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ウォルター・アースキン (第11代マー伯爵)

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第13代ケリー伯爵および第11代マー伯爵ウォルター・ヘンリー・アースキン英語: Walter Henry Erskine, 13th Earl of Kellie, 11th Earl of Mar1839年12月17日1888年9月16日)は、スコットランド貴族フリーメイソン。1866年から1872年までフェントン子爵儀礼称号を使用した[1]

生涯

ウォルター・コニングスビー・アースキン(後に第12代ケリー伯爵を継承。マー伯爵の継承も主張した)とエリーズ・ヤングソン(Elise Youngson、1814年頃 – 1895年7月14日、ウィリアム・ヤングソンの娘)の息子として、1839年12月17日にインドで生まれた[1]。1859年3月31日にオックスフォード大学ブレーズノーズ・カレッジに入学、1862年にB.A.の学位を、1866年にM.A.の学位を修得した[2]

1872年1月15日に父が死去すると、ケリー伯爵を継承[1]、父の代より続いていたマー伯爵への請求も引き継いだ。1875年2月25日、貴族院は裁定を下し、第13代ケリー伯爵によるマー伯爵の継承権を認めた[1]。1885年に「マー伯爵位返還法」(Earldom of Mar Restitution Art)が可決されると、第13代ケリー伯爵の継承権は1565年創設のマー伯爵に限定され、中世創設のマー伯爵はジョン・フランシス・アースキン・グッドイヴが継承するものとされた[3]

保守党に所属し、1876年から1888年までスコットランド貴族代表議員を務めた[1]。また、1882年から1885年までスコットランド・グランドロッジのグランドマスター英語版を務めた[1]

1888年9月16日にアロア英語版で死去、息子ウォルター・ジョン・フランシスが爵位を継承した[1]

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家族

1863年10月14日、メアリー・アン・フォーブズ(Mary Anne Forbes、1927年5月22日没、ウィリアム・フォーブズの娘)と結婚[1]、3男6女をもうけた[4]

  • ウォルター・ジョン・フランシス(1865年 – 1955年) - 第14代ケリー伯爵、第12代マー伯爵
  • エレン・メアリー(Elyne Mary、1866年10月13日 – 1891年10月4日)
  • コンスタンス・エリス(Constance Elise、1869年1月6日 – 1959年2月22日)
  • ウィリアム・オーガスタス・フォーブズ英語版(1871年 – 1952年) - 外交官として在キューバ、ブルガリア、ポーランド公使を歴任。1908年2月18日、ジョージアナ・ヴァイオラ・エレノア・ウォード(Georgiana Viola Eleanor Ward、1972年5月14日没、ウィリアム・ハンブル・ダドリー・ウォードの娘)と結婚、子供あり
  • メアリー(1873年没)
  • ルイーザ・フランシス(1875年6月12日 – 1965年12月15日) - 修道女
  • フランシス・エリザベス(1967年1月22日没) - 1899年7月29日、フレデリック・タフネル(Frederick Tufnell、1920年2月28日没)、子供あり
  • アリス・モード・メアリー(Alice Maud Mary、1878年12月12日 – 1967年5月24日)
  • アレクサンダー・プリムローズ・フォーブズ(Alexander Primrose Forbes、1881年8月13日 – 1925年6月20日) - 1916年7月11日、アイリーン・アネット・キャンベル(Irene Annette Campbell、1968年1月17日没、アーチボルド・イアン・キャンベルの娘)と結婚、子供あり
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出典

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