トップQs
タイムライン
チャット
視点

ジェリー&ザ・ペースメイカーズ

ウィキペディアから

ジェリー&ザ・ペースメイカーズ
Remove ads

ジェリー[注釈 1]&ザ・ペースメイカーズ英語: Gerry and the Pacemakers)は、イギリスロックバンド。主に1960年代前半に活動したバンドで、いわゆるマージービート(リバプールサウンド)に属する。1963年のデビューシングル『恋のテクニック』から3作連続で全英チャート1位を獲得するなど、高い人気を獲得。そのデビュー曲決定の経緯やプロデューサージョージ・マーティン[2]マネージャーブライアン・エプスタイン[1]といった状況から、しばしばビートルズとの関連で名前が挙がる事がある。また、3作目のシングル『ユール・ネバー・ウォーク・アロン』ではイングランド母国の代表的スポーツであるサッカーとも関係が深い(後述)。

概要 ジェリー&ザ・ペースメイカーズ, 基本情報 ...
Remove ads

概要

ジェリー・マースデン(1942〜2021[3])(ボーカル、ギター)を中心にジェリーの兄のフレディ・マースデン(1940〜2006)(ドラムス)やレス・チャドウィック(1943〜)(ベース)らが加わり1959年に「ジェリー・マースデン&ザ・マーズ・バーズ」 (Gerry Marsden and The Mars Bars) としてバンドを結成。後に「ジェリー&ザ・ペースメイカーズ」 (Gerry & the Pacemakers) と改称した。地元のリバプールを拠点としてバンド活動を行う。

ザ・ビートルズやザ・サーチャーズロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ英語版等と同時期にキャバーン・クラブでのギグや西ドイツハンブルクのクラブで実力を磨き、人気を二分していた[1]。ビートルズに続いてブライアン・エプスタインとマネージメント契約を交わし、さらにEMIレコード傘下のコロムビアとレコード契約。プロデューサーもジョージ・マーティンが担当した。

Thumb
ジェリー&ザ・ペースメイカーズ(1964年)

1963年3月、ビートルズのメンバーがリリースを拒んだ「恋のテクニック」がマーティンによってペースメイカーズに渡され[4][2]、デビューシングルとしてリリース。同年4月11日付けから3周連続で全英チャート1位となる[5]。その後5月にビートルズの「フロム・ミー・トゥ・ユー」に抜かれるが、6月に2作目シングル「I Like It」でフロム・ミー・トゥ・ユーを抜いて再び1位に上がるなど、ヒット・チャートで競い合う状態が続いた。3作目のシングルで、元々はミュージカル「回転木馬」の為の曲だった「ユール・ネバー・ウォーク・アロン」も10月31日付けから4週連続で1位を獲得[5]。この曲が地元のサッカークラブ「リヴァプールFC」の愛唱歌となり[6]、そこから世界中のサッカーファンに知られるようになった[6]

1964年には「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の一環としてデビュー曲の「恋のテクニック」がアメリカで再発売され、ビルボードのシングルチャートで9位まで上昇した(1963年4月に1度リリースされたが、その時は100位以内に入らなかった)。アメリカでの最大のヒットは、バンドメンバーによる自作曲「太陽は涙が嫌い英語版」で、全米4位を記録した。翌65年にも、ジェリー作「マージー河のフェリーボート英語版」が全米6位を獲得。

しかしイギリスでは64年最初のシングル「I'm The One」が全英2位に留まった(下記ディスコグラフィーを参照)ことを境に失速。アメリカでも「マージー河〜」を最後にTop10入りは途絶え、1966年10月にグループは解散した[1]

Remove ads

サッカーとの関係

3枚目のシングル「ユール・ネバー・ウォーク・アロン」はリヴァプールFCの愛唱歌として知られる[6]。1960年代当時、ホームスタジアムのアンフィールドでハーフタイム中にこの曲を流したところ好評を博しリクエストが殺到し[6]、このことがきっかけとなり、ゴール裏のサポーター(通称コップ)達に歌い継がれるようになった[6][7]

ジェリーは1985年に結成されたザ・クラウド英語版というグループでリードボーカルを担当し「ユール・ネバー・ウォーク・アロン」を発表。同年5月に発生したブラッドフォードのスタジアムでの火災事故ブラッドフォード・サッカー場火災)の被災者への見舞金に充てた[8]1989年シェフィールドヒルズボロ・スタジアムで発生した群集事故ヒルズボロの悲劇)の際には被災者支援のために「マージー河のフェリーボート英語版」を再レコーディングして発表し、UKチャートで3週連続1位を獲得した[9]

Remove ads

ディスコグラフィー

要約
視点

UK シングル

さらに見る 発売日, A面 ...

UK アルバム

さらに見る 発売日, タイトル ...

† - サウンドトラックには他のアーティストが含まれる。

US シングル

アメリカ合衆国ではローリー・レコードの下でイギリスでは未発表の複数のアルバムと2枚のシングルを製作した。こうしたことはビートルズやデイヴ・クラーク・ファイヴも同様に行っていた。最盛期には多くのシングルやアルバムがBillboard Hot 100[11]Billboard 200.[11]にチャート入りをした。

さらに見る 発売日, A面 ...

US アルバム

  • Don't Let the Sun Catch You Crying (1964年7月) #29
  • Gerry & The Pacemakers' Second Album (1964年11月) #129
  • Ferry Cross the Mersey [サウンドトラック] (1965年2月) #13
  • I'll Be There! (1965年2月) #120
  • Gerry & The Pacemakers' Greatest Hits (1965年5月) #44
  • Girl on a Swing (1966年12月)
  • The Best of Gerry & The Pacemakers (1979年7月)
Remove ads

関連項目

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads