トップQs
タイムライン
チャット
視点

クローデット・コルベール

フランス出身でアメリカの女優 (1903-1996) ウィキペディアから

クローデット・コルベール
Remove ads

クローデット・コルベール(Claudette Colbert, 本名:エミリー・ショーショワン(ニックネームはリリー)、1903年9月13日 - 1996年7月30日)は、フランス生まれのアメリカ合衆国女優1930年代40年代スクリューボール・コメディで人気を博したコメディエンヌ。

概要 クローデット・コルベール Claudette Colbert, 本名 ...
Remove ads

経歴

Thumb
或る夜の出来事』(1934年)

パリ近郊のサン=マンデにて[1] フランス人の父親とイギリス人の母親との間に生まれる.[2]。父親は銀行家で、彼女が子供の時に家族でニューヨーク市に引っ越したため[3][4]、フランス語と英語の両方を話すバイリンガルとして育った。高校卒業後、婦人服店に勤めながら、ファッション・デザイナーを志しアートスクールに通うが、劇作家に頼まれ、1923年にブロードウェイで舞台デビュー。母方の祖母の旧姓コルバート(フランス語の発音はコルベール)を付けて芸名にした[5]

1927年に『力漕一挺身』でデビューするも、作品はまったく成功しなかった。もともと映画より舞台に専念したかった彼女は、これが最初で最後の映画になると思ったが、大恐慌によって多くの劇場が閉鎖される中、映画に活路を見出さざるを得なかった。しかし、2年後の『女は嘘つき』がヒットし、コンスタントに映画に出演するようになった。

1934年に『或る夜の出来事』でクラーク・ゲーブルと共演、 自身が勝手に決めた結婚相手を父親に反対され説得されるも、反発し逃げ出すと言う、富裕層にありがちである甘やかされた自己中心的な令嬢役をコミカルに演じ、アカデミー主演女優賞を受賞。1936年には年収30万ドルを稼ぎ、アメリカで最も高収入の女優の一人となった。

1945年には、所属していた映画会社パラマウントとの契約が切れ、フリーの身となってしばらくは順調に映画出演が続くがこれまでの勢いは徐々に下落していった[6]。1950年の戦争映画『三人の帰宅英語版[7]では日本人俳優早川雪洲とも共演し商業的にヒット、彼女の晩年の代表作の一つとなった[8]

1950年代後半はテレビ番組でゲスト出演していたが結局ブロードウェーに戻った。1958年の舞台『The Marriage Go-Round』ではトニー賞にノミネートされている。1950年代中盤で映画界を事実上引退した後は、マンハッタンのアパートとカリブ海の島国バルバドスの家に住んだ[9]。1987年のテレビ作品『グレンヴィル家の秘密』ではゴールデングローブ賞を受賞し、エミー賞にもノミネートされた。92歳で脳卒中のため死去。子供のいなかったコルベールの遺産のほとんどは、長年の女友達に与えられた[10][11]

私生活では二度結婚しているが、最初の夫とはハリウッドで同居せず[12]、二番目の夫とは死別するまで同居した[13]。結婚は偽装であり、実はレズビアンではないかという多くの噂が流れたが[14]、本人は否定した[13]。またクローズアップでは顔の左からの撮影しか許さなかった事で有名[15]

なお古いソースでは1905年生まれとなっているが、新しいソースでは1903年生まれに訂正されている[14]

Remove ads

主な出演作品

さらに見る 公開年, 邦題 原題 ...
Remove ads

出典 

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads