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ジャウマ・フェイトサ・ジアス
ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
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ジャウミーニャ(Djalminha)ことジャウマ・フェイトサ・ジアス(Djalma Feitosa Dias、1970年12月9日 - )は、ブラジル・サントス出身の元サッカー選手。ブラジル代表であった。
ポジションは攻撃的ミッドフィールダー。フットサルの様なトリッキーなドリブルを得意とし、ヒールリフトを実戦で成功させた数少ない選手の一人。
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経歴
クラブ
父親のジャウマ・ジアス(Djalma Dias)もサッカー選手であった。ジャウミーニャというニックネームは小さなジャウマという意味である。地元にあるサントスFCの下部組織でプレーしていたが、その後リオデジャネイロにあるCRフラメンゴの下部組織に移ってプロデビューした。グアラニFC、日本の清水エスパルス、SEパルメイラスでもプレーし、SEパルメイラスに在籍していた1996年にはリーグ最優秀選手賞であるボーラ・ジ・オーロを獲得した。
1997年7月、スペイン・リーガ・エスパニョーラのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍した。1997-98シーズンから1999-2000シーズンまでの3シーズンで87試合に出場して26得点を挙げ、1999-2000シーズンにはリーグ優勝を果たした。しかし、2000年にアトレティコ・マドリードからポジションが被るフアン・カルロス・バレロンが加入したために出場機会が減少し、2001-02シーズンにはコパ・デル・レイを制したが、リーグ戦では18試合の出場にとどまった。2002年5月には練習中にハビエル・イルレタ監督と揉め事を起こした[1]。これが引き金となり、2002-03シーズンはオーストリア・ブンデスリーガのFKアウストリア・ウィーンにレンタル移籍した[2]。2003年夏にはデポルティーボに復帰したが、2003-04シーズンは11試合しか出場できなかった。2004年にはメキシコのクラブ・アメリカに短期間だけ在籍し、34歳で現役引退した。
代表
一時はほぼレギュラーを掴み、代表の10番を与えられるべきとの評価も得ていたが[3]、同時期のブラジル代表には同じ左利きの司令塔リバウドがおり、出場機会は14試合にとどまった。1997年にはコパ・アメリカ1997に出場して優勝している。
現役引退後
現役引退後はインドアサッカー選手としてプレーしている。2006年にはインドアサッカーブラジル代表としてインドアサッカー・ワールドカップで優勝し、大会最優秀選手に輝いた。2008年にはデポルティーボ・ラ・コルーニャのインドアサッカーチームに加入し、サッカーチーム時代もチームメイトであったドナト、フラン、ヌールッディーン・ナイベト、ジャック・ソンゴォなどとともにプレーした[4]。
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個人成績
クラブでの出場記録
代表での年別出場試合数
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タイトル
サッカー
クラブ
- CRフラメンゴ
- コパ・ド・ブラジル: 1990
- リオデジャネイロ州選手権: 1991
- ブラジル全国選手権: 1992
- SEパルメイラス
- サンパウロ州選手権: 1996
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ
- リーガ・エスパニョーラ: 1999–2000
- コパ・デル・レイ: 2001–02
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 2000, 2002
- FKアウストリア・ウィーン
- ブンデスリーガ: 2002–03
代表
- ブラジル代表
- コパ・アメリカ : 1997
個人
- SEパルメイラス
- ボーラ・ジ・オーロ (1) : 1996
インドアサッカー
クラブ
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ
- スペイン・インドアサッカーリーグ : 2007–08
- スペイン・インドアサッカーカップ : 2007–08
- CRフラメンゴ
- ブラジル・インドアサッカーリーグ : 2009[6]
代表
- ブラジル代表
- インドアサッカー・ワールドカップ : 2006
個人
- インドアサッカー・ワールドカップ 最優秀選手: 2006
- ブラジル・インドアサッカーリーグ 得点王 : 2009[6]
脚注
関連項目
外部リンク
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