、2025年4月からは株式会社ベガルタ仙台を代表法人とする共同事業体「仙台泉 SPORTS PARK CONSORTIUM」が指定管理者として管理運営を行っている[85]

仙台市泉区の「やまいちサステナパーク七北田公園」内に所在する。仙台市地下鉄南北線仙台駅から泉中央駅までは約15分、泉中央駅からスタジアムまでは徒歩4分であり、市内中心部からのアクセスではQスタに勝る。多くの観客が地下鉄を利用して来場するため、試合終了後はスタジアム北側の仙台市道泉中央25号線・26号線で歩行者天国が実施される[86]

Thumb
ボックスシート
Thumb
ふわふわベガッ太

2016年にJリーグベストピッチ賞を受賞したほか、サッカーダイジェストのスタジアム部門ランキングで2位に輝くなど、ピッチ状態や臨場感に関してサッカー関係者から高い評価を受けている[87]

座席は全周が屋根に覆われているため、前方の列でなければ雨に濡れずに観戦が可能である。ボックスシートの設置や高密度W-Fi「VEGALTA FREE Wi-Fi」の導入により近年観戦環境が向上したほか、2024年のLED照明導入によりナイトゲーム時の演出がより多彩となった[88]

芝生の張替え

  • 2009年の芝生全面張替えに伴い、6月末までは宮城スタジアムで11試合、福島県営あづま陸上競技場(現:とうほう・みんなのスタジアム)で1試合が開催された。なお、ブランメル時代に岩手県でホームゲームを開催したことはあったが、Jリーグ加盟後(ベガルタ仙台に改称後)に宮城県外でホームゲームを開催するのは2009年が初めてであった。
  • 2025年には16年ぶりに芝の全面張替え作業が実施された。6月まではQスタでJ2リーグ9試合、天皇杯1試合のホームゲームが開催される予定である[89]

キューアンドエースタジアムみやぎ

宮城郡利府町宮城県総合運動公園「グランディ・21」内に所在する。

2001年の第56回国民体育大会(新世紀・みやぎ国体)の主会場として建設され、2002 FIFAワールドカップ2020年東京五輪サッカー競技の会場としても使用された。

収容人員はユアスタの約2.5倍の49,133人であり、J1に初昇格した2002年以降は多くの集客が見込まれる試合(みちのくダービー浦和戦など)で不定期に使用されている。しかしながら、主たる交通手段は「最寄り駅からのバス」または「自家用車」であり、仙台方面からのアクセスの悪さや周辺道路の渋滞が問題として指摘されている。2025年に16年ぶりにホームゲームを開催するにあたり、クラブは駐車場シェアリングサービスアキッパ(akippa)との提携、シャトルバスの運行、路線バスの増便、自転車シェアリングサービスDATE BIKEの臨時ポートの設置など様々な対策を実施し、アクセスの改善を図っている[90]

2011年3月11日の東日本大震災により、Qスタ(当時宮城スタジアム)を含むグランディ・21全体が避難所、遺体安置所、救援物資搬送所として使用されることになった。ユアスタの損傷は使用可能の範囲とされたため、当初はQスタで開催予定だった4月29日の第8節浦和戦はユアスタで開催されることとなった。なお、この浦和戦が震災後初のホームゲーム、初のユアスタの使用行事となった。

ホームゲーム開催地

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ブランメル仙台時代に使用された上記以外のスタジアム

スタジアムDJ

  • MiC(2019年 - )
過去のスタジアムDJ
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ベストマッチ

要約
視点

Jリーグ表彰

各メディアに伝説の試合として多く挙げられるのが次の試合。①と②は Youtube Jリーグ公式チャンネルの「もう一度見たいあの試合」に選ばれており、②はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれている。サッカーダイジェストにおいても2つは番記者セレクト名勝負ベスト3に選ばれている[91][92]

※対戦カード・開催スタジアムの表記は試合の行われた当時のもの。

さらに見る 対戦カード, 開催日/開催スタジアム ...

復興応援試合

東日本大震災に伴うリーグ戦中断明けから始まった復興支援試合。仙台と川崎の再開初戦はJ30ベストアウォーズベストマッチに選ばれた[93]

翌年から3.11より日付が一番近い試合は「復興応援試合」と銘打って大々的に行われる様になったが、クラブによっては「復興祈念試合」と謳う場合もある。

試合前の募金活動や被災者の無料招待等の支援活動が主であり、沢山のJリーグクラブが行った。10年経っても支援活動を続けているクラブはありその内容は多岐にわたる。

仙台も日頃のホームタウン活動において震災復興支援として下記の活動をしている[94]

  • 選手被災地訪問
  • 東日本大震災追悼式典参列
  • 復興支援サッカーキャラバン
  • 復興支援in石巻
  • 宮城・東北Dream Project (被災地招待事業)
  • こころもからだも元気Project
  • 被災地商店街訪問

2016年には「5周年 復興祈念ユニフォーム」を着用[95][96]

2021年には新しく 『東日本大震災10年プロジェクト』 と標榜した活動をし選手達のユニフォームに「全ての仲間にありがとう。がんばろう!宮城·東北」と掲出し全試合で発信した[97]。本年の対戦カードは10年前と同じ川崎。

毎年のトップチーム始動日には全員で被災地訪問をするのが恒例である[98]

対戦相手は同じ震災で被害を受けたチームもしくは違う災害を経験したチームになる事が多くテレビ中継率も高い。

※2015と2016シーズンは2ステージ制

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ユニフォーム

要約
視点
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チームカラー

  •   ゴールド[1]  ブルー[1]  レッド[1]

デザイン・配色

  • シャツの首下(2011年 - 2014年は裾、2015年以降のモデルは右袖の「SENDAI」ロゴの両端)とソックス(2011年 - 2012年モデル以降は廃止)ならびにパンツの後ろには、織姫と彦星を意味する緑と黄色の星がアクセントとして刺繍もしくはプリントされている(これは1999年-2001年使用のベガルタ初代モデルから続いている)。
  • フィールドプレーヤー用2ndユニフォームは白を基調としたモデルが多いが、2007年 - 2010年まではシャツ、パンツ、ストッキング共にシルバーを使用。2015年・2016年は、シャツ、ストッキングにそれぞれ青、パンツに白を使用。
  • ゴールキーパー用ユニフォームは、1stユニフォームは2007年 - 2010年まで薄いピンク、2017年は鮮やかなピンクだったのを除き、赤(2018年 - 2020年は蛍光色)が採用されている。また緑色ユニフォームは2006年までと2013年 - 2014年に、水色ユニフォームは2007年 - 2014年と2018年に採用。グレーユニフォームは2006年まで採用されていたが2007年 - 2014年は設定がなかった。2015年に再びゴールキーパー用2ndユニフォームとしてグレーを採用。
  • 2009年10月のリーグ戦ホームゲームでは、クラブ創設15周年を記念して黒をベースに右袖などにはベージュに近い金色を配した特別ユニフォームを着用(GKは、10月7日のみフィールドプレーヤー用1stユニフォームを着用)。2014年10月のリーグ戦ホームゲームも、クラブ創設20周年を記念して同じ配色の特別ユニフォームを着用した(前年12月に発表)。
  • 2011年 - 2012年モデル以降はフィールドプレーヤー用1stユニフォームのストッキングが、青からゴールドに変更。なお対戦相手のユニフォームに合わせて青のストッキングも引き続き用意されている。
  • 2015年シーズンよりアディダスジャパンとサプライヤー契約を結んだと発表[99]。サプライヤーの変更は、Jリーグに加盟した1999年以来となる。
  • 2016年シーズンよりサマーユニフォームを開始している。
    • 2016年夏季のリーグ戦ホームゲームでは、東日本大震災から5年が経過し、その復興を祈念してベージュに近い金色をベースにした襟付きユニフォームを着用[100]
    • 2017年夏季のコンセプトは、ユアテックスタジアム仙台開場20周年を記念して黒(ゴールキーパー用は赤)をベースに、ブランメル仙台の緑色とベガルタゴールドの襷掛けをデザイン。夏季のリーグ戦(およびヴィッセル神戸とのプレシーズンマッチ)ホームゲームで着用された[101][102]
    • 2018年夏季のコンセプトは「一体感」。クラブ史上初となる試みで、ユニフォームスポンサーをゴールド一色に統一。7月下旬から8月のホームゲームで着用する[103][104]
    • 2019年夏季のコンセプトは「闘志継承」。クラブ創立25周年を記念して黒と紺のボーダー柄をベースに、襟と袖にブランメルグリーンをあしらい、ネームナンバーのフォントはブランメル時代のフォントを再現。ブランメルエンブレムとベガルタエンブレムの特別なロゴもつき、クラブの歴史を感じるデザインとなっている[105][106]
  • 2019シーズンはJリーグ史上初めて、ユニフォームにマスコット(ベガッ太と妹のルターナ)の顔がデザインされている[107]
  • 2021シーズンは、2年ぶりにリミテッドユニフォームをリリース。ベガルタブルーをベースにしたデザインになっている。10月の広島戦より、ホームゲーム3試合で着用する[108][109]
  • 2022シーズンは、仙台の夏の風物詩 七夕まつりで願いを込める短冊がモチーフ。クラブ史上初のネイビーを基調とし真夏の夜空に輝く無数の短冊を表現。ホーム長崎戦、千葉戦で着用した[110]
  • 2025シーズンはベガルタ仙台初期のユニフォームをオマージュしたデザインを1stユニフォームに採用。

ユニフォームスポンサー

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ユニフォームサプライヤ

歴代ユニフォーム

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さらに見る FP Other ...

歴代ユニフォームスポンサー表記

年度箇所サプライヤー
左鎖骨右鎖骨背中上部背中下部パンツ前面パンツ背面
1998カニトップ(解禁前) (解禁前)-(解禁前)七十七銀行(解禁前)(解禁前)TOPPER
1999asics
2000アイリスオーヤマ
2001
2002PIZZA
STRAWBERRYCONS
2003
2004IRIS OHYAMA[注 16]Workin仙台進学プラザ
2005
2006
2007(9月-)
NEC/TOKIN
2008NEC/TOKIN-
2009やまや(4月-)
阿部かま
2010阿部かま
2011
2012
2013
2014
2015adidas
2016(4月-)
セルコホーム
KADAN
2017セルコホーム
2018- --
2019KADANHASHIMOTOTEN
2020-
2021SVC!-マイナビ(3月-)
KADAN
2022木下グループ
※通常
木下のリフォーム

※Limited

木下グループ

※通常
木下不動産
※Limited

SEPTENI
2023IRIS
IRIS OHYAMA
木下工務店
KINOSHITA GROUP
木下グループ
KINOSHITA GROUP
MN
マイナビ
2024IRIS--
2025 (4月-)
SBI証券
(4月-)
SBI証券
(3月-)
KADAN

マスコット

  • ベガッ太
    • クラブ名の由来であるアルタイル(彦星)が属する「わし座」にちなみ、ギリシア神話で「勝利をもたらす」としてエンブレムにも用いられるをモチーフとしている。名前は一般公募で決定。 マスコットらしからぬふてぶてしさといたずら好きな性格でサッカーファンから愛され、毎日更新されるブログ[111]、X[112]は人気がある。
  • ルターナ
    • ベガッ太の妹。チーム名の由来である仙台の夏の風物詩「仙台七夕」から、ベガ(織姫)とアルタイル(彦星)の「ルタ」、七夕(たなばた)の「ターナ」、仙台七夕まつりの開催日で誕生日でもある8月7日の「ナ」を組み合わせた、女の子らしい名前として命名。以前はクラブ公式Xで「#ルターナ」を添えて発信していたが、2023年6月1日に自身のXアカウントを開設した[113]

サポーター

要約
視点

応援スタイル

ユアテックスタジアム仙台で行われるリーグ戦では、(メインスタンドから見て)左側のゴール裏スタンドからバックスタンドの一部に渡る部分が「サポーター自由席」と称されており、ここをメインに応援が行われている。特に、ゲート入り口から最前列までのスタンド部分に、熱心なサポーターが集まっている。なお、この席ではチームカラーである黄色(「ベガルタゴールド」と呼ばれる)の服(ユニフォームのレプリカ、パーカー、Tシャツ等)を着用するのが「暗黙のルール」とされている。

コールリーダーは、サポーター自由席のバックスタンド側に位置し、戦況によって応援指示を行う。

コールリーダーのいる位置には、サポーター有志によって設置されたマイクがあり、ゴール裏スタンド中央部に設置されているスピーカーに音声が出るようになっている。これによって音声のずれが生じることなくサポーター自由席での一体感のある応援を行うことが可能となる。

仙台サポーターのチャントは他サポの模倣ではなく、ロック調の楽曲をアレンジしたものが多い。

ユアテックスタジアム仙台は観客席全てに屋根がかかっている構造になっており、声が屋根に反響する効果がある。メガホンなどの鳴り物グッズを使ってしまうと屋根によって声援がかき消されてしまうため、応援時のメガホン使用が禁止されている。また、ベガルタ仙台のグッズのラインナップにもメガホンが用意されていない。J2初期の頃は、メガホンも販売されていたが上記の理由からサポーターが運営会社に販売中止を申し入れている。

荒木飛呂彦氏の出身地の為、ジョジョをモチーフにした旗も見受けられる。

選手入場曲

チームチャント

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選手チャント

現所属選手

さらに見る Pos., No. ...

過去に在籍した選手

さらに見る 選手名, 原曲 ...

スポンサー

アカデミー

メディア

要約
視点

試合中継

ビデオ・オン・デマンド

  • DAZN
    • ホーム戦の実況は仙台放送アナウンサー(金澤聡下山由城)、インタビュアーは村林いづみが担当する。
    • Jリーグオンラインストアで仙台のDAZN年間視聴パスを購入すると、料金の一部が強化費用としてクラブに還元される[127]
    • DMM×DAZNホーダイ「ベガルタ仙台パック」を購入すると、DAZN Standardに加えDMMプレミアムのコンテンツを視聴できるほか、料金の一部がクラブの強化支援金に充てられる。

テレビ

  • NHK仙台放送局
    • ホーム・アウェイ合わせて年間3~4試合を中継する。アウェイゲームの場合、地元局の実況解説を仙台局のものに差し替えることがある。
    • 開幕戦、みちのくダービー、2024J1昇格プレーオフなど、注目度の高いビジターゲームのパブリックビューイングが行われる場合がある。会場の定禅寺メディアステーション(NHK仙台放送会館 1階)には280インチの大型ディスプレイが設置されている。クラブOBを招いてのトークセッションなども併せて催される[128]
    • 2024J1昇格プレーオフ決勝の岡山戦は、地上波(NHK総合)に加えてNHK-BSでも生中継された。
  • 東北放送
    • 解説はブランメル時代から2007年シーズンまで松原悟(東北学院大サッカー部監督)が務めており他には鈴木正治岩本輝雄も担当、2008年と2009年のリーグ最終戦はTBSが主な活動の場としている金田喜稔が務めた。2009年6月にベガルタ初代監督の鈴木武一が登場、実況は佐藤修石黒新平圭三プロニッポン放送RFラジオ日本契約アナ→広島ホームテレビ)・小林徹夫(現KBC)・大井健郎(現・報道記者)。2007年からは守屋周が2008年途中から飯野雅人松尾武が担当、また2007年からはスカパー!においてホームゲーム中継を制作しており2007年は元仙台放送の下田恒幸が実況。2008年は前述の守屋・飯野・松尾が2009年は主に松尾、2010年からは松尾と守屋が交互で担当している。※2008年3月の草津戦は下田が担当した(この日はプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスのホーム開幕戦をテレビ・ラジオで中継したための人員不足と思われる)、第1期J1時代に仙台で行われた鹿島戦を全国ネットした経験がある(TBS主導)横浜国際総合競技場で行われた横浜FM戦はTBSが製作する映像を見ながら応援実況の形式で放送されたこともある。2008年は4月に放送された鳥栖戦が編成の関係上、深夜の放送となりスカパー!と同じスタッフで放送されたため解説の鈴木武一とリポーター担当でフリーの村林いづみが同局テレビ中継初登場となった、中継スタイルとしてはハーフタイムにCMを多くいれるケースが目立ち放送席の顔出しが全くない。なお2010年以降、地上波での中継は行っていない。
  • 仙台放送
    • 解説は単発契約なのか固定されていない、実況はブランメル時代に1試合だけ浅見博幸が担当。以降2005年まで下田恒幸(現フリー)が務めていたのは有名、試合開始前には必ず「下田恒幸が心を込めてお伝えします」のフレーズがあった。下田退社後は金澤聡が担当している、そのためか金澤がキャスターを務める番組名を冠して「スポルたん!LIVE Special」のタイトルで放送されており試合直後のユアスタ内で「スポルたん!LIVE」の中継をしたこともある。下田退社後の中継では在仙局としては珍しくダブル解説で行うことが多い、ベガルタがJ1に復帰した2010年シーズンはフジテレビワンツーネクストで放送されるヤマザキナビスコカップにて仙台放送中継の全国進出(2003年シーズンに経験あり)が期待されたが予選リーグ唯一のホームゲーム中継だったFC東京戦では技術協力に留まった。が、10月の決勝トーナメント磐田戦は解説:清水秀彦・実況:金澤聡・リポーター:広瀬修一の体制でフジテレビワンツーネクストと仙台放送に中継された。2007年シーズンのSKY PerfecTV!山形ホームゲーム中継を制作していた(2008年からは山形テレビが担当)。
  • ミヤギテレビ
    • 2000年ごろからセルジオ越後が解説を務めていたが、仙台放送と同じく単発契約で固定されていない。実況はブランメルのジャパンフットボールリーグ(JFL)昇格決定試合(愛知県刈谷市で行われ系列の中京テレビが技術協力した)を竹鼻純が、ブランメル時代から2006年まで三雲茂晴が担当していた。2007年は柳瀬洋平が実況を務めていたが、2008年より夕方のニュースキャスター就任に伴い再び三雲が担当。しかし2009年は外賀幸一が担当した。(2010年シーズンからは中継なし)2001年J1昇格を決めた京都戦(西京極)は同局で放送され岩瀬裕子がリポーターで乗り込みKBS京都の製作で放送された、なおテロップはミヤギテレビ独自のものを使用。2002年はアウェイの東京V戦を日本テレビの製作で生中継、(日テレは深夜録画放送)こちらも岩瀬がリポーターとして登場した。2008年途中から字幕テロップが日テレとほぼ同形となった(当局初お目見えは9月の仙台カップ国際ユース大会)。因みにリポーターは相手地域に放送されるされないに関わらず相手チームにも配するケースが多い。
  • 東日本放送

ラジオ

  • ラジオ3
    • 宮城県内のコミュニティ放送局(FMいずみBAY WAVE塩竈市)、FMいわぬまラジオ石巻)にネット配信されることがある。当初はアウェイ戦のみで、2010年よりホーム戦も中継したが、2015年からアウェイ戦のみに戻った(RADIO3はこれは製作費の不足によるものであるとし、クラウドファンディングによる資金集めを試みたが、不成立に終わった[129])。2020年は新型コロナウイルス感染症の影響により、リーグ再開後から翌21年までホーム戦のみの中継となった。2022年からホーム戦に加え多くのアウェイ戦(主に近隣の東北、関東)も中継していたが、2024年はホーム19試合中15試合の放送に減少。また、同局は長年にわたりベガルタの応援番組も放送している。
  • tbcラジオ(tbc東北放送)
    • 年1回ほど、2007年までホームゲームの中継をしていた(最近はみちのくダービーの中継のみ)2008年以降のリーグ戦は全く中継しなかったが2008年12月10日のホームで行なわれた磐田との入れ替え戦を中継した。2010年は7月にホームで行われたプレシーズンマッチ浦項戦とアウェイで行われた山形戦を実況中継した(山形戦はYBCラジオが製作したものを放送、TBCからは松尾武アナウンサーがリポーターとして派遣された)。2011年は中継は行わず、2012年は9月に首位攻防戦のアウェイ広島戦を(RCCラジオが制作したものを放送)、11月にはホーム新潟戦を放送した。

YouTube

  • vegaltachannel
    • クラブ公式YouTubeチャンネル。主なコンテンツは以下の通り[130]
      • 広報カメラ - 試合の舞台裏や練習の雰囲気、裏方スタッフの仕事ぶりを紹介する人気コンテンツ。2020年に配信が配信された[131]
      • VEGALTA CHANNEL☆RADIO - 選手インタビュー、クラブ情報を配信する音声コンテンツ。ナビゲーターは及川アキヒロ[132]
      • 試合ハイライト - 試合終了後、24時頃に配信される。
      • EXCLUSIVE - 仙台のプレーに焦点を当てた要約版のハイライト。同じく24時ごろに配信。
  • VEGALTA SOCIO MAGAZINE
    • ファンクラブ会員限定の公式ウェブマガジン「SOCIO MAGAZINE」のYouTubeチャンネル。
    • 選手やスタッフへのインタビュー、スタジアムやイベントの情報、地域連携活動などについて独自取材で伝えている[133]
    • YouTubeの動画はファンクラブ会員以外も視聴可能である。

コラボレーション

  • 緑仙 - 以下の2曲をベガルタ仙台応援ソングとして制作、配信。
    • 2023年「WE ARE YOU」[134]
    • 2024年「Blowin' Wind is blowin'」- クラブ設立30周年を記念。[135]
  • ベガルタ仙台 応援アンバサダー
    • いぎなり東北産 - 2022年就任。ホームゲームに来場しライブを行ったほか、メンバーと一緒に試合を観戦できるコラボチケットやコラボグッズも販売した[136]
    • 神堂きょうか - 2022年就任。自身のSNSチャンネルで試合観戦やキャンプレポートの動画を公開したほか[137]、ホームゲームに来場しスタジアムグルメの1日店長を務めた。
    • MONKEY MAJIK - 2009年にベガルタ仙台日加親善大使に就任。2019年J1第17節札幌戦でライブを行った。2023年アンバサダー就任。ホームゲームに来場しトークイベントに出演した[138]。仙台市出身のドラムスTAXは熱狂的なサポーターとして知られる。
  • 森山あすか
    • 父の森山佳郎が監督に就任した2024年から、スタジアムでの観戦Vlogを自身のYouTubeに投稿している。
    • ファンとの忘年会に父と共に参加したほか、スタジアムグルメの一日店長などを務めた[139][140]

テレビ

現在放送中の番組

過去に放送された番組

  • FAN!FUN!!VEGALTA!!!(2013年4月 - 2019年12月、J:COM仙台)
  • ベガchan!( - 2018年3月、東日本放送)
  • もえスポ(2018年3月24日 - 2022年3月27日、東日本放送)
  • KICK OFF! MIYAGI(2023年4月1日 - 2025年3月29日、東日本放送)[143]

ラジオ

映画

社会連携活動

チーム発足直後より、仙台市若林区荒井には市民後援会運営の「べがる田」がある[148]。2021年7月に「七ヶ宿空き家再生プロジェクト:ベガルタハウスをつくろう」をスタート[149]。これは、SDGs基本指針の目標11「住み続けられるまちづくりを」、目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」に即した社会連携活動である。2022 Jリーグシャレン!アウォーズにおいて一般投票(TwitterによるRT数)[150] で1位を獲得するなど反響は大きく、申請すれば宿泊も可能[151]。(ベガッ太ブログ にて最新情報は見られる[注 18]。)

他のSDGs活動としてはタイの子供たちにユニフォームを寄贈したり、松川だるま涌谷町黄金レモンとコラボレーション[152][153]

運営会社

概要 種類, 本社所在地 ...

決算

要約
視点

ベガルタ仙台の決算は、下記のとおり。

損益

さらに見る 年度, 収入 ...

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010

金額の単位: 百万円

人件費は事業費に含まれる。

さらに見る 年度, 収益 ...

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 20112012201320142015

金額の単位: 百万円

さらに見る 年度, 収益 ...

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016201720182019202020212022

金額の単位: 百万円

資産

さらに見る 年度, 総資産 ...

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010201120122013201420152016201720182019202020212022

金額の単位: 百万円

脚注

関連項目

外部リンク

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