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ジエゴ・アウベス・カレイラ
ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
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ジエゴ・アウベス・カレイラ(Diego Alves Carreira、1985年6月24日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ出身のサッカー選手。元ブラジル代表。ポジションはゴールキーパー。
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経歴
クラブ
アトレチコ・ミネイロでプロデビューし、2007年7月24日にスペインのUDアルメリアに移籍した。アルメリアは2006-07シーズンのセグンダ・ディビシオン(2部)で2位となり、プリメーラ・ディビシオン(1部)に初昇格していた。2007-08シーズン序盤は同じく新加入のダビド・コベーニョの控えだったが、その後はチームに不可欠な存在となり、667分連続無失点のリーグ新記録を打ち立てるなど活躍した。レアル・マドリード戦などでも特筆すべきパフォーマンスを見せ[1]、8位という好成績を収めたクラブの原動力となった。2008年8月にコベーニョがラージョ・バジェカーノに移籍し、ディエゴ・アウベスは2008-09シーズンもレギュラーで起用された。シーズン終盤戦に負傷してエステバン・スアレスにポジションを譲ったが、2009-10シーズンの開幕までに怪我が完治し、ほぼすべての試合にフル出場した。2010年11月20日のFCバルセロナ戦では0-8と大敗し、試合後にフアン・マヌエル・リージョ監督が解任された。2010-11シーズンは最下位でセグンダ・ディビシオン降格が決定した。
2011年6月4日、かつてアルメリアで指導を受けたウナイ・エメリ監督が率いるバレンシアCFに移籍金300万ユーロで移籍した[2]。移籍後はビセンテ・グアイタとポジションを争い、12試合に出場した。
2022年シーズン終了後にフラメンゴを退団しフリーとなったが、正守護神であったアグスティン・マルチェシンがアキレス腱断裂の重傷で長期離脱したセルタ・デ・ビーゴに加入することが、2023年2月9日に発表された[4]。加入後はマルチェシンに代わって守護神を務めたイバン・ビジャールの控えとしてベンチ入りしていたが、4月に入って右膝を負傷すると15日に契約解除が発表された[5]。
代表
2008年、北京オリンピックにおいて、U-23ブラジル代表の銅メダル獲得に貢献した。2011年11月10日のガボンとの親善試合でブラジルA代表デビューを飾った。
2015年5月23日に行われたリーガ・エスパニョーラ最終節のアルメリア戦で右膝を負傷し、72分に負傷交代。検査の結果、右膝前十字じん帯と半月板の損傷と診断された。これによりCBF(ブラジルサッカー連盟)は、コパ・アメリカ2015のブラジル代表メンバーから、バレンシアに所属するGKジエゴ・アウヴェスが離脱し、予備登録メンバーから当時フィオレンティーナ所属のGKネトを追加招集したことを発表した[6]。
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人物
PKストッパーとして知られる。2007-08シーズンから2010-11シーズン途中までの3年間に19本のPKを受けているが、そのうち10本をセーブし、さらに2本はキッカーが枠外に外しているため、この間のPKセーブ率は63%にも上る[7]。クリスティアーノ・ロナウドがリーガ・エスパニョーラでPKを唯一外した際のキーパーはジエゴであり、2011-12シーズンのコパ・デル・レイ準決勝FCバルセロナ戦ファーストレグではリオネル・メッシのキックを止めて引き分けに持ち込んだ[8]。自身のアイドルはブラジル代表の英雄クラウディオ・タファレルとスペイン代表の守護神イケル・カシージャスである。2014年10月5日のアトレティコ・マドリード戦で、リーガ・エスパニョーラの試合での通算PKセーブ数が13となり、アンドレス・パロップを抜き、歴代1位となった。
所属クラブ
アトレチコ・ミネイロ 2004-2007
UDアルメリア 2007-2011
バレンシアCF 2011-2017
CRフラメンゴ 2017-2022
セルタ・デ・ビーゴ 2023
個人成績
代表歴
- U-23ブラジル代表 2008
- 2008 北京 - オリンピックサッカー 銅メダル
タイトル
クラブ
- アトレチコ・ミネイロ
- セリエB : 2006
- ミナスジェライス州選手権 : 2007
- フラメンゴ
- コパ・リベルタドーレス : 2019
脚注
関連項目
外部リンク
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