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スキクダ
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スキクダ(アラビア語:سكيكدة)はアルジェリア北東部のスキクダ県の県都。 ストラ湾に面する港湾都市で、かつてはシヌス・ヌミディクスと呼ばれていた。 2008年の人口は約18.3万人だった。 新ムーア様式の市役所と駅はル・コルビュジエが設計した。 公式の市の旗は青と白で、地中海を表す。 アルジェ、オランに次いで国内3位の貿易港を持つ。
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歴史

フェニキア人が都市を築いた。
古代ローマがその上に都市を築き、「ルシケード」と名付けた。 カルタゴ語で「火の岬」を表す。
1838年、コンスタンティーヌの港として、フランスが「フィリップヴィル(Philippeville)」と名付け都市を築いた。 コンスタンティーヌ・スキクダ鉄道が設置された。[1]
1911年、ベデカーは「アルジェリアの最も若い海港」と記した。[1]
第一次世界大戦勃発直後の1914年8月4日、フィリップヴィルはドイツの巡洋戦艦ゲーベンにより砲撃を受けた。この時、近郊のボーヌも軽巡洋艦ブレスラウにより砲撃されている。
第二次世界大戦終盤、連合国救済復興機関(UNRRA)のジャンヌダルク難民キャンプがスキクダに設置された。 1945年1月25日、南北アメリカの市民権を持つ200人のユダヤ人が、捕虜交換の為にベルゲン・ベルゼン強制収容所からスイスに送還された。 彼らは後にスキクダの難民キャンプに送られた。[3]
1955年、アルジェリア戦争の中でアルジェリア民族解放戦線(FLN)がスキクダを攻撃し、123人の市民が殺害された(フィリップヴィルの戦い)。多くはフランス人とその協力者と見做された者達だった[4]。虐殺に激怒したフランスはFLNへの攻撃を強めた。フランスによる報復で1200人(フランス発表)~1.2万人(FLN発表)が殺害された。
1970年代、天然ガス、石油精製、石油化学工業が発展し、パイプラインが建設された。
1989年2月15日、悪天候の中でオランダのタンカーのマースルイス号が、翌日のドック入りに備えて港外に停泊していた。 しかし、碇が外れ船は港に激突した。 この災害で乗員29人の内27人が死亡した。[5]
2004年1月19日、LNG施設で爆発火災が起き、29人が死亡し、9.4億ドル(当時のレートで約1000億円)の被害を出した。 これは世界のLNG取引量の2%に相当する。
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地理
スキクダは地中海のストラ湾に面する。 丘と森が多く、市の東西に高い山脈が連なる。
気候
要約
視点
地中海性気候(Csa)で、涼しく湿った冬と、とても暖かく乾いた夏が訪れる。
交通

N3号線がスキクダからEl Arrouch、コンスタンティーヌ、バトナ、ビスクラ、トゥーグラに伸びている。 コンスタンティーヌ・スキクダ鉄道の終点である。 スキクダ空港が有るが、現在は使われていない。
脚注
外部リンク
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