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シグマンド・ロンバーグ

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シグマンド・ロンバーグ
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シグマンド・ロンバーグ英語: Sigmund Romberg、元はハンガリー語: Romberg Zsigmond1887年7月29日 - 1951年11月9日)は、ハンガリー生まれのアメリカの作曲家。

概要 シグマンド・ロンバーグ, 基本情報 ...
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経歴

出生から修学期

1887年、オーストリア=ハンガリー帝国のグロース=カーニシュ(現・ナジカニジャ)でユダヤ人の家庭に生まれた。出生名はジークムント・ローゼンベルク。1889年、一家はベリシュチェ英語版(現・クロアチア)に引越し、この地で小学校に通った。父の影響を受けて6歳でバイオリン、8歳でピアノを学んだ。1897年にギムナジウムに入学し、学校のオーケストラに参加。その後、工学を学ぶためにウィーンへ出た。

技術者としての勉強の傍ら、リヒャルト・ホイベルガーのレッスンを受けて作曲も学んだ。1909年6月よりオーストリア軍に従軍。

渡米後

1909年に渡米し、英読みのロンベルク姓を用いるようになった。ニューヨーク鉛筆工場で短期間働いた後、カフェやレストランでピアニストとして働き始めた。そして自身のオーケストラを立ち上げ、いくつかの曲を出版した。それらの曲が劇場経営者シューバート兄弟らに注目され、1914年より人気パフォーマーアル・ジョルソンなどのブロードウェイ・シアターのショーのための音楽作曲が依頼された。以降、オペレッタの作曲で成功を収めた。

1951年、ニューヨーク市のリッツタワーズホテルの一室で脳卒中のため死去。

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作曲作品・作風について

のちのミュージカルの先駆をなす彼の曲は、ロンバーグ・メロディとして親しまれた。

とりわけ、オスカー・ハマースタイン2世と共作したブロードウェイミュージカルニュー・ムーン英語版』の挿入歌「朝日のごとくさわやかに」「恋人よ我に帰れ」は、ジャズのスタンダード・ナンバーとして、日本人にもよく知られている。『学生王子』も、今日ミュージカルとして扱われる作品だが、ドイツの古都を舞台にし曲調もウィンナ・オペレッタの名残が濃いこともあり、日本でも二期会などクラシック系の団体が上演することが多い。

家族・親族

  • 父:アダム・ローゼンベルク
  • 最初の妻:ユージニアはオーストリア人。
  • 二番目の妻:リリアン・ハリス(1898~1967年)とは1925年に結婚した。

作曲作品

楽曲

  • "Her Soldier Boy" (1917年)
  • "Home Again" (1916年) ※作詞: オーガスタス・バラット
  • "Kiss Waltz" (1916年) ※作詞: リダ・ジョンソン・ヤング
  • "Mother" (1916年) ※作詞: リダ・ジョンソン・ヤング
  • "Sister Susie's Started Syncopation" (1915年) ※作詞: ハロルド・アタリッジ
  • "Won't You Send a Letter to Me?" (1917年) ※作詞: ハロルド・アタリッジ
  • 恋人よ我に帰れ」 - "Lover, Come Back to Me" (1928年) ※作詞: オスカー・ハマースタイン2世
  • "One Kiss" (1928年) ※作詞: ハマースタイン
  • 朝日のごとくさわやかに」 - "Softly, as in a Morning Sunrise" (1928年) ※作詞: ハマースタイン
  • "Stout Hearted Men" (1928年) ※作詞: ハマースタイン

演劇のための作曲作品

  • 『青い天国』The Blue Paradise(1915年)
  • 『5月の季節』Maytime(1917年)
  • 『イスタンブールの薔薇』The Rose of Stamboul(1922年)
  • 『学生王子』The Student Prince[1](1924年)
  • 『フラビア王女』[2](1925年)
  • 『砂漠の歌』The Desert Song(1926年)
  • 『ニュー・ムーン』The New Moon(1928年)
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外部リンク

脚注

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