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オセアノ・ダ・クルス

ポルトガルのサッカー選手 ウィキペディアから

オセアノ・ダ・クルス
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オセアノ・ダ・クルスOceano da Cruz, 1962年7月29日 - )は、カーボベルデサン・ヴィセンテ島出身の元ポルトガル代表の元サッカー選手。ポジションはMF。現在はサッカー指導者。

概要 オセアノ・ダ・クルス, 名前 ...
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経歴

現役時代

カーボベルデサン・ヴィセンテ島に生まれると、子供の頃に家族と共にポルトガルへ移住し、アルマダACポルトガル語版のユースで育った。1980年に同クラブでプロデビューを果たすとCDナシオナルを経て、1984-85シーズンにスーペル・リーガの名門スポルティングCPへ入団した。

スポルティングでは移籍1年目から退団する7シーズンの間にレギュラーとしてプレー。1991年、同僚のカルロス・シャヴィエル英語版と共にスペインレアル・ソシエダへと移籍。またそこでは、かつてスポルティングで指導を受けたジョン・トシャック監督と再会した。

1994年にシャヴィエルと共にスポルティングに復帰すると、オセアノの方は1997-98シーズンほぼ36歳の時に退団するまでの間をレギュラーとして過ごす中、1995年にタッサ・デ・ポルトガルのタイトルを1度獲得した。その後、フランストゥールーズFCに移籍し1999年に引退した。

引退後

引退後は、複数のテレビ局でスポーツ解説者として活動。2011年3月初期にジョゼ・コウセイロ新監督の下、コーチングスタッフとしてキャリアの大半を過ごしたスポルティングCPに戻った。その1年後に、スポルティング時代の同僚ジョゼ・ドミンゲスの誘いで、UDレイリアのコーチに就任した[1]

2012-13シーズンに再びスポルティングへ戻り、2部を戦うBチームの監督に就任。2012年10月4日、トップチームの監督を務めるリカルド・サ・ピントが解任されたため、正式に次の監督が見つかるまで暫定監督としてチームを率いることになった[2]。監督として4試合を指揮するも国内リーグFCポルト戦 (0-2) 、国内カップモレイレンセFC戦 (2-3) 、UEFAヨーロッパリーグ・グループリーグのKRCヘンク戦 (1-2) とアウェー3連戦を3連敗[3][4]し、最後の試合となった2012年10月29日のアカデミカ・コインブラとのリーグ戦で0-0とようやく引き分けた。

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代表

1985年1月30日、2-3で敗北したルーマニアとの親善試合でデビューすると、13年後の0-3で敗北したイングランド戦までの間にポルトガル代表として54試合8ゴールを記録。90年代からレギュラーとして起用され、UEFA EURO '96の準々決勝進出に貢献した。

2008年7月にカルロス・ケイロスがポルトガル代表監督へ就任したことに伴い、技術スタッフとして招かれ、ジョゼ・アルベルト・コスタと共にスカウティング部門で働いた。2009年8月にルイ・カサドール英語版の後を引き継ぎ、U-21代表監督に就任[5]。監督として初めての試合となった11日の北アイルランド戦は2-1で勝利した。その後、UEFA U-21欧州選手権2011に出場できなかったため解任された。

所属クラブ

脚注

外部リンク

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