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ギニア軍

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ギニア軍
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ギニア軍(ギニアぐん、フランス語: Forces armées guinéennes)は、ギニア共和国国軍。ギニアがフランスから独立した1958年に創設された[2]

概要 ギニア軍 Forces armées guinéennes, 創設 ...

歴史

要約
視点

創設当初の人員は、主にフランス植民地軍に勤務していたギニア人で構成されていた[2]。ただし、セク・トゥーレ初代大統領は軍部を信用しておらず、一部の元フランス軍人にはギニア軍への参加を許さなかったほか、頻繁な上級将校の配置転換や、軍とは独立した民兵(人民軍)の強化など、軍の弱体化を図った[3]

1960年に始まったコンゴ動乱では、国際連合コンゴ活動に参加しコンゴ国内に進駐した[4]

1969年、酔った軍人による大統領批判を端緒として、上級将校の大規模な逮捕・追放が行われた[3]

1970年11月22日、首都コナクリの港にポルトガル軍と元ギニア軍人が上陸作戦を敢行、ギニア軍が迎撃する事件があった(緑海作戦[3]。当時ギニアでは隣接するポルトガル領ギニア(後のギニアビサウ)の独立派武装組織を援助しており、訓練拠点となっていたほか、捕虜としたポルトガル兵を抑留していた。このためポルトガル軍が捕虜奪還作戦を計画し、さらに国外に逃亡していた元ギニア軍人が政権転覆を目的にこれに便乗したものであった[3]。ポルトガル軍は捕虜を奪還した後で撤収したが、元ギニア軍人による政権転覆は失敗し、同日中にギニア軍によって制圧された[3]。ギニアの要請で国連安保理が非常招集され、調査の結果12月8日にポルトガルに対する非難決議が採択されている[5]

1971年3月に発生したシエラレオネでのクーデター未遂事件では、自国軍を信用できなかったシエラレオネのシアカ・スティーブンス首相の要請により、シエラレオネへ部隊が派遣された[6]

1979年4月、リベリアの首都で反政府デモが暴徒化した際は、リベリア政府からの要請を受けて小部隊が派遣された[7]

1984年3月にトゥーレ大統領が死去すると、4月3日にランサナ・コンテ大佐が軍事クーデターを成功させ、軍事政権を樹立した(1984年ギニアクーデター英語版[8][9]。翌1985年7月にはコンテ大統領に対するクーデター未遂事件があったが、失敗に終わっている[10]

1991年に始まったシエラレオネ内戦では、シエラレオネ政府側で支援を行った[11]。内戦中にシエラレオネの反政府軍はギニア本国へ何度か攻撃を試みており、1999年3月には反乱軍がギニア領内に侵入し、ギニア軍が撃退する事件があった[12]。また2000年9月にもシエラレオネから反乱軍が侵入を試みたが、ギニア軍が1か月に及ぶシエラレオネ領内への空爆を行い、侵攻を断念させた[13]。ただし、これによりギニアに隣接するシエラレオネのカンビア県はインフラが壊滅した[13]

1998年6月に発生したギニアビサウでのクーデター未遂事件では、ギニアビサウのジョアン・ヴィエイラ大統領の要請を受けてセネガル軍と共にギニア軍が派遣された[14]

2008年にコンテ大統領が死去すると、ムサ・ダディス・カマラ大尉が軍事クーデターを成功させた(2008年ギニアクーデター[15]。翌2009年9月には軍事政権への抗議デモに軍が発砲し、少なくとも87人が死亡する事件が起きている[16]

2021年にもクーデターが発生し、軍の特殊部隊が暫定軍事政権を成立させている(2021年ギニアクーデター[2]

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兵力

ギニアは徴兵制を布いており、2025年時点で陸軍8,500名、海軍400名、空軍800名の計9,700名の現役兵を有している[1]。また、このほかに国家憲兵隊1,000名と共和国警備隊1,600名、民兵7,000名が存在する[1]

陸軍

要約
視点

1個機甲大隊と5個歩兵大隊のほか、空中機動大隊、特殊作戦大隊、レンジャー大隊、コマンド大隊、大統領警護大隊、砲兵大隊、防空大隊、工兵大隊、通信中隊で構成されている[1]。重装備は主に冷戦期に供与された旧ソ連製で、老朽化が進んでおり一部は稼働状態が疑問視されている[1][17]

過去に複数回大統領や暫定大統領を輩出したこともあり、国内で強い政治力を有している[17]

装備

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海軍

海賊などの海上犯罪対策を主任務とする[20]コナクリ基地を拠点として若干数の哨戒艇を有するが、財政上の理由のため多くは運用停止状態にある[20]

装備

哨戒・警備艦艇

哨戒艇

  • アントレピド級(スウィフトシップ型[20])×1隻[21]
アントレピド(P328 Intrépide)(1986年 - 現役)[21]
  • Zégbéla Togba Pivi級(VCSM型[20]ないしRPB20型[21])×3隻[21]
(P200 Zégbéla Togba Pivi)[21]
(P250 Alpha Yana Diallo)[21]
(P275 CC Karamoko Cheik Conde)[21]

このほか、少なくとも2010年代までは旧ソ連製のボゴモール級哨戒艇2隻とズーク級哨戒艇2隻をふくむ7隻の哨戒艇が基地に係留されており、不稼働ながら軍籍にあったとされている[20]

空軍

冷戦期はソ連からMiG-15MiG-17MiG-21といった戦闘機を導入していたが、冷戦終結後は退役するか非稼働の保管状態となっていった[22]。また、2010年代まではAn-12An-14An-24などからなる輸送機隊があったが[22]、こちらもすべて退役してしまっている[1]

装備

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脚注

参考文献

関連項目

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