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スコーリイ級駆逐艦

ソビエト連邦海軍の駆逐艦の艦級 ウィキペディアから

スコーリイ級駆逐艦
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スコーリイ級駆逐艦英語: Skory-class destroyer)は、ソビエト連邦海軍の駆逐艦の艦級[1][2]。計画名は30-bis型駆逐艦(Эскадренный миноносец проекта 30-бис[2][注 1]。砲熕と水雷を重視した伝統的駆逐艦であり、ソ連・ロシア海軍の駆逐艦としては最多の70隻が建造された[1]

概要 スコーリイ級駆逐艦 (30-bis型), 基本情報 ...
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来歴

第二次世界大戦後、ソビエト連邦共産党書記長を務めていたヨシフ・スターリン外洋海軍の建設を志向したが[1]、沿海域戦力も同時に保持することを求めており、まずは1946-50年の五カ年計画に基づいて戦前の設計を元にした艦隊を建設したのち、1951-55年の五カ年計画より、大戦の戦訓を踏まえた新型艦の建造に着手するという漸進的な艦隊整備を構想した[3]

このうち、戦前の設計を元にした艦隊建設の一環として盛り込まれたのが本級であった[3]。海軍総司令官を務めていたクズネツォフ提督は、より大型で高性能な駆逐艦(40型; 約3,500トン)を10隻という少数のみ建造することを要望したものの、スターリン書記長は駆逐艦戦力250隻の整備を掲げており、本級を約200隻建造するよう要求した[3]。その後、駆逐艦の整備目標が188隻に削減されたことにともない、本級の建造数も削減された[3][2]

設計

戦術・技術規則(要求)では36ノットの速力、また巡航速度15.5ノットで3,500海里の航続距離が求められた[2]。本級の設計作業は1945年10月8日より開始され、基本設計は1947年1月28日に承認された[2]。急速建造を実現するため、先行するオグネヴォイ級駆逐艦(30/30-K型)を多くの点で踏襲しつつ[2]、戦後にドイツ国から獲得した駆逐艦の技術的要素を加味した設計となっている[1]

本級は、ソ連で初めて船体を全溶接式・縦肋骨式としている[2]。30型よりも船体構造を強化し、船殻重量は50パーセント近く増大した[2]。急速建造に配慮して101個のモジュールに分割して建造されており、「セリョズヌイ」は起工からおよそ1年で竣工にこぎつけた[2]。凌波性を重視して、強いシアを有する船首楼船型を採用し[1]、また30型やストロジェヴォイ級(7U型)よりも乾舷を高めている[2]。ただし波浪対策は不十分で、例えば静水面では36ノットを発揮できた「スメリイ」は、荒天下では空気取入口からの海水の流入に悩まされ、最大速力は28ノットに制約された[2]

艦橋は露天式で、建造時期からすると旧弊な設計であった[1]。水線下の設計も古典的で、は1枚、また推進軸の整流覆などに特徴があった[1]。艦尾部のスケグは設けずビルドアップ方式であった[1]。旋回径は船の長さの8.5倍とかなり大きく、後にビルジキールが付された[2]

機関はギアード・タービン方式で、重油専焼式のKV-30型水管ボイラー4基とTV-6型蒸気タービンにより、2軸のスクリュープロペラを駆動する[1][2][4]

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装備

兵装面では、砲熕と水雷を重視した伝統的駆逐艦といえる[1]艦砲としては、B-2LM 50口径130mm連装砲2基と92-K 52口径85mm連装高角砲1基、70-K 67口径37mm単装機関砲7基を搭載した[2][4]。これらを管制するため、艦橋トップには大型のKDP2-4L主方位盤、後部にはやや小型のSVP-29RLM副方位盤を設置した[1][4]。その後、1952年からの改装の際に、70-KはV-11 連装機関砲4基に変更されたほか、重機関銃25mm機関砲に換装された[2]

1957年、本級の一部を対象として電子情報(ELINT)能力を強化する改装が計画され、31型と呼称された[2]。この改装とあわせて対空対潜兵器の強化が行われることになり、艦首側の85mm高角砲・37mm機関砲および主方位盤、5連装魚雷発射管1基を撤去して、57mm単装砲5基およびRBU-2500ロシア語版対潜ロケット砲2基が搭載された[2]

ソナーとしては、当初はタミル-5Nが搭載されていたが、1952年の改装でペガス-2に換装された[2]

同型艦一覧

さらに見る 艦名, 建造所 ...
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脚注

参考文献

外部リンク

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