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平和を我等に

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平和を我等に
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平和を我等に」(へいわをわれらに、原題:Give Peace a Chance)は、1969年ジョン・レノンプラスティック・オノ・バンド名義で発表した楽曲である。

概要 「平和を我等に」, プラスティック・オノ・バンド の シングル ...

ベトナム戦争に対する反戦歌、平和のメッセージソングとして制作され、狙い通りヒットした[注釈 1]

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解説

クレジット

本曲のクレジットはレノン=マッカートニーとなっているが、実際にはレノンとオノ・ヨーコの共作である。レノンは彼女をクレジットに含まなかったことを「罪」だったと語っている[1]

ポール・マッカートニーは本曲の作曲にもレコーディングにも一切関与していない。レノンは1980年のインタビューで「なぜポールの名前が出ているのか、僕にも分からないくらいだよ。ポールの名前が出ているのは、別にシングルを出したことと - 最初の物だけどね - ビートルズから本気で離れようとしていたことで、僕がちょっと後ろめたく思っていたからなんだ」と語っている[2][注釈 2]

1997年に発売されたベスト・アルバム『レノン・レジェンド』以降、レノンの単独名義になり、著作権登録もジョン・ウィンストン・レノンになった。

録音

Thumb
平和を我等に」を練習するジョン・レノン
ギター:ギブソン J-160E

本曲は、モントリオールで行なわれた第2回の「ベッド・イン[注釈 3]の最終日に当たる1969年6月1日、会場だったクイーン・エリザベス・ホテルの1742号室で録音された。

レノンはビートルズの広報担当であるデレク・テイラーに録音技師を探すように頼み、テイラーは地元のレコーディング・スタジオのオーナーであるアンドレ・ペリーを見つけた。レコーディングは4本のマイクとペリーが持参した4トラックのテープレコーダーを用いて行われた[3]

レノンはリード・ボーカルとアコースティック・ギター(ギブソン・J-160E)を担当。トミー・スムーザー(ザ・スムーザー・ブラザーズ)がアコースティック・ギター、ヨーコ、テイラー、ティモシー・リアリー(心理学者)と妻のローズマリー、ジョセフ・シュワルツ(化学者)、ペトゥラ・クラーク(歌手)、ディック・グレゴリー(コメディアン)、アレン・ギンズバーグ(詩人)、マレー・ザ・K(ラジオDJ)、フィル・スペクター(音楽プロデューサー)、「ベッド・イン」の取材に来ていた報道陣などがコーラスで参加した。

録音テープはEMIに送られ、セッション・ミュージャンなどの手によりダビングが施された[注釈 4]。シングルは1969年7月4日に発表された[注釈 5]。B面収録曲はオノ・ヨーコがボーカルを担当した「ヨーコの心」(Remember Love)だった。

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クレジット

チャート・パフォーマンス

さらに見る Chart (1969), Peak position ...

収録アルバム

オリジナル録音

ライブ録音

ライブ・パフォーマンス

同年9月13日、レノンとヨーコはザ・プラスティック・オノ・バンドを結成して、トロントで開催された『ロックンロール・リヴァイヴァル』で本曲を披露した。当日の音源はライブ・アルバム『平和の祈りをこめて』(1969年)と映像作品『スウィート・トロント』(1971年)に収録された。

1972年8月30日マディソン・スクエア・ガーデンで開催された知的障害児の為のチャリティー・コンサート『ワン・トゥ・ワン・コンサート』で本曲を披露[14]。この模様はレノンの死後、1986年に発売されたライブ・アルバム『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』や同名の映像作品に収録されている[14]

他バージョン

ヨーコは1991年湾岸戦争への抗議として多くのミュージシャンと「平和を我等に1991」を制作。2003年には9.11アメリカ同時多発テロに対しリミックスを発表。2008年にも40年記念のリミックスを発表した。

2020年に発売されたレノンのベスト・アルバム『ギミ・サム・トゥルース.』には、2020年最新のリマスタリングと、マルチトラックからのリミックスを施されて収録された[15]

カバー

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脚注

外部リンク

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