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ストーモント子爵

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ストーモント子爵
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ストーモント子爵(: Viscount of Stormont)はイギリスの子爵貴族スコットランド貴族爵位。

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初代子爵デイヴィッド・マレー

ジェームズ6世の寵臣デイヴィッド・マレー英語版1621年に叙位されたことに始まるが、1793年以降はマンスフィールド伯爵の従属爵位となり、現在は伯爵家嫡男の儀礼称号として現存する。

歴史

要約
視点

廷臣デイヴィッド・マレー英語版(?-1631)フォークランド宮殿管理官や王室会計監査官英語版を務めたジェームズ6世の寵臣である[1][2]。彼は1605年4月7日にスコットランド貴族としてスクーン卿(Lord Scone)に叙されたのち、1621年8月16日にはストーモント子爵(Viscount of Stormont)に昇叙した[1][3][4]。この両爵位にはデイヴィッドの男子に加えて、以下の極めて広範な特別継承権を兼ね備えていた[1][3]

1.初代子爵の甥サー・アンドリュー・マレー(?-1624)とその男子
  (1612年4月29日の勅許状による付加された相続権者)
2.甥アンドリューの義弟サー・ムンゴ・マレー(?-1642)とその男子
3.サー・ジョン・マレー英語版(?-1640)とその男子[註釈 1]
4.初代子爵の従兄弟デイヴィッドの長男ギルバート・マレー(?-1658)とその男子
5.初代子爵の従兄弟デイヴィッドの次男アンドリュー・マレー英語版(?-1644)とその男子[註釈 2]
6.初代子爵の甥アンドリューの異母兄弟ウィリアム・マレー(生没年未詳)とその男子
7.バルヴェアードのマレー家の紋章と姓名を受け継ぐ両系男子相続人
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マレー家の邸宅スクーン・パレス英語版
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7代子爵デイヴィッド。彼はマンスフィールド伯爵を継承した。

初代子爵には子がなかったため、特別継承権を有する存命の相続権者ムンゴが爵位を相続した[1][3]

2代子爵ムンゴ(?-1642)にも男子がなかったため、爵位は再び上記規定に基づいてサー・ジョン・マレー英語版の子ジェームズが爵位を襲った[1][3]

3代子爵ジェームズ(?-1658)は襲爵前の1640年に父からアナンデール伯爵を継いでいたため、子爵位は伯爵の従属爵位となった[3]。しかし、彼にも子がなかったことで伯爵位は廃絶、子爵位は三度特別規定にのっとってアンドリュー・マレー英語版の子にしてバルヴェアード卿家当主デイヴィッドに継承された[1][3]。彼以降はスコットランド貴族爵位のバルヴェアード卿(Lord Balvaird)が従属爵位に加わって、現在に至る[3][4]

4代子爵デイヴィッド(1636?-1668)1654年クロムウェルより1500ポンドの罰金を科されたが、1660年頃にはカークシャー開拓委員会委員を務めている[3]

5代子爵デイヴィッド(1665-1731)1715年ジャコバイト蜂起ののち、息子デイヴィッド(6代子爵)とともに政府に出頭している[3][5]

その孫の7代子爵デイヴィッド(1727-1796)在フランスイギリス大使を務めた外交官で、のちに枢密院議長北部担当国務大臣を歴任している[6][7]。彼は1793年に叔父の死去に伴って、1796年創設のマンスフィールド伯爵(Earl of Mansfield)を継いだため、これ以降のストーモント子爵位は伯爵位の従属爵位として存続している[註釈 3][4][8]

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ストーモント子爵(1621年)

  • 初代ストーモント子爵デイヴィッド・マレー英語版 (?-1631)
  • 第2代ストーモント子爵ムンゴ・マレー (?-1642)
  • 第3代ストーモント子爵(第2代アナンデール伯爵)ジェームズ・マレー (?-1658)
  • 第4代ストーモント子爵デイヴィッド・マレー (c. 1636–1668)
  • 第5代ストーモント子爵デイヴィッド・マレー (c. 1665–1731)
  • 第6代ストーモント子爵デイヴィッド・マレー (c. 1689–1748)
  • 第7代ストーモント子爵デイヴィッド・マレー (1727–1796) (1793年にマンスフィールド伯爵位継承)

以降の歴代子爵は、マンスフィールド伯爵を参照。

脚注

関連項目

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