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カール・ウェザース

アメリカの俳優 (1948-2024) ウィキペディアから

カール・ウェザース
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カール・ウェザースCarl Weathers, 1948年1月14日 - 2024年2月1日)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身の俳優である。俳優になる前はフットボールの選手であった。

概要 カール・ウェザース, 生誕 ...
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経歴

要約
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ロングビーチ工業高校在籍時からフットボールの名選手として名を馳せ、奨学金を得てサンディエゴ州立大学へ進学。大学卒業後にオークランド・レイダースブリティッシュ・コロンビア・ライオンズラインバッカーとしてプレーした。1974年に本格的に俳優に転進するために引退。

俳優として数本のテレビドラマに出演した後、『女記者フライデー/謎の暗殺計画』で映画デビューを果たす。ウェザースの名が有名になったのは1976年公開の映画『ロッキー』である。無敵のヘビー級チャンピオンであるアポロ・クリードを演じたウェザースの演技と身体能力は高く評価され、『ロッキー4/炎の友情』で壮絶な最期を遂げるまでの以後3本の続編において、主人公のライバルにして親友という重要な役どころを演じきった[1]

主演と脚本を兼任したシルヴェスター・スタローンとのオーディションを兼ねた本格的な打ち合いの中で、主役のスタローンの頭にコブができるほどパンチを当てたうえ、「もっと本格的なボクサーならきちんとしたボクシングができた」と言い放ったが、監督のジョン・G・アヴィルドセンが「彼が主役で、脚本も彼が書いたんだ」と説明するとウェザースは「大丈夫。きっと回復するさ」と開き直り現場の笑いを誘ったというエピソードがある。このウェザースの人柄がアポロ役に相応しいとスタローンは考え、ウェザースが役を勝ち取る事となった。このエピソードやウェザースによる作品解説(一部)などは『ロッキー』のDVDで聴くことができる。

1987年の映画『プレデター』では、ディロン役でアーノルド・シュワルツェネッガーと共演を果たす。その後はアクションサスペンスSFコメディなど幅広いジャンルの作品に出演し実績を重ねている。

また、俳優以外にもBig Brothers Big Sisters of Americaアメリカオリンピック委員会の委員としても活動している。

2024年2月1日、ロサンゼルスの自宅で睡眠中に死去。76歳没[2][3][4]。死因は公表されていない[1]。訃報に対し、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーは自身のX(旧ツイッター)で「カール・ウェザースはいつだって伝説の選手だ。並外れたアスリートであり、素晴らしい俳優であり、偉大な人間だ。彼がいなければ『プレデター』は作れなかった」「撮影現場でもそれ以外でも、彼と一緒にいる時間はすべて純粋な喜びだった」などと追悼。インスタグラムではストーリーで「プレデター」の一場面とみられる画像をアップした[1]。同様にシルヴェスター・スタローンも、『ロッキー3』(82年)の有名なラストシーンとして知られるロッキーとアポロのファイトシーンが描かれたバーの壁を前に、「とてつもなく悲しい日になってしまった。カール・ウェザースは私の人生の成功になくてはならない存在だった」と語る動画をインスタグラムに投稿。「私の成功において不可欠な部分を占めていた。彼の人生に関われたことは光栄」「、体格、パワー、運動能力、そして最も重要なのは彼の。すべてにおいて素晴らしかった。彼がいなかったら、『ロッキー』はなかった」と沈痛な面持ちで語り、人柄や卓越した才能を称賛。「彼は魔法のようだった。彼の人生の一部になれたことは本当に幸運だった。アポロ、パンチを打ち続けてくれ」と締めくくり、追悼のメッセージを送った[5]SNSでも日本の映画ファンが盛んに反応。「アポロという最強の相手、かつ掛け替えのない盟友がいたからこそ、ロッキーは名作」「ロッキーもプレデターも、彼なしでは語れないよね」「シルベスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガーの二大スターと堂々と渡り合った名バイプレイヤー」などと名作の数々を列挙しながら、悼む声が相次いだ[1]

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主な出演作品

要約
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2015年

日本語吹替は、主に内海賢二が担当している。

映画

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テレビドラマ

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脚注

外部リンク

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