トップQs
タイムライン
チャット
視点
クィーン・ラティファ
ウィキペディアから
Remove ads
クイーン・ラティファ(Queen Latifah、本名: デイナ・エレイン・オーウェンズ、Dana Elaine Owens、1970年3月18日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のラッパー・女優である[1]。身長178cm。
Remove ads
略歴
ニュージャージー州ニューアーク生まれ[2]。母親は高校教師、父親は警察官であった[3][4][5]。10歳の時に両親は離婚[5]。高校時代は背の高さを生かしてバスケットボール選手として活躍[6][7]。また、学校でミュージカルの舞台にも立っていた[8]。
1989年にアルバム『オール・ヘイル・ザ・クイーン』でデビューしたラップ歌手で女性ラッパーの第一人者の1人として知られる。ヒップホップにハウス、レゲエを柔軟に取り入れた音楽性と毅然とした姿勢で人気を集めた。デ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエスト、ジャングル・ブラザーズとともに、ヒップホップ・グループ・クランのネイティブ・タン (Native Tongues)を結成している。1994年のアルバム『ブラック・レイン』の楽曲『U.N.I.T.Y』ではグラミー賞も受賞した[9]。もともとラップも歌もこなすスタイルだったが1990年代後半からはヒップホップからは距離をおき、R&B歌手として活動している。
女優としても活躍しており、2002年の映画『シカゴ』ではアカデミー賞、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞(いずれも助演女優賞)にノミネートされた。2003年にBETアワード最優秀女優賞を受賞している。
2021年のBETアワードでは生涯功労賞を受賞した[10]。
Remove ads
ディスコグラフィ
→詳細は英語版「en:Queen Latifah discography」を参照
スタジオ・アルバム
- 『オール・ヘイル・ザ・クイーン』 - All Hail the Queen (1989年)
- 『ネイチャー・オブ・ア・シスタ』 - Nature of a Sista' (1991年)
- 『ブラック・レイン』 - Black Reign (1993年)
- 『オーダー・イン・ザ・コート』 - Order in the Court (1998年)
- The Dana Owens Album (2004年)
- 『トラヴリン・ライト』 - Trav'llin' Light (2007年)
- Persona (2009年)
コンピレーション・アルバム
- 『シーズ・ア・クイーン〜クイーン・ラティファ・グレイテスト・ヒッツ』 - She's a Queen: A Collection of Hits (2002年)
- 20th Century Masters – The Millennium Collection: The Best of Queen Latifah (2005年)
- Hip-Hop Hits (2005年)
シングル
- "Wrath of my madness" (1988年)
- "Dance for me" (1989年)
- "Ladies first" (1989年)
- "Come into my house" (1990年)
- "Find a way" (1990年)
- "Mama gave birth to the soul children" (1991年)
- "Fly girl" (1991年)
- "Fly girl / Nature of a sista'" (1991年)
- "Latifah's had it up 2 here" (1991年)
- "How do I love thee?" (1992年)
- "What 'cha gonna do?" (1992年)
- 「ユニティ」 - "U.N.I.T.Y" (1993年)
- "Black hand side" (1993年)
- "Black hand side (remix)" / "Weekend love" (1994年)
- "Just another day..." (1994年)
- "It's alright" (1997年)
- "Bananas" (1998年)
- "Name callin' Part II" (1998年)
Remove ads
主な出演作品
→詳細は英語版「en:Queen Latifah#Filmography」を参照
映画
テレビシリーズ
ゲームソフト
Remove ads
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads