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コールド・ターキー

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コールド・ターキー」(英語: Cold Turkey、邦題:冷たい七面鳥)は、1969年ジョン・レノン率いるプラスティック・オノ・バンドの第2弾シングルとして発表された曲である。作詞作曲のクレジットが初めて『ジョン・レノン』になった[注釈 1]

概要 「コールド・ターキー」, プラスティック・オノ・バンド の シングル ...
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概要 

原題の直訳は邦題の通り「冷たい七面鳥」だが、原題にはスラングで「(ヘロインなど薬物中毒の)禁断症状」 といった意味もある。レノンのアシスタントだったピーター・ブラウン英語版が1983年に出版した著書では、本曲はレノンとオノ・ヨーコがヘロインの禁断症状から「想像力の爆発」で書いたものとされている[7]

一方、1970年代後半にレノンの秘書を担当していたフレッド・シーマン(Frederic Seaman)[8]はブラウンの説を否定し、レノンとヨーコがクリスマスでの食べ残しを「禁断症状」で食べて重度の食中毒を患ったことをテーマにしたとレノンから打ち明けられたという[7]。シーマンの1991年の著書では、レノンは真実の経緯を話すと笑われると考えて、制作のきっかけをヘロインの禁断症状に変えたとされている[9]

レノンは本曲をビートルズの楽曲にしようと考え、アルバム『アビイ・ロード』制作後、メンバーに提案したが全員に「冗談じゃない」と反対されたため[10]、プラスティック・オノ・バンドの楽曲として発表せざるを得なかったと語っている[7]。レノン以外の3人は本曲をドラッグ・ソングと解釈し、ビートルズ名義の発表に反対したとみられている。

1969年9月13日、レノンとヨーコはエリック・クラプトンらとプラスティック・オノ・バンドを結成して、カナダトロントで開催された『トロント・ロックンロール・リバイバル英語版』に出演して、発表前の本曲を披露した。約2週間後の9月30日、ロンドンのEMIレコーディング・スタジオ第2スタジオで、クラプトンやリンゴ・スターが参加したレコーディングが行われ、50テイク以上が繰り返された末に終了した[10][11][注釈 2]

10月下旬にシングル発表。B面収録曲はオノ・ヨーコ作「ドント・ウォーリー・キョーコ」(邦題「京子ちゃん心配しないで」)。英米ではビートルズのメンバーと同様に本曲をドラッグ・ソングであると解釈する向きが多く、BBC等の放送局で放送禁止曲に指定されたが、全英シングル・チャートの最高位が14位を記録するヒットになった。同年11月25日、レノンは声明を発表し、本曲のチャート順位が下がりつつある事を理由の一つに挙げて、MBE勲章をイギリス王室に返上したことを明らかにした。

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アートワーク 

イギリス盤とアメリカ盤のジャケットの表裏には、レノンとヨーコの頭部のレントゲン写真[注釈 3]が使用された[12]。ヨーロッパの数か国では二人のレントゲン写真を横に並べているスリーブが発行された[13]。1970年1月に発売された日本盤では二人のレントゲン写真の間にカラーの肖像写真が挿入された[14]

クレジット

チャートパフォーマンス

さらに見る Chart (1969), Peak position ...

収録アルバム

ライブ・パフォーマンス 

上記のように、本曲は1969年9月13日に『トロント・ロックンロール・リバイバル』で未発表曲として初披露され、ライヴ・アルバム『平和の祈りをこめて』に収録された。この時にはB面収録曲の「ドント・ウォーリー・キョーコ」も同様に初披露された。

1972年8月30日には、マディソン・スクエア・ガーデンで開催された知的障害を持つ子供のためのチャリティー・コンサート『ワン・トゥ・ワン・コンサート』にて、本曲が改めて披露[20]、この模様は1986年に発売されたライブ・アルバム『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』や同名の映像作品に収録されている[20]

カバー

脚注

外部リンク

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