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ガイウス・ユリウス・カエサル (プロコンスル)
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ガイウス・ユリウス・カエサル(ラテン語: Gaius Iulius Caesar、紀元前130年頃 – 紀元前85年)は、共和政ローマの政務官。ガイウス・マリウスの義兄。終身独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルの父として知られる。
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略歴
アウレリア・コッタと結婚し、2人の娘(大ユリアと小ユリア)と息子ガイウス(紀元前100年生)をもうけた[2]。兄弟はセクストゥス・ユリウス・カエサル (紀元前91年の執政官)とする説もあり、父は同名のガイウス・ユリウス・カエサルである。
おそらく紀元前111年頃、マリウスとユリアが結婚した[3]。
彼のエロギウム(碑石)によれば、トリブヌス・ミリトゥムとクァエストルを務めたとあり、おそらく紀元前103年よりも前のことだろう[4]。
紀元前100年頃、おそらく土地分配十人委員の一人として、ルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌスの法に基づき、ケルケナ諸島にマリウスの退役兵を入植させた[5]。
紀元前92年頃にプラエトルを務め[6]、翌年プロコンスルとしてアシア属州を担当したと思われる[7]。
紀元前85年のある朝、ローマで靴を履いている最中に急死した。「他のカエサル(おそらく父)」もピサで同じような死を迎えているという[8]。息子のガイウスには当代最高のガリア系弁舌家マルクス・アントニウス・グニポをつけていた[9]。息子に莫大な資産を遺そうとしたが、紀元前80年代の内乱中にマリウス派を駆逐したルキウス・コルネリウス・スッラによって没収された[10]。
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家系図
カエサルの祖父 | マルキア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大マリウス | ユリア | カエサルの父 | アウレリア | セクストゥス・カエサル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小マリウス | 小コルネリア | ユリウス・カエサル | 小ユリア | アティウス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大ポンペイウス | ユリア・ カエサリス | オクタウィウス | アティア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スクリボニア | アウグストゥス | リウィア・ ドルシッラ | クラウディウス・ ネロ | アントニウス | 小オクタウィア | 小マルケッルス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アグリッパ | 大ユリア | ティベリウス | 大ドルスス | 小アントニア | 大アントニア | L・ドミティウス・ アヘノバルブス | 小マルケッラ | メッサリヌス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大アグリッピナ | ゲルマニクス | クラウディウス | G・ドミティウス・ アヘノバルブス | ドミティア ・レピダ | バルバトゥス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カエソニア | カリグラ | 小アグリッピナ | メッサリナ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユリア・ ドルシッラ | ネロ | クラウディア・ オクタウィア | ブリタンニクス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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脚注
参考文献
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