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ジョージ・ダグラス (第17代モートン伯爵)

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第17代モートン伯爵ジョージ・ショルト・ダグラス英語: George Sholto Douglas, 17th Earl of Morton1789年12月23日1858年3月31日)は、イギリスの政治家、外交官、スコットランド貴族。1812年から1825年までヨーロッパにおけるイギリス大使館の秘書官を務め[1][2]、帰国後は1830年から1858年までスコットランド貴族代表議員を務め、侍従たる議員英語版を2度務めた[3]

生涯

ジョン・ダグラス閣下(Hon. John Dogulas、1756年7月1日 – 1818年5月1日、第14代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラスの息子)と妻フランシス(Frances、旧姓ラッセルス(Lascelles)、1762年6月11日 – 1817年3月31日、初代ハーウッド伯爵エドワード・ラッセルス英語版の娘)の長男として[3]、1789年12月23日にロンドンで生まれた[4]

1812年8月から1815年まで在ストックホルムイギリス大使館秘書官を務め、1813年5月4日から1814年8月13日までの大使不在中は臨時代理大使も務めた[2]。1816年4月11日に在ベルリンイギリス大使館秘書官に任命され、1825年まで務めた[1]。在任中には1820年4月25日から8月まで、1822年8月19日から10月11日まで、1823年3月29日から7月1日までの3度にわたって臨時代理大使を務めた[5]

1827年7月17日に伯父の息子ジョージが死去すると、モートン伯爵位を継承した[3]。1830年から1858年に死去するまでスコットランド貴族代表議員を務め[3]貴族院では第1回選挙法改正の第2次法案(1831年10月)に反対票を投じた[6]

1835年1月10日に国王ウィリアム4世寝室侍従英語版に任命され[7]、同年7月31日までに辞任した[8]。1836年6月25日、ミッドロージアン・ヨーマンリー騎兵隊(Mid-Lothian Yeomanry Cavalry)副隊長に任命された[9]。1843年6月13日にもノース・ミッドロージアン・ヨーマンリー騎兵隊(North Mid-Lothian Yeomanry Cavalry)副隊長に任命された[10]

1838年6月のヴィクトリア女王戴冠式英語版に出席した[11]。1841年9月10日に侍従たる議員英語版に任命され[12]、1846年7月ごろに辞任した[13]。1852年3月2日に再び侍従たる議員に任命され[14]、同年12月に辞任した[3]

Highland Society of ScotlandSenior Vice Presidentを務めたことがあった[15]

1858年3月31日にロンドンで死去、長男ショルト・ジョンが爵位を継承した[3]

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家族

要約
視点

1817年7月3日、ベルリンでフランシス・セオドラ・ローズ(Frances Theodora Rose、1798年8月31日 – 1879年7月12日、サー・ジョージ・ヘンリー・ローズ英語版の娘)と結婚、5男6女をもうけた[3]

  • ショルト・ジョン(1818年4月13日 ベルリン – 1884年12月24日) - 第18代モートン伯爵[3]
  • ジョージ・ヘンリー(1821年10月5日 – 1905年6月19日) - 海軍軍人。1850年7月18日、シャーロット・マーサー・パーカー(Charlotte Martha Parker初代準男爵サー・ウィリアム・パーカー英語版の娘)と結婚、子供あり[3]
  • ヘンリー(1822年12月17日 – 1907年10月4日) - 聖職者。1855年6月7日、メアリー・ハミルトン(Mary Hamilton、1904年3月29日没、第10代ハディントン伯爵ジョージ・ハミルトン英語版の娘)と結婚、子供あり[3]
  • エドワード・ウィリアム(1825年10月19日 – ?) - 1857年7月16日、オーガスタ・アン・バンクス(Augusta Anne Bankes、1880年5月6日没、ジョージ・バンクス英語版の娘)と結婚、子供なし。1881年4月27日、エヴリン・アン・トレフュージス(Evelyn Anne Trefusis第19代クリントン男爵チャールズ・ルドルフ・トレフュージス英語版の娘)と再婚、子供あり[3]
  • アーサー・ガスコイン英語版(1827年1月5日 – 1905年7月19日) - 聖職者。1855年4月17日、アンナ・マリア・ハリエット・リチャーズ(Anna Maria Harriet Richards、リチャード・リチャーズの娘)と結婚、子供あり[3]
  • フランシス・ハリエット(1895年6月15日没) - 1838年9月10日、第6代フィッツウィリアム伯爵ウィリアム・ウェントワース=フィッツウィリアム英語版と結婚、子供あり[3]
  • エレン・スーザン・アン(Ellen Susan Anne) - 1851年7月15日、ダグラス・ハミルトン=ゴードン閣下(Hon. Douglas Hamilton-Gordon第4代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトン=ゴードンの息子)と結婚、子供あり[3]
  • ハリエット・ブリジット・エミリー(Harriet Bridget Emily、1832年3月25日没) - 生涯未婚[3]
  • アリス・ルイーザ - 1862年6月26日、アレクサンダー・ユーイング英語版と結婚[3]
  • ガートルード・ジェーン(Gertrude Jane) - 1860年10月6日、マーク・ジョージ・カー・ロール英語版第19代クリントン男爵チャールズ・ルドルフ・トレフュージス英語版の息子)と結婚、子供あり[3]
  • アグネス・シャーロット(1907年7月7日没) - 1883年8月9日、サー・オーウェン・テューダー・バーン英語版と結婚、子供なし[3]
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出典

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