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ジョー・マクギニティ
アメリカ合衆国の野球選手 (1871-1929) ウィキペディアから
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ジョセフ・ジェローム・"ジョー"・マクギニティ(Joseph Jerome "Joe" McGinnity、 1871年3月20日 - 1929年11月14日)は、アメリカ合衆国イリノイ州ロックアイランド出身のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。
"Iron Man"(鉄人)のニックネームを持つ。MLB実働10年で5度の最多勝利を獲得、マイナーリーグを含むと478勝を挙げた。
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経歴
メジャーデビューは1899年、彼が28歳の時で、いきなり28勝を挙げリーグ最多勝投手になった。同年所属していたボルチモア球団が消滅、翌年ブルックリンに移り、デビューから2年続けて最多勝投手となる。
現ヤンキースの前身であるボルチモア・オリオールズに在籍していたが、1902年にニューヨーク・ジャイアンツに引き抜かれた。翌1903年から1907年まで、登板試合数は5年続けてリーグ最多、投球回も5年続けて300イニングスを超えるなどかなりの登板数をこなす一方で、1903年と1904年には30勝以上をあげてリーグ最多勝、1905年にはワールドシリーズ出場も果たした。ワールドシリーズは17回を投げ自責点はゼロながら、1勝1敗の成績だった。彼は持ち前のタフな肩で、よくダブルヘッダーに続けて登板することがあった。1903年には、「ダブルヘッダー2連勝」を6度、うち3度はわずか1か月の中で達成し、ファンから「鉄人」と呼ばれるようになった。マクギニティが「鉄人」と言われるようになった由来は、元々彼がオフシーズンの間工場で働いていたからだが、それがいつからか彼自身のタフな肩のことを指すようになっていったという。
メジャーリーグには1908年まで10年在籍し、その後はマイナーリーグで54歳まで投げ続け、54歳のシーズンに6勝をあげている。マイナーでも相変わらずダブルヘッダーを続けて投げることがあり、マイナーリーグではダブルヘッダー2連勝を、44歳の時にやってのけたことがある。1929年にニューヨーク州ブルックリンで、58歳で死去。1946年ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
マイナー通算成績 登板564 先発329 勝利224 敗戦201 投球回3498.2
獲得タイトル・記録
打撃成績
- 通算成績:477試合、1297打数251安打、本塁打0、打点90、打率.194
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関連項目
外部リンク
- 投手・打撃成績 (レトロシート)
- Baseballhalloffame.org – アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- マイナー成績
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