トップQs
タイムライン
チャット
視点
熊本ビューストピンディーズ
日本の女子ハンドボールチーム ウィキペディアから
Remove ads
熊本ビューストピンディーズ(英: KUMAMOTO Beaust PINDYS)は、熊本県山鹿市を本拠地とする女子ハンドボールチーム。日本ハンドボールリーグ(愛称:リーグH)所属。
2024-25シーズンより、チーム名をオムロン ハンドボール部(愛称:ピンディーズ)から熊本ビューストピンディーズに改称した。
同リーグには1976年の第1回大会から出場し、2016年現在で17回優勝するなど日本屈指の名門チームである。現在のチームカラーは、ビューストピンクと黒。
チーム名のピンディーズ(Pindys)の「Pindy」は、チームカラーのピンク(Pink)の「Pin」、ホームタウンである山鹿市を連想させる鹿(Deer)の「D」、女性を意味する英単語のレディ(Lady)の「y」を組み合わせた造語[1]であり、オムロン ハンドボール部時代より愛称として使われてきた。
Remove ads
歴史
要約
視点
大洋デパート
前身は熊本市を本拠地とした大洋デパートで、1961年4月に結成された。同年1月に行われた全日本室内選手権で優勝した熊本商大クラブのメンバーが入社したほか、1958年から全国高等学校総合体育大会(インターハイ)3連覇を達成していた熊本市立高校女子ハンドボール部のメンバーが加入[2]。以降国民体育大会(国体)優勝7回、全日本総合選手権優勝5回、全日本実業団選手権優勝7回、全日本選抜優勝4回を誇り、1969年からは2年連続で4大タイトルを独占、また1970年8月から1972年12月まで公式戦51連勝を記録するなど、輝かしい記録を残した。
立石電機
1973年11月に経営母体である大洋デパートで104人が死亡する火災(大洋デパート火災)が発生し、このため大洋はチームを維持できなくなった。1974年の年明け早々にハンドボール部の廃部が役員会で決定。ハンドボール部を残すため、熊本ハンドボール協会が熊本県のスポーツ界や財界と話し合いを行っていたところ、同年1月に熊本県山鹿市に工場を持つ立石電機(本社は京都府京都市)がチームの引き受けを提案。社長の立石一真が熊本県出身だったこともあり、話は一気にまとまった。2月7日に部員13人や大洋デパートへ入社予定だった2人、監督の井薫が新チームへ移籍した[3]。
1976年に創設された日本ハンドボールリーグに参加[4]。同シーズンは東京重機が首位を独走。立石電機は東京重機に敗れたものの、その1敗(6勝)でシーズンを終えた。しかし東京重機が終盤に2連敗し、立石電機が優勝を果たした。井薫監督は「最後に重機が2敗するとは考えてもみなかった。単独1位となったのはラッキーかもしれない」と話した。和田祥子、島田夏枝、蔵田照美がベストセブンを受賞[5]。同年は全日本総合選手権・実業団選手権・国民体育大会も制し、史上初の「四冠」を達成した。
1977年は前シーズン限りで島田と蔵田が引退し、井監督も「2人の抜けた穴は非常に大きい」と話していた。新人にはインターハイ優勝校の大分県立大分東高等学校のエース・姫野五十鈴や、同じく2位の熊本女子商業高等学校の桑原広子が加入[6]。日本リーグ前期は紀野奈々美がリーグ得点2位の活躍をみせるも3位タイで折り返し[7]。シーズンは2位に終わった。
1978年は4勝3敗で日本リーグ4位に終わった。平下涼子がベストセブンを受賞[8]。1979年は紀野奈々美が得点ランキング3位と活躍するもチームは5位に低迷[9]。
1980年は紀野が故障から復帰。また、武庫川女子大学の木下智子が加入し、実業団選手権で新人敢闘賞を受賞[10]。日本リーグでは6勝1敗で4年ぶりの優勝を果たした。ベストセブンには井村文光子、紀野が選ばれた[11]。
1981年は全勝(7勝)で日本リーグ2連覇を達成。1982年には元ユーゴスラビア代表でRKオシェイクのカティツア・イレシュとノビサッドSCのドルベェニャク・ベリツアが加入[12]。日本リーグ2年連続全勝優勝を果たした。同年は全日本総合選手権で6年ぶりの優勝を遂げた[13]。
1983年は日本リーグ3年連続全勝優勝を果たし、4連覇を達成した。同年限りで優勝に貢献したイレシュが退団。
1984年はユーゴスラビア代表のビセルカ・ビスニッチとミレーナ・ジョルジェビッチが加入[14]。シーズンは2位に終わった[15]。リーグ終了後のオールスター戦では荒木晴美、亀園末栄、是枝澄代、岩村英子、江口由美子が選出され、荒木が敢闘賞を受賞した[16]。
1985年にチーム名を立石電機山鹿へ変更。1986年は2位(6勝1敗1分)で最終戦を迎え、首位の大崎電気(7勝1敗1分)と対戦。優勝には4点差以上で勝利することが条件だったが、20対16で勝利し、3年ぶりの優勝を果たした。ベストセブンには荒木、野嶋ちえみが選出[17]。全日本総合選手権では準決勝で韓国人選手2名を擁する東京女子体育大学に敗れた[18]。
オムロン
1990年に親会社の社名変更により、チーム名をオムロンへ変更。1992年は主力3選手が退団したが、中国代表の張泓と王涛が加入。全日本総合選手権で7年ぶりの優勝を果たした[19]。日本リーグは9勝1敗で6年ぶりの優勝[20]。
2018年は日本体育大学の岩渕いくみと江藤美佳が加入。レギュラーシーズンは3位で終了し、プレーオフ出場権を獲得。個人では吉田起子がフィールド得点王を獲得、宮川裕美が7mスロー阻止率賞を獲得したほか、ベストセブンには吉田と相澤莉乃が選ばれた。プレーオフでは1stステージの三重バイオレットアイリス戦を21対15で勝利し、2ndステージの広島メイプルレッズ戦も21対20で勝利。北國銀行との決勝へと進んだが、20対29で敗れた。殊勲選手賞には吉田起子が選ばれた。
2019年は筑波大学の竹原千賀と環太平洋大学の渡辺綾菜が加入。8月には中華人民共和国の江蘇省無錫市で開催されたスーパーグローブに出場。準決勝に進出したが、チャイニーズ・ナショナル・クラブ(中国)に敗れ4位に終わった[21]。
2022年10月21日、2024年発足予定のプロリーグへの参入が内定[22]。
2024年9月開幕の2024-25シーズンよりチーム名を熊本ビューストピンディーズに改称、マスコットもピンディーからビューストに交代した。
Remove ads
選手・スタッフ
現役選手
# | 国 | Pos. | 選手名 | 年齢 | 出身校 | 備考 | |
1 | ![]() | GK | 宮川裕美 | 33歳 | 青森中央高校 | ![]() | |
2 | LW | 勝連智恵 | 36歳 | 宣真高校 | |||
4 | LB | 吉田起子 | 36歳 | 東京女子体育大学 | |||
5 | 高杉桃加 | 29歳 | 岩国商業高校 | 背番号「21」→「5」 | |||
6 | CB | 石井優花 | 31歳 | 東京女子体育大学 | 元日本代表 | ||
7 | RB | 岩渕いくみ | 29歳 | 日本体育大学 | 元日本代表 / 背番号「22」→「7」 | ||
8 | CB | 西尾瑠那 | 30歳 | 天理大学 | 背番号「13」→「8」 | ||
9 | PV | 永田しおり (![]() | 37歳 | 福岡女子商業高校 | ![]() | ||
10 | 山下真里奈 | 32歳 | 東海大学 | ||||
11 | RW | 尾﨑佳奈 | 30歳 | 東京女子体育大学 | |||
12 | GK | 白石さと | 32歳 | 元日本代表 | |||
13 | LW | 江藤美佳 | 30歳 | 日本体育大学 | 背番号「23」→「13」 | ||
14 | PV | 川俣ゆかり (副主将) | 35歳 | 筑波大学 | |||
○ | 15 | 竹原千賀 | 29歳 | 2019年度加入 | |||
○ | 16 | GK | 渡辺綾菜 | 28歳 | 環太平洋大学 | ||
18 | LB | 伊地知美姫 | 28歳 | 鹿児島南高校 | |||
19 | PV | 福井亜由美 | 31歳 | 東京女子体育大学 | |||
2019年5月14日更新[23] / ○は新人、☆は内定選手、△は移籍、□は復帰 |
スタッフ
役職 | 氏名 |
オーナー | 山田義仁 |
オーナー代行 | 行本閑人 |
GM | 勝田祥子 |
ヘッドコーチ・監督 | 洪廷昊 |
アシスタントコーチ | 北林健治 |
トレーナー | 堀幸奈 |
2025年3月31日更新[24] |
Remove ads
歴代監督
歴代主将
成績
要約
視点
日本ハンドボールリーグ
プレーオフは1994-95年シーズンから導入。
大会・選手権
Remove ads
背番号
1-10
年度 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
1976年 | 和田祥子 | 篠田享子 | 山下恵美子 | 平下涼子 | 紀野奈々美 | 島田夏枝 | 蔵田照美 | 池渕澄江 | 林千恵 | 実松栄子 |
1977年 | 林千恵 | 池渕澄江 | 橋ノ口フサ子 | 桑原広子 | 姫野五十鈴 | |||||
2009年 | 勝田祥子 | 城内真紀 | 髙田裕梨 | 巻加理奈 | 市村早紀 | 吉田祥子 | 藤井紫緒 | 石立真悠子 | 坂元智子 | 久野葵 |
2010年 | 藤間かおり | 稲葉由衣 | 吉田薫 | |||||||
2011年 | 澤田智美 | 小林彩香 | ||||||||
2012年 | - | 相澤莉乃 | ||||||||
2013年 | 前田奈美 | 吉田起子 | - | |||||||
2014年 | 松尾祐依 | 永田しおり | ||||||||
2015年 | 相澤莉乃 | - | 前田奈美 | 山下真里奈 | ||||||
2016年 | 山中絵里奈 | 松本江里加 | 小舘美紀 | |||||||
2017年 | 宮川裕美 | 勝連智恵 | 石井優花 | |||||||
2018年 | ||||||||||
2019年 | - | 高杉桃加 | 岩渕いくみ | 西尾瑠那 | ||||||
年度 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11-20
年度 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
1976年 | 田島夏代 | 丸山加代子 | - | 橋ノ口フサ子 | - | - | - | - | - | - |
1977年 | 羽立節子 | 山下るり子 | - | - | - | - | - | - | - | |
2009年 | 洪廷昊 | 藤間かおり | 勝連智恵 | 吉田薫 | 永田しおり | 山中絵里奈 | 東濱裕子 | 松本紗也香 | 永吉未命 | 松本江里加 |
2010年 | 永田しおり | 山中絵里奈 | 前田奈美 | 松本紗也香 | 宮川裕美 | 松本江里加 | 小堺晶子 | 小舘美紀 | ||
2011年 | ||||||||||
2012年 | 吉田起子 | |||||||||
2013年 | 川俣ゆかり | 松本江里加 | 小堺晶子 | 若松美咲 | 松尾祐依 | |||||
2014年 | 小堺晶子 | 小舘美紀 | 山田莉裟 | 末吉有里沙 | ||||||
2015年 | 小舘美紀 | 伊地知美姫 | ||||||||
2016年 | 石井優花 | 宮川裕美 | 末吉有里沙 | 白石さと | 福井亜由美 | 上地涼奈 | ||||
2017年 | 尾﨑佳奈 | 白石さと | 西尾瑠那 | - | 石立真悠子 | |||||
2018年 | - | - | - | |||||||
2019年 | 江藤美佳 | 竹原千賀 | 渡辺綾菜 | - | - | |||||
年度 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21-30
年度 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
1976年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
1977年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2009年 | 小堺晶子 | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2010年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2011年 | 古家美里 | 金且妍 | - | - | - | - | - | - | - | - |
2012年 | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
2013年 | 小舘美紀 | 山田莉裟 | - | - | - | - | - | - | - | - |
2014年 | 高杉桃加 | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2015年 | 澤井咲良 | 白石さと | - | - | - | - | - | - | - | |
2016年 | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
2017年 | - | 野中映見 | - | - | - | - | - | - | ||
2018年 | 岩渕いくみ | 江藤美佳 | - | - | - | - | - | - | - | |
2019年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
年度 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
Remove ads
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads