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エル・クラシコ

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エル・クラシコ
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エル・クラシコスペイン語: El Clásico, カタルーニャ語: El Clàssic)は、スペイン語で「伝統の一戦」(英語で言うところの"The Classic")を意味し、スペインのサッカーチーム、レアル・マドリードFCバルセロナの試合のことを指す。スペイン・ダービーDerbi español)とも呼ばれ、数あるダービーマッチの中でも最も注目を集めるものである。

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ユニフォーム
概要 スペインダービー El Derbi Español, 都市、地域 ...
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概要

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サンティアゴ・ベルナベウ。エル・クラシコを前に、ホームのファンがレアル・マドリードの白を掲げている。スペイン国旗もレアル・マドリードの試合ではよく見かけられる。
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カンプ・ノウ。エル・クラシコを前に、FCバルセロナのホームファンがカタルーニャ国旗のモザイクをかけている。クラブのエンブレム右上にもカタルーニャ国旗が描かれている。

元々はスペイン選手権で開催された大会のことを指していたが、近年では一般化し、UEFAチャンピオンズリーグコパ・デル・レイなど、2つのクラブの間のすべての試合が含まれる傾向にある。UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦以外では、世界で最も大きなクラブサッカーの試合と考えられており、年間で最も視聴されるスポーツイベントである[2][3]

マドリードバルセロナはスペインの2大都市であり、レアル・マドリードはスペイン・ナショナリズム、バルセロナはカタルーニャ・ナショナリズムの代表と見られており、対立する政治的立場を示すこともある[4]。 世界のスポーツの中でも最大級のライバルとされている[5]。両クラブは世界で最も金銭的に豊かで成功しているサッカークラブであり、2014年のフォーブスではバルセロナとレアル・マドリードが世界で最も価値のあるスポーツチームにランク付けされている[6]。 両クラブは世界的なファンを持っており、ソーシャルメディア上で世界で最もフォローされているスポーツチームである[7]

120年以上の歴史がありながら、公式戦での対戦成績ではレアル・マドリード105勝、バルセロナ104勝と非常に拮抗した成績となっている。また、アスレティック・ビルバオと並んで、彼らはラ・リーガで一度も降格したことがないクラブである。

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競争

要約
視点

歴史

レアル・マドリードとバルセロナの間の対立は、長い間、スポーツの次元を超えており[8]、クラブの会長選挙は強く政治化されている[9]。『Morbo: The Story of Spanish Football』の著者であるフィル・ボールは、この試合について、「両者は、部外者に本当に衝撃を与えるほどの激しさでお互いを憎み合っている」と評した[10]

早くも1930年代には、バルセロナはマドリッドの中央集権的な傾向とは対照的に、カタルーニャのアイデンティティの象徴としての評判を高めていた。フランシスコ・フランコが民主的なスペイン第二共和政に対するクーデターを開始した1936年、バルセロナの会長でカタルーニャ共和主義左翼のメンバーで国会副議長のジョゼップ・スニョルはフランコの軍に逮捕され、裁判なしで処刑された[9]

バルセロナは、共産主義アナキズムカタルーニャ独立運動に次いで、国民党派によって粛清されるべき組織のリストの上位にあった[9]フランコ体制下のスペインでは、バルセロナの市民のほとんどはファシストのような体制に強く反対していた。ミゲル・プリモ・デ・リベラフランシスコ・フランコの独裁政権下では、スペインのすべての地方言語とアイデンティティが禁止され、抑制されていた。この時代、バルセロナはカタルーニャの民族主義者や進歩的な信念との関連性が疑われたため、Més que un club(クラブ以上のクラブ)をモットーにした。 しかし、フランコの政権下では、バルセロナは独裁者と経営レベルで良好な関係を築いていたため、利益を得ることができ、2つの賞を与えられたこともあった。なお、レアル・マドリードの上級代表とフランコ政権とのつながりは否定できないものであった。

両クラブのイメージは、ウルトラス集団が誕生したことでさらに影響を受け、その中にはフーリガンと化したものもあった。1980年には極右寄りのレアル・マドリードのウルトラス集団としてウルトラス・スール(Ultras Sur)が設立され、1981年には当初は左寄りで後に極右となったバルセロナのウルトラス集団、ボイショス・ノイス(Boixos Nois)が設立された[9]。両グループとも暴力的な行為で知られるようになり、バルセロナのサポーターの中で最も対立する派閥の一つであるカジュアルズ(Casuals)は、本格的な犯罪組織となった[11]

社会学研究センター (Centro de Investigaciones Sociológicas)が発表した世論調査によると、レアル・マドリードはスペイン国民のほとんどの人が好きなチームであり、バルセロナは2位に位置している。カタルーニャ州では、あらゆる政治勢力が圧倒的にバルセロナを支持している。それにもかかわらず、バルセロナの支持はその地域をはるかに超えており、政治的に右翼的な見解を採用する傾向のあるレアル・マドリードのファンとは対照的に、若者やスペインの連邦構造を支える左翼的なイデオロギーを持つ市民の間で最高の結果を得ている[12]

移籍市場

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2000年にバルセロナからレアル・マドリードへ移籍したルイス・フィーゴは、移籍前のバルセロナのファンから憎悪の声が上がった。

スペインだけでなく世界においても有名である両クラブは度々移籍市場でも争うことがあり、同じ選手の獲得を争うことを「移籍市場のクラシコ」とも呼ばれる場合がある。

また、両クラブ間の直接の移籍はタブー(禁断の移籍といわれている)とされており、移籍した場合ファンからの反発は激しい。過去にはベルント・シュスターナンド・ムニョスミカエル・ラウドルップなどがバルセロナからレアル・マドリードへ、ルイス・エンリケなどがレアル・マドリードからバルセロナへと移籍し、相手チームのファンから大きな反発を受けた。なお、サミュエル・エトオハビエル・サビオラの様に、それぞれのチームで戦力外であったため移籍後にそれほど反発が起こらなかったケースもある。

この禁断の移籍の中で最も反発が激しかったのがルイス・フィーゴの移籍である。フィーゴは当時のバルセロナの中心選手であり、2000年にバロンドールを受賞するなどまさにキャリアの絶頂期であり、バルセロナファンにとってバルセロナの象徴として愛されていた。しかし、2000年8月、フィーゴは会見で「移籍はしない」という発言をしたにもかかわらず、その2日後、当時の移籍金世界最高額でレアル・マドリードへと移籍した。その結果、フィーゴに対してバルセロニスタは激怒し、フィーゴが経営するバルセロナ市内の日本料理店を破壊するなどの暴動が起きる事態に発展した。

その他

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2005年、ロナウジーニョは、サンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリードのファンからスタンディングオベーションを受けた1983年のディエゴ・マラドーナに次いで2人目のバルセロナの選手となった。

エル・クラシコは世界のサッカー界で最も熾烈なライバルの一つとされているが、ファンが相手チームの選手を称賛する場面も稀にあった。1980年、カンプノウでバルセロナのファンから拍手喝采を受けた最初のレアル・マドリードの選手は、ローリー・カニンガムだった。彼は試合中に卓越したプレーを見せ、マドリードが2-0で勝利した後、バルセロナの人々からのスタンディングオベーションを受けてフィールドを去った[13]。1983年6月26日、マドリードのサンティアゴ・ベルナベウで行われたコパ・デ・ラ・リーガ決勝のセカンドレグで、バルセロナのスターディエゴ・マラドーナは、レアル・マドリードのゴールキーパーをドリブルでかわした後、誰もいないゴールへは打たず、マドリードのディフェンダーがシュートをブロックしようとしてスライディングしてきたところを交わしてゴールを決めた。その大胆で素晴らしいプレーに、スタジアム内の多くのマドリードファンは拍手喝采を浴びせた[13]。2005年11月、ロナウジーニョは、サンティアゴ・ベルナベウでマドリードのファンからスタンディングオベーションを受けた2人目のバルセロナの選手となった。3-0の勝利でマドリードのディフェンスを2度ドリブルで突破して2ゴールを決めた後、マドリードのファンは彼のパフォーマンスに拍手で敬意を表した[13][14]。2015年11月21日、サンティアゴ・ベルナベウで0-4でバルセロナが勝利した試合、3点目を決めたアンドレス・イニエスタは、交代でベンチに下がる際にレアル・マドリードのファンから拍手を受けた3人目のバルセロナ選手となった。彼は2010 FIFAワールドカップで優勝を決めるゴールを決め、スペインで大人気となっていた。

社会学研究センター(Centro de Investigaciones Sociológicas)による2007年の調査によると、スペイン国民の32%がレアル・マドリードを支持し、25%がバルセロナを支持していた。2011年のイケルフェルの世論調査によると、スペインで最も人気のあるチームはバルセロナで44%、レアル・マドリードは37%で2位となっている。

両クラブは世界的なファンベースを持っており、ソーシャルメディア上では世界で最もフォローされている2つのスポーツチームであり、Facebookでは2021年5月現在、レアル・マドリードのファン数は1億1100万人、バルセロナのファン数は1億400万人、Instagramでは2023年3月現在レアル・マドリードのフォロワー数は1億3500万人、バルセロナのフォロワー数は1億2000万人となっている。

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2011年のクラシコでのバルセロナのリオネル・メッシとレアル・マドリードのラサーナ・ディアラ

2011年には、コパ・デル・レイの決勝戦とUEFAチャンピオンズリーグでの対戦のため、バルセロナとレアル・マドリードは18日間で4回の対戦が予定されていた。両チームからスポーツマンシップに反する行為があったとの非難が相次ぎ、4枚のレッドカードを含む言葉の抗争が試合中に勃発した。スペイン代表チームのビセンテ・デル・ボスケ監督は、両クラブ間の憎しみの高まりにより、スペインチームに摩擦が生じる可能性があることを懸念していた[15]

近年では、クリスティアーノ・ロナウドリオネル・メッシのライバル関係が注目されていた。 ネイマールルイス・スアレスがバルセロナに、ガレス・ベイルカリム・ベンゼマがマドリードに加入したことを受けて、ライバル関係はクラブの攻撃トリオであるBBC(ベイル、ベンゼマ、クリスティアーノ)対MSN(メッシ、スアレス、ネイマール)の戦いにまで拡大した。ロナウドは2018年にレアル・マドリードからユベントスに移籍したが、2018-19シーズンでのダービー前の週に、メッシが腕を負傷して試合に出られなくなった。2007年以来、両選手がクラシコを同時に欠場したのは初めてのことであり、一部のメディアでは「時代の終わり」と表現されていた[16][17]

このダービーは、その激しさと規律のなさで知られているが、両チームの記憶に残るゴールセレブレーションも特徴的で、しばしば相手をあざ笑う場面もあった。1999年10月、レアル・マドリードのフォワード、ラウル・ゴンサレスは、カンプ・ノウで10万人のバルセロナのファンを沈黙させた。彼は祝う前に、群衆に静かにするように指を唇に当てた[18]。2009年には、バルセロナのキャプテン、カルレス・プジョルがベルナベウでマドリードのファンの前でカタルーニャの腕章にキスをした[19]。クリスティアーノ・ロナウドは、2012年と2016年にカンプ・ノウでのバルセロナ戦での得点後、敵対するファンに向かって「落ち着け」とジェスチャーをした。 2017年4月、メッシはベルナベウでのレアル・マドリー戦でバルセロナの93分での勝ち越し弾を祝い、バルセロナのシャツを脱ぎ、激昂したレアル・マドリードのファンに向かって、自分の名前と背番号を向けてユニフォームを掲げた。

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ホームスタジアム

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統計

要約
視点
2025年5月11日現在
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ラ・リーガでの首位攻防ランキング(1929-2025)

さらに見る P. ...

合計: レアル・マドリードは48回上位、バルセロナは46回上位(2024-25シーズン終了時点)

ハットトリック

2025年5月11日現在、エル・クラシコの試合では25人の異なる選手がハットトリックを決めている。29回のハットトリックのうち17回はレアル・マドリードの選手である。

対戦成績

以下すべての表において勝者を色つきで、引き分けの場合はスコアを色つきで示す。なお、中立地での対戦は便宜上勝利チームをホーム側に表記する。日付はすべて中央ヨーロッパ時間である。

ラ・リーガ

両クラブはリーガ発足時からプリメーラ・ディビシオンに所属し続けているため、その対戦の殆どはリーグ戦でのものであり、190戦を超える試合がリーガ・エスパニョーラで行われている[20][21]

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コパ・デル・レイ

コパ・デル・レイはレアル・マドリードのクラブ創設と同年に発足したスペインサッカー初の全国大会であり、1902年の大会における試合が両クラブ史上初の対戦となった。

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コパ・デ・ラ・リーガ

コパ・デ・ラ・リーガは1982年に発足した大会だが、各クラブからの積極的な協力を得られず、わずか4シーズンの実施に留まった[23]

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スーペルコパ・デ・エスパーニャ

スペインのスーパーカップである[24][25]

2018年大会までは、リーガ・エスパニョーラと、コパ・デル・レイの優勝チームがホーム・アンド・アウェー方式で対戦していた。

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2019年大会から計4チームのトーナメント方式に変更された。

さらに見る シーズン, ラウンド ...

UEFAチャンピオンズリーグ

ヨーロッパの舞台において両者は4大会で対戦しているが、全てUEFAチャンピオンズリーグにおける対戦である[26][27]

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得点ランキング

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リオネル・メッシはエル・クラシコにて最も点を決めた選手である。

2025年5月11日現在

獲得タイトル

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脚注

関連項目

外部リンク

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