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クライン-ゴルドン方程式
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クライン–ゴルドン方程式 (クライン–ゴルドンほうていしき、英: Klein–Gordon equation) は、スピン0の相対論的な自由粒子を表す場(クライン–ゴルドン場)が満たす方程式である。スウェーデン人物理学者オスカル・クラインとドイツ人物理学者ヴァルター・ゴルドンにちなんで名づけられた。
概要
要約
視点
質量m の自由粒子を表すクライン–ゴルドン場をとすると、クライン–ゴルドン方程式は
と表される。ただし、∇2はラプラス作用素、c は光速度、はプランク定数を2πで割った定数(ディラック定数)である。クライン–ゴルドン方程式は、ローレンツ変換に対して形を変えない、相対論的に不変な方程式である。
ここで、ダランベールの演算子
と新たな量
を導入すれば、クライン–ゴルドン方程式は
と簡明に表すことができる。
なお、クライン–ゴルドン方程式の記述においては、とする自然単位系が採用されることも多い。
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歴史
要約
視点
量子論の形成において、相対論的波動方程式は波動力学の基礎を築いたエルヴィン・シュレーディンガーによって、最初に考察された。シュレーディンガーは、波動力学の基礎方程式を導出する過程の中で、相対論的な方程式を考えたが、これは水素原子のスペクトル構造を正しく与えることができず、1926年に非相対論的なシュレーディンガー方程式を導くに至った。また、ルイ・ド・ブロイはド・ブロイ波の理論の中で、粒子性と波動性を持つ物質場を相対論的に論じた。
シュレーディンガー方程式による量子力学の定式化が成功を収めて間もなく、非相対論的なシュレーディンガー方程式の相対論的な方程式への拡張として、クライン–ゴルドン方程式がオスカル・クライン[1]、ヴァルター・ゴルドン[2]によって提案された。また、同時期にウラジミール・フォック[3]、J. Kudar[4]、テオフィル・ド・ドンデ[5]らも同様な提案を行った。
しかしながら、当初、クライン–ゴルドン方程式が記述するは波動関数として解釈されたため、いくつかの問題を抱えていた。を波動関数と見なした場合、クライン–ゴルドン方程式は時間について二階の微分方程式であり、確率密度が負の値を取りうるため、量子力学における確率解釈が困難であった。また、正のエネルギーの解に加えて、負のエネルギーの解が現れるため、粒子が安定な状態をとれない問題を抱えていた。こうした問題から、クライン–ゴルドン方程式は一旦、理論から放棄されることとなった。
1928年にポール・ディラックは、この確率解釈の困難を解消すべく、クライン–ゴルドン方程式に代わる基礎方程式として、時間について一階の微分方程式であるディラック方程式を導いた[6]。ディラック方程式にも負のエネルギーが現れるものの、これは波動関数ではなく、正負の電荷をもつスピン1/2のフェルミ粒子の場(ディラック場)を記述する方程式と理解され、相対論的量子力学の基礎方程式と位置付けられるようになった。
ディラック方程式のみならず、クライン–ゴルドン方程式が、相対論的な場が満たす正しい方程式であることは、1934年にウォルフガング・パウリとヴィクター・ワイスコップによって示された[7]。パウリとワイスコップは、正準量子化したスピン0のボース粒子の場の満たす方程式がクライン–ゴルドン方程式であることを明らかにした。後に、クライン–ゴルドン方程式を満たすスカラー場の理論は、パイ中間子の理論の発展に寄与することとなった。
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導出
が成り立つ。ただし、m は粒子の静止質量、c は光速度である。ここで、非相対論的量子力学とのアナロジーによって、 およびという置き換えをすると、
となる。この式を、クライン-ゴルドン場に作用する演算子に対する等式とみなすと、
を得る。上式の両辺をで割り、整理すると、クライン–ゴルドン方程式が得られる。
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変分原理による導出
要約
視点
物理における他の基礎方程式と同様に、クライン–ゴルドン方程式も作用積分に対する変分から導くことができる(変分原理)。 クライン–ゴルドン方程式において、作用積分
のラグランジアン密度は、
で与えられる。ただし、添え字μについてはアインシュタインの記法に従った和を取るものとする。このとき、場の量に対するオイラー=ラグランジュ方程式
より、上述のクライン–ゴルドン方程式が導かれる。
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脚注
参考文献
関連項目
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