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ジェイムズ・ガスコイン=セシル (第2代ソールズベリー侯爵)

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ジェイムズ・ガスコイン=セシル (第2代ソールズベリー侯爵)
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第2代ソールズベリー侯爵ジェイムズ・ブラウンロウ・ウィリアム・ガスコイン=セシル: James Brownlow William Gascoyne-Cecil, 2nd Marquess of Salisbury, KG, PC1791年4月17日 - 1868年4月12日)は、イギリスの貴族、政治家。

概要 生年月日, 没年月日 ...

第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーの内閣で王璽尚書枢密院議長を務めた。ソールズベリー侯爵を相続する1823年までは、「クランボーン子爵」の儀礼称号で称されていた。

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経歴

宮内長官Lord Chamberlain; 王室侍従長)や郵政大臣Postmaster General; 逓信公社総裁)を務めた初代ソールズベリー侯爵ジェイムズ・セシルの長男「ジェイムズ・ブラウンロウ・ウィリアム・セシル」として生まれる[1]。母親のエミリー・メアリー・ヒルは、初代ダウンシャー侯爵ウィルズ・ヒルの娘。

イートン・カレッジを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチで教育を受け、1813年に修士号(M.A.)を取得[1]

1813年から1817年までウェイマス・アンド・メルカム・レジス英語版選挙区選出[1]の、1817年から襲爵により貴族院に移る1823年までハートフォード選挙区選出[1]庶民院議員。第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー1852年に組閣した第1次内閣英語版王璽尚書[2]1858年に組閣した第2次内閣英語版枢密院議長Lord President of the Council)となる[3]

また1826年枢密顧問官に列せられ[1]1842年ガーター勲章を授けられた[4]

なお彼は、1841年より1868年までミドルセックス州統監Lord Lieutenant of Middlesex)も務めた[1]

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栄典

爵位

1823年6月13日の父ジェイムズ・セシルの死去により以下の爵位を継承した[1][5]

勲章

家族

ソールズベリーは二回結婚した。1人目の妻フランセス・メアリー・ガスコイン(1802年1月25日 - 1839年10月15日)とは1821年2月2日に結婚した。同年3月22日には、勅許を得て「ガスコイン=セシル」へ改姓した[1]。彼女との間の子供に、爵位を相続したクランボーン子爵ロバート・アーサー・タルボット・ガスコイン=セシルや、ジェイムズ・メイトランド・バルフォア英語版と結婚しアーサー・バルフォア(後に初代バルフォア伯爵)を生んだレディ・ブランチ・メアリー・ハリエット・ガスコイン=セシル(1825年 - 1872年5月16日)らがいる。

2人目の妻となったレディ・メアリー・キャサリン・サックヴィル=ウェスト(1824年7月23日 - 1900年12月6日)は第5代デ・ラ・ウォー伯爵英語版ジョージ・サックヴィル=ウェスト英語版の娘で、1847年4月29日に結婚した。彼女との間の子供に、第10代ギャロウェイ伯爵アラン・ステュアート英語版と結婚したレディ・メアリー・アラベラ・アーサー・ガスコイン=セシル(1850年4月26日 - 1903年8月18日)らがいる。

出典

外部リンク

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