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ガエターノ・フィケラ

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ガエターノ・フィケラ
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ガエターノ・フィケラ[注 1]: Gaetano Fichera (1922-02-08) 1922年2月8日 - 1996年6月1日(1996-06-01) )は、イタリア数学者解析学線型弾性英語版偏微分方程式多変数複素関数論などの分野で活躍した。

概要 Gaetano Ficheraガエターノ・フィケラ, 生誕 ...
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経歴

要約
視点

シチリアアチレアーレにて、ジュゼッペ・フィケラ (Giuseppe Fichera) とマリアンナ・アバーテ (Marianna Abate) の4人の子の長男として生まれた[1]。父ジュゼッペは数学教授で、ガエターノの数学への情熱のきっかけとなった。若きガエターノ・フィケラの特技はサッカーであった。1943年9月のイタリアの降伏で、1943年1月からイタリア陸軍に所属していたフィケラはナチスの軍隊によって逮捕され、テーラモからヴェローナに護送された。イタリア領のエミリア=ロマーニャに逃げ出すことに成功し、終戦の年をパルチザンと過ごした。終戦後はローマトリエステに住んだ。トリエステでは1952年に妻となるマテルダ・コラウッティ (Matelda Colautti) と出会った。

学術

2年間リチェオ・クラシコイタリア語版に通い、16歳でカターニア大学イタリア語版に進学し、1939年までピーア・ナッリ英語版イタリア語版の下で学んだ。その後、ローマ大学に入学した。マウロ・ピコーネイタリア語版の指導の下、1941年(19歳)にマグナ・クム・ラウデラウレアイタリア語版を取得した。卒業して間もなくピコーネによってアシスタントに任命され国立応用数学研究所英語版研究者となった。第二次世界大戦後はローマに戻りピコーネとともに働いた。1948年に解析学の自由教授イタリア語版となり、1949年にはトリエステ大学イタリア語版で正教授に任ぜられた。Fichera (1991b, p. 14) で回想されているように、どちらの教授職の選考委員会にもレナート・カッチョポリ英語版イタリア語版が加わっており、カッチョポリとフィケラは親友となった。1956年以降、フィケラはローマ・ラ・サピエンツァ大学解析学の正教授を務めた。その後、ルイージ・ファンタッピエ英語版の後任として国立高等数学研究所イタリア語版の高等解析学部門を担当した。1992年に大学教育の活動を引退したが[注 2]、没するまで専門的な活動を絶たなかった。アッカデーミア・デイ・リンチェイ会員および Rendiconti Lincei – Matematica e Applicazioni 誌初代編集者として[注 3]、雑誌の評判の復活に尽力した[2]

フィケラはアッカデーミア・デイ・リンチェイの他、イタリア科学アカデミーロシア科学アカデミーの会員に選出されている。

フィケラは師マウロ・ピコーネイタリア語版との友情を、その生涯の中でしばしば回想している。Colautti Fichera (2006, pp. 13–14)によれば、フィケラの父ジュゼッペは、カターニア大学で教鞭を執っていたピコーネのアシスタントであった。2人の友情は、2児の子であったジュゼッペが経済的理由で学界から離れた後も継続した。ピコーネが幼児期のガエターノを抱っこすることもあった。1939年から1941年まで若きフィケラはピコーネに直接師事して研究した。フィケラ自身の回想によれば、その頃は動乱の時代であったが、1945年4月に前線から帰還してシチリアに戻る際に、ローマでピコーネと再会した。フィケラを見てピコーネは我が子が生きて帰ってきたかのように喜んだ[3]

フィケラに影響を与えたもう一人の数学者にピーア・ナッリ英語版イタリア語版がいる。ナッリは優れた解析学者で、1937年から1939年までカターニアでフィケラに解析学を教えた。アントーニオ・シグノリーニ英語版フランチェスコ・セヴェリもローマ大学時代にフィケラに講義を行った学者である。シグノリーニは線型弾性英語版分野、セヴェリは多変数複素関数論を教えた。シグノリーニとピコーネは親しい友人であり、2人の住んでいたローマ18区、Via delle Tre Madonne のアパートには2人の記念板が置かれている[4]。シグノリーニとピコーネ、フィケラの協力によってシグノリーニ問題英語版が解決され、変分不等式英語版論が築かれた。セヴェリとフィケラの仲はシグノリーニやピコーネとのものほどではなかったが、フィケラはセヴェリを20世紀前半で最も影響力のある数学の大家の一人として尊敬していた。セヴェリが1956年夏から1957年の初めにかけて高等数学研究所で行った多変数複素関数の解析学の講義は Severi (1958) に収められており、その中で多変数複素関数におけるディリクレ問題の定理の一般化について提起されている。Fichera (1957, p. 707) では、セヴェリのこの結果によって Fichera (1957) のような傑作が生まれたと述べられている。しかし Range (2002, pp. 6–11) のいうように、フィケラのこの結果は様々な理由で一般に有効であるとは認められていない。

フィケラに講義した他の科学者には、エンリコ・ボンピアーニイタリア語版レオニダ・トネッリイタリア語版ジュゼッペ・アルメッリーニイタリア語版らがいる。彼らの意見や考えにすべて賛同していたわけではなかったが、フィケラは彼らに大きな敬意を抱いていると述べている[5]

友人

フィケラの友人には、科学者・数学者も多い(ここではその一部を挙げる)。

様々な大学・研究機関での講演や学術会議への参加の際に、交友関係を広げていった。学術的な交流の始まりは1951年に、電子計算機の性能検証のためにピコーネとフェネッティとともにアメリカ合衆国へ訪問したことにある。購入した1台の電子計算機はイタリアで稼働した初のコンピュータとなった[注 4]

アンジェロ・ペスカリーニ (Angelo Pescarini) とフィケラとの関係は学術に由来するものではない。Oleinik (1997, p. 12) の回想によれば、フィケラはヴェローナから逃れエミリア=ロマーニャ州アルフォンシーネコンベント英語版に隠れていた際、親切にしてもらった町の人々を助けるため地元のパルチザンと接触を図ろうとした。パルチザンはローマの解析学の教授が自分たちにたどり着こうとしていることを耳にした。ペスカリーニは、ボローニャ大学でピコーネの弟子であったジアンフランコ・チンミーノイタリア語版の下で学んでおり、フィケラの主張が正しいか確認する役目を与えられ、数学でフィケラを試した。ペスカリーニは次のように問うた。

Mi sai dire una condizione sufficiente per scambiare un limite con un integrale?
極限積分の交換の十分条件を教えてもらえますか。)

フィケラは即座に答えた。

Non solo ti darò la condizione sufficiente, ma ti darò anche la condizione necessaria e pure per insiemi non-limitati.
(十分条件だけでなく必要条件、さらに非有界集合の場合も教えましょう。)

実際、フィケラは陸軍に入隊する前にローマで執筆した論文 (Fichera 1943) にて、そのような定理を証明していた。それからフィケラはしばしば、「優れた数学者は常にうまく応用ができる、命を救うためにさえも」と冗談を言うようになった。

フィケラの友人で、高く評価されている協力者の一人にオルガ・オレイニクがいる。オレイニクはフィケラの最後の遺稿 (Fichera 1997) の校正を担当した[6]。また、互いの作品について活発な議論を交わしていた。

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功績

要約
視点

研究活動

フィケラは250を超える論文と18の書籍(そしてモノグラフと講義メモ)を著作した。主な分野は純粋応用数学である。すべての研究に共通して、存在定理一意性近似定理の証明に関数解析学の手法を用いている。また、応用数学の問題に関連する解析的問題に強い興味を持っていた。

弾性

弾性論に関する論文には、「フィケラの最大値の原理」を証明した論文 (Fichera 1961c) や、変分不等式英語版を主題とするものがある。変分不等式の論文は、シグノリーニ問題英語版の解の一意性の発表 (Fichera 1963) に始まり、問題の完全な証明 (Fichera 1964a) で完成した。スチュアート・シェルドン・アントマン英語版は、フィケラのこれらの作品は変分不等式分野の基礎となるものであると述べている[7][注 5]。フィケラは変分法リシャール・トゥパンが同様の問題に用いた技法の変種によってサン=ヴナンの原理を証明した。Fichera (1979a)[注 6]では、円柱区分的滑らか境界集合であるという仮説の下で原理を証明した。フィケラは遺伝的弾性の理論の研究でも知られている。Fichera (1979b) では、問題を扱う関数空間の位相の暗黙の決定に依らないで存在定理と一意性を証明できるモデルを導入することを目指して、記憶性を持つ材料の構成式を解析する必然性を強調した。最後に、クリフォード・トルーズデルジークフリート・フリュッゲ英語版ドイツ語版Handbuch der Physik に記事を寄稿するよう勧めて作成された Fichera (1972a)Fichera (1972b) は言及に値する。

偏微分方程式

フィケラは線型偏微分方程式における境界値問題の研究のために抽象的なアプローチを発展させた先駆者の一人で、Fichera (1955a) にてラックス-ミルグラムの定理の構造に似た定理を証明した。混合境界値問題について深く研究した。この分野における最初の論文 (Fichera 1949) ではn > 2個の変数自己共役作用素における混合境界問題の解の存在定理を初めて証明した。さらに Fichera (1955a, pp. 22–29) では自己共役性がない場合の定理についても証明した。Oleinik (1997) によれば、フィケラは判別式が正でない偏微分方程式の理論を創立した。Fichera (1956) で現在フィケラの関数と呼ばれるものを導入し、このような種類の偏微分方程式が現れる境界値問題の領域部分集合を特定するために、境界条件を指定する必要があるか否かを判断した。Fichera (1960) にはこの理論の別の解釈が記載されている。この論文は英語で書かれており、後にロシア語とハンガリー語に訳された[注 7]

変分法

変分法分野へのフィケラの貢献は、変分不等式と線型弾性の研究と併せて、主に特殊な形式の汎函数最大最小値の存在・一意性の定理の証明に費やされている。Fichera (1964a) ではシグノリーニ問題の解決のために論文内で導入した汎函数の半連続性定理を証明した。また、Fichera (1964c) で一般の線型作用素偏微分作用素でなくともよい)を引数として持つ汎函数まで定理を拡張した。

関数解析学と固有値論

フィケラはどの論文においても関数解析学を用いていたため、関数解析学の功績を選び抜くことは難しい。しかし Fichera (1955a)で重要な定理を示したことは思い出す価値のあるものである[注 8]

固有値論に関する貢献は、そのコンパクト作用素であるという条件のみに従う作用素の固有値を近似するためにピコーネが発展させた方法を形式化した論文 Fichera (1955b) に始まる。しかし、Fichera (1974a, pp. 13–14) で自身が認めたように、この方法では算出した固有値の近似誤差を推定できない。

また、対称作用素の初等的な固有値問題にも貢献し、直交不変量法を導入した[8]

近似理論

近似理論への貢献は、主に偏微分方程式やその系の解となる可能性のある関数系の研究に関連している。与えられた領域の境界上におけるそれら方程式の完備性の証明を試みた。この研究は興味深いもので、このような関数系が与えられれば、すべての境界値問題の解は与えられた関数空間の位相において無限級数あるいはフーリエ型積分で近似できる。この種の定理の最も有名なものの一つに、複素平面内のコンパクト集合における正則関数の範囲で境界値問題を完全に解決するメルゲルヤンの定理がある。Fichera (1948) では調和関数における境界値問題を研究し[9]、境界の滑らかさの条件を緩和した[10]。フィケラや、ピコーネ、ベルナール・マルグラーニュフランス語版フェリックス・ブラウダー英語版等多くの数学者によるこの分野の研究の概説が Fichera (1979c) に収められている。近似理論におけるフィケラの他の研究は複素解析やメルゲルヤンの定理と密接に結びついている。複素平面のコンパクト集合上の連続関数(集合が空でない場合内部解析的であるとする) を、(単純であるか否かにかかわらず)所定のを持つ有理関数で近似する問題を研究した。Fichera (1974b) ではこの問題や関連の問題の解に関するセルゲイ・メルゲンヤン英語版レンナルト・カルレソンセゲー・ガーボル等の貢献を概説している。

ポテンシャル論

ポテンシャル論におけるフィケラの結果 (Fichera 1948) は、Oleinik (1997, p. 11) が指摘しているように、Günther (1967, pp. 108–117) 第II章24段落に収められている。また導体表面の特異点付近における電場漸近的振る舞い英語版に関する論文である Fichera (1975)Fichera (1976) は、マージャ英語版ナザロフロシア語版プラメネフスキーロシア語版シュルツェらの作品に述べられているように、専門家の間で広く知られており、ポテンシャル論の作品に含みえる。

測度論と積分論

測度論と積分論に関する論文には Fichera (1943)Fichera (1954) が挙げられる。前者では以前にピコーネによって導入された可積分関数に関する条件が、有界か否かに関わらず、極限と積分の交換の必要十分条件となっていることを証明した。この定理は優収束定理の構造と似ているが、優収束定理は十分条件のみに言及するものである。後者の論文ではルベーグの分解定理有限加法的測度への拡張が示された。拡張のためにはラドン=ニコディム微分を特定のクラスに属し、特定の汎関数を最小値化する集合関数へ一般化することが必要とされた。

複素解析

フィケラは初等・最新の両方で複素解析に貢献している。一変数複素関数論では本質的には近似結果を得ており、これは Fichera (1974b) によく記述されている。多変数複素関数論の功績は一般には認知されていない[11]Fichera (1957) では、領域∂Ωヘルダー連続法線ベクトルを持ち(則ちC{1,α}級に属していて)、ディリクレ境界条件が接コーシー・リーマンの条件弱形式を満たすソボレフ空間H1/2(∂Ω)に属する関数という仮説の下で、多変数正則関数におけるディリクレ問題を解決し[注 9]、セヴェリの結果を拡張した。この定理と多変数正則関数の局所的英語版コーシー問題に関するレヴィー-クネーザーの定理CR関数論の基礎を築いた。他の重要な結果に、関数f局所可積分函数であるという条件の下の、モレラの定理の多変数複素関数への拡張の証明 (Fichera 1983) がある。より厳しい仮定における証明は Severi (1931) Bochner (1953) によって与えられていた。また、フィケラは多変数複素関数の実部と虚部(多重調和関数英語版)の性質を研究した。Amoroso (1912) から出発して、Fichera (1982a) で接コーシー・リーマンの条件から類推して多重調和関数のディリクレ問題の可解性に関するトレース条件英語版を与え、ルイージ・アモロソ英語版の定理をn  2個の複素変数の複素ベクトル空間n 2nへ一般化した (Fichera 1982b)。さらに、滑らかな領域上でアモロソが定義した積分微分方程式が、領域が2 4内の球面であるときに、多重調和関数のディリクレ問題の可解性の必要十分条件であることを証明した[12]

外微分形式

外微分形式論への貢献は戦時期に始まった[注 10]。軍隊に入る前(ベッチ数の導入が成された)エンリコ・ベッチの論文を読み、テーラモ刑務所にいる間に、この知識を外微分形式の発展に利用した。1945年にローマに帰還した際、フィケラは自身の発見についてエンツォ・マルティネッリ英語版と議論した。マルティネッリはフィケラにそのアイデアがすでにカルタンド・ラームによって発展させられていることを述べた。しかしフィケラは研究を続け、幾つかの論文を発表し、解析学者であったにもかかわらず、この理論を学ぶよう学生に勧めた。主な結果は Fichera (1961a)Fichera (1961b) に纏められている。前者では、カレントよりも狭義のものではあるが扱いやすいk測度を導入した。フィケラの狙いはカレントの解析的構造を明確化し、すべての関連結果(ド・ラームの定理ホッジの定理)をより単純で解析的方法で証明することであった。後者の論文では公理的手法に基づいて抽象的なホッジ理論を発展させ、ホッジの定理の抽象形式を証明した。

数値解析

関数解析学と固有値論節で述べたように、フィケラによる数値解析への主たる直接的な貢献は対称作用素の固有値計算に関する直交不変量法である。しかし、すでに述べたことであるがフィケラの研究の中で応用に与さないものを挙げることは難しい。偏微分方程式と線型弾性に関する作品はある建設的な目的を常に持っていた。例えばポテンシャル論の漸近解析について扱った Fichera (1975) は、書籍 (Fichera 1978a) に収められており、数値的方法英語版ベンチマーク問題としてフィケラ問題英語版の定義に繋がった[14]。定量的な問題に関する他の作品の1つは学際的な研究となった (Fichera, Sneider & Wyman 1977)Fichera (1978b) で概説されており、解析学と数値解析の手法を生物科学で提起された問題に応用している[15][注 11]

数学史

数学史におけるフィケラの研究はすべて Fichera (2002) に収められている。ピコーネやファンタッピエ、ナッリ、スネイデル、カッチョポリ、ミフリン、トリコミ英語版、ワインスタイン、ギゼッティイタリア語版など多くの数学者、師匠、友人、協力者の書誌概要を執筆した。また、歴史修正に対する意見が明確に主張されている (Fichera 1996)。「修正」という言葉を現代的概念・観点のみを基にした歴史的事実の分析と同一視している。この種の分析は、歴史家の視点にひどく影響を受けているので"正しい"歴史的事実とは異なるとした。また、この種の方法論を数学史、より一般に科学史に対して適用する歴史家は、その分野を現在的な形に変えた源を重視し、先駆者の努力を軽んじると述べている。

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主な作品

要約
視点

フィケラの作品集はそれぞれイタリア数学連合から"opere scelte" (Fichera 2004)ポンターノ学会イタリア語版から単行本 (Fichera 2002)として出版されている。この節にあるほとんどの作品を網羅しているもののモノグラフ教科書、調査論文は含まれていない。

論文

研究論文

歴史・調査論文

モノグラフと教科書

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脚注

参考文献

外部リンク

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