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スズノキャスター
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重賞は通算14勝を挙げて、牝馬(サラブレッドも含めて)の重賞最多勝日本記録を保持している[要出典]。また、アングロアラブの重賞最多勝日本記録も保持している[要出典]。
経歴
1990年7月に競走馬としてデビュー。東海地方のアングロアラブ戦線で圧倒的な強さを発揮した。1991年には園田競馬場へ遠征しアングロアラブ牝馬のチャンピオン決定戦全日本アラブクイーンカップに出走したが4着に敗退。しかし翌1992年と1993年に同レースを連覇した。なお、1993年の優勝は園田競馬場史上屈指のアングロアラブ牝馬であるヒカサクィーンを破ってのものだった。
1993年と1994年には大井競馬場で行われた全日本アラブ大賞典に出走。同競馬場所属の南関東アラブ三冠馬トチノミネフジと2度にわたってアングロアラブ史に残るといわれる激闘を繰り広げた。いずれのレースでもトチノミネフジの2着に敗れたものの、当時の牡馬を含む日本のアングロアラブの中でもトップの実力馬の1頭として全国的に認知されることとなった。なお、1994年には地元の笠松競馬場で重賞のマイル争覇およびくろゆり賞でサラブレッドと戦い、勝利を収めている。とくにマイル争覇は後にNARグランプリサラブレッド5歳以上最優秀馬を2年連続で受賞した名古屋競馬場所属の名馬、マルブツセカイオーを破っての勝利であった。
1995年10月の東海クラウンを最後に競走馬を引退し、繁殖牝馬となった。交配相手にはアングロアラブの名種牡馬の他、サラブレッドのワカオライデン、エイシンサンディが選ばれたが産駒は目立つ実績を残せなかった。2005年11月に転売不明となっている。
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エピソード
主戦の安藤勝己騎手はスズノキャスターについて「フェブラリーステークスでも上位入線を果たせた可能性がある」と発言している[1]。
産駒一覧
血統表
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スズノキャスターの血統(アラブ血量29.82% サラ テディ系 / 弟詠5×5=6.25%、ライジングフレーム4×4=12.50% (父内) 、バラツケー5×5・5=9.38%) | (血統表の出典) | |||
父 アア ゼンニホン 1980 鹿毛 |
父の父 アア ホクトライデン1972 鹿毛 |
アア *エルシド El Cid III |
アア Nithard | |
アア Farida IV | ||||
アア ミヤツバメ | サラ *ライジングフレーム | |||
アア 梅汐 | ||||
父の母 アア ヤマサンムラサキ1963 栗毛 |
アア シユンエイ | サラ *ライジングフレーム | ||
アア 弟猛 | ||||
アア ミネハタ | サラ クモハタ | |||
アア 明美 | ||||
母 アア アサヒリイダー 1981 栗毛 |
アア ビツグスリー 1965 栗毛 |
アア イチヤマヒカリ | サラ タカクラヤマ | |
アア バラヒカリ | ||||
アア エアダービー | サラ ハルステーツ | |||
アア 方栄 | ||||
母の母 アア ホマレダナー1975 栗毛 |
アア タガミホマレ | アア ミネフジ | ||
アア バイオレツト | ||||
アア トシロール | アア トシヒロ | |||
サラ タツロール F-No.5-g |
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脚注
参考文献
外部リンク
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